49:サイ・コクブンジ
国分寺 西がその命を落としたのは27歳の誕生日だった。
あまり裕福でない家庭に生まれたが、小中高と普通に進学。
クラスではあまり目立たない存在で、友人も片手で数えるほどしかいなかった。
それでも、高校時代に平 新子という親友と巡り会えることが出来たことは、彼女にとって奇跡のような出来事だった。
それというのも、暴力的な父親と体の弱い母親は、彼女の高校卒業と共に離婚することを決めていたからだ。
毎日暗い気配の漂う家庭環境にいながらも、新子との会話があれば乗り切れた。
新子にとっては日々の些細なことかも知れないが、西にとってはそれが全てであり、心の支えだった。
高校を卒業した彼女は、大学への進学を諦めそこそこ中堅の商社に事務員として入社、体の弱い母親について行き、苦しいながらもそこそこの平穏な生活を送っていた。
そこまでなら、まだ良かった。
妻と子と別れた元父親は酒とギャンブルに狂い、気付いたときには借りてはならないところからも金を借りるようになっていた。
関係ないと言っていても執拗に取り立てに来る借金取りに、体が弱かった彼女の母は更に体調を崩し、遂には亡くなってしまう。
死の間際、彼女の母が残した言葉は“ごめんね”だった。
その言葉には様々な意味があったのだろうが、西の心に残ったものは怒りと“この運命に負けてなるものか”という反骨心であった。
しかし元父親は、それでも借金を止めなかった。
遂には会社にまであらわれ金を無心する始末。
彼女は迷惑はかけられないからと会社を辞め、少ない友人にだけ連絡先を伝えて新天地へ引っ越し、とにかく職をと焦った結果、あまり待遇の良くない職場に雇われることになる。
4年か、5年か。
朝は始発で出勤し、帰りは終電を逃すこともしばしば。
そんな生活の中でも、唯一昔からの友人だった新子とだけは連絡を取りあっていた。
彼女にとって、それが辛うじて“現世と自分を繋ぐ絆”のようなものだったのだ。
二人で乙女ゲームにハマりもした。
現実の男性にはもう夢を見ることは出来なかった。
だから画面の中で、こちらが欲しい言葉をかけてくれる乙女ゲームの男性にハマった。
後でそのゲームが、リリース時に色々問題があり、クソゲー大賞にまで輝いていた事を知ったときは少しガッカリしたが。
でも、自分達が知ったときには大分緩和されており、ストーリー展開も面白い良いゲームだった。
新子と二人で情報を交換し、新しい追加ストーリーがリリースされると寝食を忘れて没頭した。
ただ、そんな無理を続けていればいつかは歪みが出る。
27歳の誕生日、久々に新子と会う約束をしてアパートを出て、軽い目眩から階段で足を滑らせて。
最後は呆気なかった。
「そして目覚めたら8歳の女の子になっていたんですよ。
しかも色々調べたら“恋特”の世界観で、私は“どうあがいても絶望”と開発陣にネタ扱いされた公爵令嬢で。
この気持ち、解って下さるかしら?」
思わず笑ってしまった。
悲しい気持ちも吹き飛ぶくらい、確かに締めくくりのオチが酷い。
もう少しこの話を聞いていたいが、本題を切り出す。
「んで、アンタの望みはどんな事なんだ?」
厨房から出た俺達には、残り時間は少ない。
来た道と同じだけの時間しかない。
「私は8歳から現在に至るまで、何とか死亡フラグを回避しようと頑張ってきました。」
婚約者である第二王子とは子供の頃からの付き合いで、我儘放題だったサラに愛想をついてリリィに乗り換える。
だからリリィを憎く思い、ゲームでは嫌がらせを繰り返していたらしい。
しかし前世を思い出してしまったことによりその我儘が身を亡ぼすと理解していたため、頑張って我儘キャラからのイメージ脱却、ゲームではその精神性の幼さからうまく使えなかった、公爵家に伝わる“聖属性魔法”も、魔道宰相の息子と先に知り合う事により努力して使えるようになっていた。
学業にも力を入れ、また、公爵領の経営状況の改善にも力を入れるため、経済宰相の息子とのコネクションを得て、勉強しているらしい。
ここまで聞いていて、もう死亡フラグは解消したようにも思えるが…。
「それでも、自分の身一つでは回避しようのないモノもあります。
そうですね、例えば、大きなルート確定イベントなどがそれにあたると思っていますわ。」
この“俺達恋の特攻野郎”、略して“恋特”らしいが、ルート確定イベントがいくつかあるらしい。
一つが1年生の終わりに発生する“魔道学院所有のダンジョン攻略イベント”。
一つが2年生の夏の終わりに発生する“スラムでの疫病イベント”。
一つが3年生の終わりに発生する“帝国侵攻イベント”。
そして最後が卒業式で行われる“公爵令嬢断罪イベント”らしい。
それらをリリィが誰と過ごすかで、徐々にルートが決定していき、最後の断罪イベントで好感度パラメーターとイベント回収、ルート選択比率でエンディングが変動するらしい。
「前世の心残りもあまりありません。
出来ればこの世界で、今度こそ平和で幸せに過ごしたいと考えています。
……貴方は、私を殺して次の世界に向かいますか?」
先程までとは違う、真剣な眼差し。
誰もが見とれる、可憐に咲く一輪の薔薇のようだ。
「あいにくと、美しく咲く前の薔薇を手折る趣味は持ち合わせてないもんでね。」
視線を逸らし、それを言うのが精一杯。
「アラ、では百合の花がお好みかしら?」
クスリと笑った彼女は、しかし少し寂しそうな表情に変わる。
「この死亡フラグを越えたら、いつか新子に連絡を取る方法を見つけ出しますわ。
私の前世への心残りはたった1つ、あの子にありがとうと伝える事ですわ。
……もし追加できるなら、私はこちらで幸せに暮らしていると、合わせて伝えたいですけどね。」
それ自体がでっかい死亡フラグに聞こえるが、なるほど、“神への叛意あり”か。
そうだとしても、俺のやるべき事は変わらん。
「青い花に興味は無い。
だが、そんな青い花を美しく育てるのが、多分この世界での俺の役割なんだろう。
一輪も二輪も関係ない。
百合も薔薇も、俺が消えるその時まで、丁寧に面倒をみてやるだけだ。」
ちとくさい事を言い過ぎたか。
笑いでも堪えているのだろうか?
彼女は俯き、それきり何も言わなくなってしまった。
くっ!もっとカッコイイ台詞を覚えておくんだった!
先程出て来た応接の間の扉が見える。
気まずい沈黙の中、ふと思い出した事を聞く。
「そう言えば、何故俺がこの世界の住人でないと目星を付けたんだ?」
顔を上げた彼女は、少しだけ目を赤くしていた。
泣くほど笑わんでもええやん、おじさんちょっと傷付くで、それ。
「それは……、教会での一件を覚えていますか?
この世界、文明が現代日本に近いところもありますが、“栄養”という単語とその概念はまだ浸透していません。
スラムでそれを知る人間など、貴方くらいでしょう。」
あぁ、あれか。
ちょっと余計なことを言い過ぎてたか。
この子が好意的だからまだ良かったが、そうで無ければ危なかったかもしれん。
今後気を付けよう。
「それと、リリィの執事はゲームでは“キルッフ”というキャラなんです。
見た目が好青年ですが、帝国と繋がりがあるキンデリック組の影の暗殺者という暗い過去をもっていて、彼を攻略する裏ルートもあるんですよ。」
背中を冷たいモノが走る。
今まではあくまでも物語の部外者、異邦人だった。
物語の主要人物に成り変わったのはこれが初めてだ。
では本当のキルッフはどこに行った?




