492:離脱
「……従者よ、アレをどう見る?」
開きっぱなしの入口から、ジャックが中を覗きながら声をかけてくる。
「どうと言われてもな。
ミナンは物理トラップは無いと言っているし、カルーアちゃんの探知魔法にも反応無しなんだろう?
なら、アレは堂々と待ち構えてる、ってヤツじゃないのか?」
俺も同じ様に目線を室内に向けながら、ジャックに答える。
俺達は遂に目的の場所、絶望の匣が控える宝物庫らしき所に辿り着いていた。
過去の遺物なのか、光る石材を使ったその部屋は、宝物庫というにはいささか殺風景だ。
何もない四角い空間、その中央に台座があり、そこに細長い箱状の、いや、どちらかと言うと剣の鞘に見える物体が浮かんでいる。
その鞘のようなものの口部からは、黒い瘴気のような魔力の様なモノがゆっくりと零れ落ちており、台座の下に黒い水たまりのようなものを作っていた。
「恐らくはあの鞘から零れ落ちているあの黒い魔力の塊が、魔獣を創り出しているのかも知れんな。」
そんなまさか、と言いかけた時に、黒い水たまりに変化が起きる。
グネグネと伸縮し始めたかと思うと、それが形を成していき、人のような形態を取り始める。
黒い液体の人型はその色を変え、赤茶色の皮膚へと変わる。
「完全に出来上がってしまうのは面倒だ!」
ジャックが部屋に飛び込み、風の魔法で出来たばかりの魔獣、恐らくは豚人間か毛塗れ巨人だったのだろうそれは、無防備な状態で首をはねられて即座に絶命した。
「オイオイジャック、変身バンクは敵も味方も待つのが礼儀ってヤツだぜ?」
「なんだそれは?異界の常識か?
あいにく俺はそんなモン知らん。」
軽口を叩きながらも、新しく産まれて即座に命を落とした魔獣を観察する。
どうやら、一度肉を持つと魔力の塊に戻ることはないようだ。
「ともあれ、これを回収すればいいんだろ。」
台座に浮かぶ鞘に手を伸ばそうとしたその時、鞘の口から黒い魔力が飛び出す。
すぐに手を引っ込めて躱したが、痛みを感じて見てみれば、軽く袖口を切り裂かれている。
「……なるほど、これは迂闊には近寄れねぇな。」
「確かに。だからあの剣が必……うぉっ!?」
<キキキ緊急指令、解凍。
レーヴァテイン・プログラム、確保フェーズに移行シマス。>
ジャックがなにか言い終わるよりも早く、パッピルが跳ね起きるように立ち上がり、害なす魔の杖の魔力を使い俺達を弾き飛ばす。
<モモモ申し訳ありマセン。
この指令にはサササ逆らえマセン。
危険ですのでハハハ離れて下サイ。>
音声は乱れ、歩く度にパラパラと何かを零れ落としながら、パッピルは台座へと向かう。
パッピルは右手で害なす魔の杖の魔力を最大開放し、絶望の匣の干渉を無効化する。
そうして無効化しながら近付くと、左手で絶望の匣を掴み取る。
「パッピルさん!?正気に戻って下さい!!」
カルーアちゃんが叫ぶが、パッピルは無表情のままだ。
それはそうだろう。
アレは命令に従って動いているだけだ。
ならば、今のパッピルは十分正気という事だ。
「アンタ!お宝持ち逃げする気!?させないわよ!」
「全くだ!
仲間ならば分け前は等分だ!」
ミナンとジャックが魔法を放ちつつ飛びかかろうとするが、魔法の攻撃はかき消され、そしてミナンとジャックは剣の腹で打ち据えられて吹き飛ばされる。
<……皆様、申し訳ありマセン。>
害なす魔の杖を鞘、絶望の匣に納めると、それまでの禍々しい魔力の放出が一転し、清浄な気が周囲を包む。
魔法の効きがそれなりに悪い俺ですら、その清浄な気には多幸感を覚えるほどだ。
ミナンは気を失っているのか動かないが、ジャックもカルーアちゃんも、この清浄な気に当てられたのか、先程までの焦りや怒りの表情が消え、膝をついてウットリとしたような、ぼんやりとした表情てパッピルを見ている。
<セーダイ、恩を仇で返す様な事ニナリ、申し訳……。>
「向こうに戻ったらシカルのヤツに伝えてくれ。
“この借りは必ず返してもらう”とな。
存外、俺はしつこいんだ。」
無表情ながらもどこか申し訳無さそうにしているパッピルに、俺はそう言い放つ。
俺に顔を向けたパッピルは何かを言いかけていたが、そのまま光となって消えていった。
(……笑顔、か。初めて見たな。)
これもあの秘宝とやらの力だろうか?
消える間際、パッピルの表情は笑顔に変わっていた。
不思議なものを見たと言う気持ちになり、道具屋でくすねておいたタバコに火をつける。
一口吸い込み紫煙を吐き出せば、ドッと疲れが体を巡るようだった。
「……痛ててて。
……アッ!パッピルちゃん結局、持ち逃げしちゃった!?」
壁際でグッタリしていたミナンが気がついたのか、途端に騒々しくなる。
「ってかオッサン!
ナニ余裕こいてタバコなんか吸ってんのよ!
あの力、アンタ必要だったんでしょう!?
どうするのよこれから!?」
「……まぁ、考えはある。
だがまぁその前に、惚けてる2人を正気に戻してここを脱出しようぜ。」
俺はジャックとカルーアちゃんの頬を軽く叩き、2人を正気に戻す。
2人共、あの力の前に無意識的にとはいえ屈した事に、少なからずショックを覚えた様だ。
ジャックは“あの遺物にはあれ程の力が……”といったまま何かを考え込んでいる。
もっと深刻なのはカルーアちゃんだ。
何かが相当なショックを与えたようで、“私の信仰は……”といったような事を、帰り道の最中ボソボソと呟いていた。
そして帰り道と言えば、これもまた大変だった。
魔獣が先程までとは違う位置、違う場所を徘徊するようになっていた。
それこそ、階層守護者が当たり前のように通路を歩き、たまに他の魔獣と戦いになっている。
それまでの一直線で外を目指す姿はなく、本当にこの迷宮を彷徨っているかのようだ。
(……これも、あの絶望の匣とやらが無くなった影響なのかねぇ?)
ジャックとカルーアちゃんが使い物にならなくなった現状、ミナンと俺で慎重に索敵しつつ進み、迷宮を抜けた時には芯から疲れ切っていた程だ。
「とりあえずまた屋根で一晩休憩して、そこから目的地に向かうとしようか。」
「さんせー。アタシもうヘトヘトだよぉ……。」
ヘロヘロになりながらも、ジャックとカルーアちゃんの尻を叩きつつ迷宮入口の建造物の屋根に登る。
キャンプの用意が出来上がる頃には、夜はすっかり更けていた。




