483:前夜
<ミスタ・セーダイ、開けないのデスカ?>
パッピルの問には答えず、入口の扉を睨む。
開けるか、どうするか。
静かな緊張が室内に広がる。
<開けられないナラ、私が開けて差し上げまショウカ?>
「いや、それには及ばねぇ。」
確かに、ここでグズグズ考えていても始まらない。
なら、何であっても確認するくらいしか、今は出来ないだろう。
そう覚悟を決めると慎重に扉に近づき、壁側に体を寄せながら鍵を開ける。
カチリと鍵が空いた音が聞こえたのだろう。
まるで扉をぶち破らんばかりの勢いで室内になだれ込んでくる、一人の男。
「じゅ、従者よ!早くその扉を閉めよ!」
ジャックだった。
何を焦っているのか知らんが、開いた扉からチラと外を見ても何も無い。
おおかたコイツの事だ、化け物に追われる怖い夢でも見て、俺の家に転がり込んできた、とか、そういうろくでも無い理由だろう。
俺は呆れながら扉を閉め、鍵をかける。
念の為に、窓や裏口の扉も全て閉まっているか確認し、食堂兼リビングに戻る。
リビングに戻ると、ジャックがパッピルから水を受け取り、旨そうに飲むと何度もおかわりをしていた。
「オイ、ジャック。
そんなに慌ててここに来てどうしたんだ?
オヤジさんにおねしょでもバレたのか?」
「バカタレ!
その用件だとしたら、この家に来るか!
もしそうだとしたら、壁向こうの橋頭堡基地、いやもっと遠くへ逃げるに決まっておろう!」
ジャックは表情を引き締め、キリリとした“まるで劇画調の様な顔”になると、真剣そのものといった風に逃避先を答える。
いや真顔で何言ってるんだオマエ。
清々しいほどのジャックの敗北宣言に呆れていると、“そんな事はどうでもいいのだ!”と、思い出したようにコップをテーブルに叩きつける。
「戦争だ!戦争が始まる!
だからその前に、装備をまとめてこの国を出るぞ!」
緩んでいた部屋の温度が、静かに下がっていく。
カルーアちゃんもミナンも顔を見合わせ、“そんな馬鹿な”という表情をしている。
「パッピル、悪いが先に装備をまとめておいてくれるか?」
<規定に抵触しない指示を確認しマシタ。
これより実行致シマス。>
パッピルはすぐに部屋を出ていく。
3ヶ月も住んていればそれなりに物は増えているが、元々居着くつもりはなかったから、荷造りも簡単に出来るはずだ。
「え?セーダイさんコイツの言う事信じるの?」
ミナンが不思議そうな顔をして俺を見るが、俺は静かに頷く。
「まぁな。
“まさかそんなはずは”とか、“こんなに追い詰められた世界で、人々が争いあうはずがない”って考えは、あまり俺は思わない方でね。
むしろ、こういう状況だからこそ、普通の人間はその本質を剥き出しにするもんだ。」
それはこの世界で生きていない俺だから、思う事なのだろうか。
人間は安定を求める、富を求める、そして確実性を求める。
外の世界を開拓し、まだ見ぬ、予想もできぬ利益に思いを馳せるよりは、安定した現在の利益を掻っ攫う方が、誰でも思い付けるし、何より簡単だ。
利益の予測がつく。
名誉と栄誉を重んじる貴族とは言え、高潔な精神を持つ者はどれくらいいるのか。
俺はジャックを見下ろす。
この世界の貴族も、大体がこうなのだろうと思う。
それも悪い事ではない。
ある意味で酷く人間らしい。
きっと俺も、“異邦人”という立場でなければ、ジャックと同じ様な事をするだろうしな。
「おとぎ話にある夢の国に到達した冒険者、それも有力貴族の子弟がもたらした革新的な技術。
それは現在の戦況を大きく覆し、人類がより発展するのが目に見えてきたとしたら、考えるのは“今のうちに、既得権益を拡大しておこう”だ。
そう考えたとすれば、次に浮ぶ発想は“邪魔な王家を取り壊しさえ出来れば、自らが新たな王家となって各地の貴族を治める立場になれるのでは?”だ。
或いは“一番にはなれなくとも、新たな秩序を築けばそこでおいしい地位に収まれるのでは?”と考える奴が増えるだろうな。
どうだ、ジャック。
当たらずとも遠からず、ってところじゃないか?」
「……概ね、従者の言う通りだ。
父上が側近と話しているのを聞いてしまったのだ。
“壁”に近い貴族からの支援も取り付けた、とな。
この後、壁の周辺貴族が最低限の軍備を残し、一気に中央まで進軍する計画のようだ。
俺が魔導人形の製造方法を持ってきたのは、こんな事をするためではなかったのに……。
……こんなはずでは。
もっと、もっと人々が安心して過ごせる世界になるはずだったのに……。」
ジャックは机に突っ伏し、声を上げずに泣いている。
ここにいる全員が、気持ちがわかるだけにそれ以上何かを言う事が出来なかった。
ジャックの理想は、少しだけ不純な動機もあっただろうが、きっとその原点にあるモノは高潔な理想だったのだろう。
だが、他人は自分の思い通りに動きやしない、という事を、コイツはもっと知っておくべきだった。
或いは、俺達に相談できていたなら、もう少し上手い方法も思い付けたかも知れない。
自身の功を焦り、大々的に喧伝してしまった、これはその対価というべきところだろうか。
「……ん、待てよ。
って事はアレか、オマエ、その話を聞いて、慌てて家を飛び出してここに来たって事か?」
「そ、そうだ、その通りだ!
このまま戦争になれば、争い合うことになる。
そうなれば例の神器とやらの回収も難しくなるだろうし、パッピルも向こうに帰ってしまうだろう!
これはお前達にも重要な話だと思ってな!
誰にも見られぬように、急いで駆けつけたのだ!」
あぁ、それで早く閉めろと喚いた訳か。
ただ、その思考が現実逃避だと考え直す。
コイツ、掛け値無しのクソド地雷を踏みやがった。
そんなモンを聞いて慌てて逃げ出せば、誰もが不審に思う。
そして、現ダニエル家の当主は真っ先に気付くだろう。
実の息子の、向こうの世界にコネクションがあるかも知れないメリットと、これからやろうとしている事の漏洩というデメリット。
天秤にかけたらどちらに傾くかなんて、誰よりもジャック自身が1番解っているはずだ。
「……お前よぅ、マジで……。」
<セーダイ、この家を中心に囲ム、複数の人間の熱源を感知しマシタ。>
荷造りを終えたらしいパッピルが警告を告げに来る。
あまりにも想像通りすぎて、思わず苦笑いすら出る。
「仕方ねぇ、諦めてパーティでもやるか。」
俺の言葉に、全員がキョトンとした顔になっていた。




