463:ジャック無双
-アァケェテェェェェ、アァケェテェェェェ……-
扉をバンバンと叩く音と共に、扉にある磨りガラスの採光窓には、黒髪の頭の影が映っている。
その声はしわがれた老人の、地底の更に底から響くように冷たい。
「フム、従者よ、客人が来ているぞ?
開けてやれ。」
ジャックは冷静さを失わない。
その剛胆な態度と言葉に驚き、言葉を失った俺は思わず扉からジャックに目を移す。
だがその瞬間、少しだけ心の締め付けが緩んだ気がしていた。
「な、何してるの!?
だ、ダメだよ開けたら!
扉を開けたら、皆、御巡様に憑き殺されちゃうよ!!」
半狂乱になりながらジャックに掴みかかろうとするミナンを、素早く移動して取り押さえる。
何故そうした方が良いと思ったかは解らない。
本当にただの直感、“今この瞬間は、ジャックに任せた方がいい”そういう、インスピレーションのようなモノが頭に浮かんだのだ。
もしジャックの方を見ていなかったら、こんな思考すら浮かばなかったかも知れない。
「ウム、露払いご苦労!だな、従者よ。
では仕方ない、このジャック様が直々に客人の相手をしてやろう。
感謝しろよお前等。」
ジャックは無造作にツカツカと歩きながら、腰の小物入れから液体の入った瓶を取り出す。
それを口に含み、扉を開けると同時に霧状に噴霧する。
-ギィヤァァァァ!!!-
扉を開けた瞬間、そこには誰もいなかったかのように静寂な空間があったが、ジャックが噴霧した霧状の液体が扉の外に巻き散らかされると、確かに先程までのしわがれた声が、悲鳴を上げたのが解った。
「少しだけ先輩の冒険者として、お前達に教えておいてやろう。
良いか、ポーションを買うなら、高くともミード教会で売っているものを買え。
道具屋のポーションでも回復量に差はないが、教会の物は全て司祭の手で浄化済みだからな。
亡霊相手等の緊急時には、この様な使い方も可能だ。」
あー、なるほど?
“ひかりのたま”で闇の衣を剥がした後は、回復魔法でダメージ出せる的なね?知ってる知ってる。
……なるほど、認識の差か。
元の世界に馴染み深い俺やミナンにとっては“対策無しの理不尽”でも、普段から魔獣やら死霊やらを相手にしている異世界の住人にとっては、これも“日常”か。
少しだけジャックの事を見直しつつ、“相手が悪かったな”と、この世界では無敵で敵う者無しだったはずの御巡様に同情する。
(“無敵”ってのも、状況や立ち位置が違えば、その効果を発揮しない事もあるんだなぁ。)
「……さん、セーダイさん!
もう大丈夫だから!
そろそろ離してよ!」
“あぁ、スマン”と抱えあげていたミナンの拘束をとくと、ミナンは受け身を失敗した猫のようにべシャリと床に落っこちる。
「ちょ!?ひっどーい!
乙女をこんな風に扱うなんて、セーダイさん紳士の風上にも置けない奴ー!」
「あ?あぁ、スマン。
猫か何かをぶら下げてる気持ちになってたわ。」
ついポロッと本音を漏らしてしまうと、それでますます腹が立ったらしいミナンにスネあたりを蹴られてしまうが、ここは甘んじて受けよう。
「そんな事よりも、あの時俺は扉からジャックに目線を移したらさ、なにかこう、重圧が下がったと言うか、そういう感じを受けたんだが、お前何か魔法でも使ったのか?」
あの時、俺もミナンも普通ではなかった。
“空気に飲まれていた”という方が正しいか。
「あぁ、その事か。
それはお前も言っていただろう?
“即死級の攻撃をしてくる”と。
アレはその第一歩だ。
亡霊の攻撃は物理ではなく、心に影響を及ぼす。
心を混乱させ、肉体とそうでないもの、これをミード教では“精神体”と呼ぶが、それを徐々に乖離させるのだ。
そうして、一部分でも肉体と精神体の乖離が発生すれば、そこを狙って精神体にのみ攻撃をし、対象に死を到らしめるのだ。」
聞きながら、“なるほどなぁ”と、妙に納得する。
肉体に防具は纏えても、精神体……元の世界で言うなら魂や霊魂だろうが、それに防具は着けられない。
心を掻き乱し、無防備になった魂に攻撃をしてくるのか。
「……なるほどねぇ。
って、だったらお前は何で効かなかったんだ?
別に、俺達と条件は一緒だろう?」
俺の言葉に、ジャックは呆れたように笑う。
「フン、俺のような貴族と、お前等庶民を一緒にするな。
貴族はな、幼少期から女神ミード様の教えを叩き込まれるのだ。
ミード様の教えを守り、心の内にあるミード様と対話するのだ。
さすれば、亡霊如きの囁きなぞ、通用するものか。」
心の中に、神を持つ。
言われて、気付かされる。
この長い異世界巡りの中で、少し、俺も忘れかけていたようだ。
「……そうか、そうだな。
いや、貴族ってのは、すげぇモンだな。」
もう少しだけ、ジャックを見直す。
敬意を込めた目でそう呟くと、ジャックはどこか照れくさそうに顔を背ける。
「ウム、……解ればよろしい。
お前も、その、中々……。
や、それよりも、だらしないぞカルーア!
この中で女神ミード様の徒であるお前が、真っ先に亡霊の言葉に乗ってどうする!
大体お前は……。」
ジャックの言葉は途中聞き取れなかったが、標的がどうやら俺達からカルーアちゃんに移ったらしい。
ひとしきりカルーアちゃんを叱った後、喋り疲れたのか水を飲んで一休みし始める。
それを何となく見ていたが、視線を感じて振り向けばミナンが目を輝かせている。
「……何だよ?」
「死線をくぐり抜けて解り合う2人の男……。
夜の校舎……何も起きないはずはなく……。」
起きねぇよ!
アカン!この娘腐ってやがる!
不穏な事を口走るミナンに別の意味で恐怖を感じ、慌ててジャックに今後の方針を尋ねる。
……その最中も、目を輝かせてギラつくのヤメて、いやマジで。
「フム、休憩もとり、精神状態は回復しているようだな。
すぐにでも亡霊を追撃するとしよう。」
俺達は立ち上がり、廊下に出る。
床には何かの液体が、点々と跡をつけている。
それを追って歩き始めた途端、ジャックが何かを思いついたようにミナンを見る。
「……時にミナンよ、ここがお前の知る物語と近しいと言うが、その物語とは屋内の構造まで伝わっているのか?
例えば……そう、戸棚の中にある包帯の位置まで、な。」
突然の言葉の刃。
その言葉を聞いたミナンは、顔が青ざめる。
その表情は、“何か知っている”と言っているかのように雄弁に語っている。
相手の心理の隙を付き、言葉を引き出させることに手慣れている。
……コイツ、やはり貴族の教育を受けているだけはある。
俺達はミナンを見る。
彼女は困ったように笑っていた。




