461:夜の校舎
「……行ったみたいだな。」
物音が完全に聞こえなくなると、俺はホッと息を吐きながら皆を見る。
ジャックはまだ臨戦態勢だったが、女の子2人は青い顔をして互いに手を取り合っていた。
「今のは、何だったのでしょう……。
アラ?ミナン、手を怪我していますの?」
手を取り合っていたカルーアちゃんが、ミナンと手を離した時に違和感に気付く。
「あ、うん、さっきジャックをふん縛った時に、ちょっと切っちゃったみたい。」
「な……!?
アレは、夢ではなかったのか!?」
ジャックが慌てて剣を抜くと、刀身を検める。
薄明かりに光る刃先には、微かに血の跡がついていた。
「す、すまん!アレは幻術の類か何かだとばかり……!!」
慌てて剣をしまうと、右の握り拳を左胸に当てて、直立不動になる。
ジャックのいた世界で、騎士が宣誓する時に行う仕草、ひいては感謝であったり、今回のような誠心誠意の謝罪を伝える時に使われる所作だ。
「良いよ別に。
大した事ないよ、こんなの。
もう血も止まってると思うし。」
「良くありません。
“小さな魔蜂の一撃は飛竜をも倒す”と言うではありませんか。
さ、傷口を見せてください。
今すぐ回復魔法を……あれ??
……えっ?」
カルーアちゃんが両手を広げミナンにかざすが、不思議な声を上げている。
俺とジャックは“何だ?”と疑問に思いながらその行為を見ている。
カルーアちゃんは何度も手をかざしたり振ったりするが、いつまで待っても普段のような柔らかな緑の光も出てこなければ、ミナンの傷が癒やされていく様子もない。
「……ジャックさん、申し訳ありませんが、どこに向けてもいいので、攻撃魔法を使っていただけませんか?」
カルーアちゃんは先程よりも青ざめた表情をしながら、震える声でジャックへのお願いを口にする。
「む?何やらおかしなことを言うが、まぁ確認も大事であるな。
“風の刃よ、……斬り……裂け?”。
……何だ?これは。」
自信満々だったジャックは、しかし魔法の呪文を唱えている最中から表情が曇り、最後は尻すぼみになってしまう。
何が起きたのかと2人に問えば、どうやら2人は全く同じ感覚を味わったらしい。
この世界での魔法とは、体内の魔力や魔素を使う事で体外の事象に干渉し、通常起こり得ない奇跡を行使する技術だ。
ところが、呪文を紡ぎ体内の魔力を練ろうとした瞬間、魔力が霧散するように体内から消えていくのを感じたというのだ。
なるほど、それでは魔法は行使できない。
……いや待て、魔法が使えない?
俺はミナンを見ると、ミナンも同じ感覚を味わったという。
その話を聞き、背中に冷たいものが走る。
世界の強制力。
魔素もエーテルも無い、元いた世界と同じ状況を作られてしまっている。
その上で、先程の廊下を歩いていた存在。
俺は慌てて盾を探す。
幸いにして教室内に落ちていたが、急いで拾うと背中に引っ掛ける。
今この瞬間においては、俺を除く他の奴等はそれぞれ、革鎧を着込んで鉄の剣や杖を持った、ファンタジーなコスプレをした一般人だ。
俺ですら、ちょっと異常なほど力が強くて大盾を持ったオッサン止まりだろう。
あの廊下を歩いていた奴にどこまで効果があるか解らないが、身を守る手段はあった方がいい。
「……ちょっと聞いてくれるか?
多分、の話なんだが。」
皆を集め、俺の推測を話す。
恐らくここは、いわゆる“ホラー世界”である事。
あの廊下を歩いていた奴に見つかれば、即死級の攻撃を受ける事。
“見つからない”或いは“見つかっても逃げ切らなければならない”事。
そして、恐らくはあの謎の存在にはこちらの攻撃は通用しない事。
思いつく限り、今までの経験則を語る。
皆、微妙に半信半疑ではあるが、自分達の常識が通用しない異様な状況であるとは認識したようだ。
「な、何となくここがその、従者やミナンが元いた世界と似た世界であると解った。
……お前等、かなり進んだ文明から来ていたのだな。
いや、それは今は良いとして、これからどうするつもりだ、従者よ?
いつまでもここにいても、何1つ解決せんのではないか?」
ジャックは自身の世界とかけ離れ過ぎているからか、現実感の無さからまるで他人事の様に椅子にふんぞり返っている。
少し腹は立つが、今それを言っていても始まらない。
チラと見渡せば、傷口を押さえているミナンが見える。
「多分、窓から見た感じだとここは2階か、3階だろうと思う。
大抵こういう学校には、1階に保健室……ええと、簡単な医務施設のある部屋があるはずだ。
まずはそこに行って、ミナンの傷を治療出来るものがないか調べるとしようか。」
どうしていいか解らない俺達だが、ミナンの怪我が気になるのも事実だ。
今はカルーアちゃんが持っていた手ぬぐいを裂いて包帯代わりにしているが、消毒薬があるならその辺も手に入れておきたい。
「他に何をすべきか解らんからな。
従者の意見に賛成だ。
ついでに食い物でもあれば言うことはないがな。」
カルーアちゃんが応急手当をしている最中、ジャックの奴は周囲の机の中やロッカーをずっとゴソゴソしていたが、どうやら腹が減っていたらしい。
苦笑しつつも、そんなジャックに釘を刺しておく。
「……旨そうな食い物があっても、口には入れないほうが良いかもしれんな。
“黄泉竈食い”の可能性もある。」
「あ、アタシ知ってる!
あの世で煮炊きしたものを食べると、もうこの世に戻ってこれなくなるっていう、アレでしょ?」
“そうだ”と俺が答えると、ジャックは慌てて机の中を調べていた手を止める。
何ともまぁ、解りやすい奴だ。
「さて、と。
……さっきの音は聞こえんな。
行くぞ……、音を立てないようにな。」
静かに扉を開け、左右を見る。
案の定、学校の廊下だ。
光源はどこにもないはずなのに、窓からは月明かりが差し込んでいる。
(ここは……、3年3組か。)
何気なく、教室の上に掲げられている学級表札を見ると、どうやら3年生の教室らしい。
“3年3組”と白いプラカードに黒文字で書かれているそれは、右下が僅かに欠けている。
「……え?」
1人ずつ外に出て、とりあえず俺が廊下の右手側に歩き出すと、小さな声ではあるが、驚きの声をあげる奴がいた。
例の化物でも出たかと振り返れば、ミナンの視線が学級表札に釘付けになっていた。
「……どうした?何か見えるのか?」
「……別に、何でもない。」
声を潜めて話しかけるが、ミナンは首を振ると俺の脇を抜けて先導する。
(……何だ?ありゃあ?)
グズグズするわけにはいかない。
俺も、腰を落として足音を消しながら、ミナンの後を追い始める。




