44:育成
「親父さん、流石にこの依頼は……。」
「わかってるよセーダイ。
だがなぁ、こっちも断れねぇ事情って奴があるんだ。」
薄汚れた酒場の個室、俺とキンデリックの親父さんが酒を酌み交わすその一室にもう一人、この場に似つかわしくない白百合の様な少女が立っている。
歳は15、名はリリィ・フルデペシェ。
フルデペシェは母方の姓らしく、父親はアーラウン・プレデリ。
ここダウィフェッド王国の北西に位置する軍事帝国、アンヌ・ン帝国の皇帝、アーラウン・プレデリが悪さをしていたときに出来た子らしく、色々な都合からプレデリ姓を名乗ることは許されていないのだそうだ。
その生い立ちから、幼少期から王の実子や王妃等から母子ともに迫害されていた。
結果、貧困やその他の原因で元々体の弱かった母が倒れる。
リリィは母を必死で看病し、そして母が亡くなる直前、希少な光魔法の才能に目覚める。
そこまでならその後、魔法の才を生かして生きていくだけだったが、彼女とダウィフェッド王国の第二王子、王国国政宰相の息子、王国魔道宰相の息子、そして王国と帝国の間に存在するロズノワル公爵領の一人娘が全員同じ歳であった事が、彼女の運命を暗転させる。
つまり、王国弱体化、或いは公爵領の弱体化の駒として、彼女をダウィフェッド王国の魔道学院に入学させることとなったのである。
聞けば、既に貴族としての立ち居振る舞い、教養は仕込まれているらしい。
王子の趣向も把握済み。
既に公爵令嬢が第二王子の婚約者ではあるが、あらゆる手で婚約を破棄させるように仕向け、王子の婚約者に成り代わる。
最悪それが達成できなかったとして、つまり全てが失敗に終わったときのための最終手段として、公爵令嬢を殺害する暗殺術。
そう、不敗のキンデリック組の噂を頼りに、暗殺術を教え込んで欲しいという、ある意味筋違いな依頼が来ていたのだ。
「ワシも、お前さんがいたから勝ってきたって言う話はしたさ。
だが先方は“ならその男に鍛えさせれば良い”の一点張りでな。
その男には昔命を救って貰った事があってな、裏が見えても恩を仇で返すことは出来ん。
そうして生きてきた。
この誇りを失うときは死ぬときと決めとる。
だからセーダイ、ワシを殺してくれんか。
そうすりゃ、丸く収まる。」
ため息と共に苦笑い。
「親父さん、俺は4年前、アンタに拾われてるんですよ。
恩を仇で返すわけにはいかんでしょう。」
「……すまねぇなぁ。」
お互い無言でグラスを掲げ、そして飲み干す。
決めたのならばやるしかない。
それに、俺の手元に置けるのは有りかも知れない。
しかし、あの転生者のお嬢さんがこれを見越していたとしたら、恐ろしい慧眼だな。
まるで未来が見えてるようだ。
「お話は終わりましたか?
技術はいつ教えていただけますか?」
こりゃまた気の強いお嬢さんだ。
しかし、改めて考えるとこんな少女に俺の技術を教えて良いモノか。
“こんな事なら、プリンセスを育成するゲームでもやっておくんだった”と後悔しながら、白百合のように凜としたその顔を見つめていた。
翌日から、早速訓練に取りかかる。
まずは現在の能力がどんなものなのかと、筋トレや走り込みで状態を見る。
大の大人でも苦しいハードメニューだったが、表情を変えずにこなしている。
息が上がっていても、苦しい、辛い、などの表情がない。
未来から来た殺人機械だと言われても信じてしまいそうだ。
「なぁ、君はその、まるで表情に出ないがしんどくはないのか?」
訓練中に思わずそう問いかけると、彼女は“そういう表情は出さないように訓練されている”と言っていた。
ある意味、既に暗殺者としての基礎的な部分は習得済みのようだ。
ますます困った。
肝心なときに“躊躇ってもらいたい”のだが、このままではそうはならないだろう。
ひと月悩んだ末に、翌月からは教会に併設されている孤児院で子供達の相手をさせた。
集団の子供は、ある種の感情の暴力だ。
案の定最初は戸惑っていたが、ひと月立つ頃には随分と人間らしい表情で笑うようになっていた。
“人間に戻ってくれれば”と願い、午前にトレーニングと稽古を、午後に子供達と一緒に勉強と遊び、というスケジュールで三か月が過ぎた頃には、年相応の少女の様に笑い、子供達と一緒になって遊んでいた。
しかし、まだ見込みが甘かった。
ある晩、試しに“この孤児院の子供の暗殺命令がでれば、実行できるのか?”と聞いてみた所、“出来る”とあっさり答えた。
「私はその為にいます。
いざという時に思考が鈍り、自身が殺されては意味が無い事です。」
鋼のような決意だ。
何をどうしたらこうなれるのか、誰か教えて欲しいくらいだ。
俺も“元の世界に帰りたい”という一念だけで突き進んでるが、それとは違うベクトルのようにも見える。
ただ、そう話した彼女の手が、微かに震えた気がしていた。
そういえば、この少女は何だかんだで貴族の家の出だな、と言うことを思い出していた。
ならばそれに賭けてみよう、という気になっていた。
これが駄目なら、最後の時に俺が立ち塞がるしか無いだろう。
翌日の訓練中に、百歩神拳で鳥を2羽打ち落とす。
“今の技は何ですか?”と珍しく彼女から質問を受けたが、ソレには答えず鳥の1羽を差し出す。
「今日の飯だ。
まだ生きてる。
締めて羽を毟るぞ。」
手で鳥の気道を潰すようにして握る。
柔らかく暖かい。
絞められている事に気付き暴れ出す。
ソレを見た彼女も、青い顔をしながら真似をする。
絞めた鳥の首を、持ってきたナイフで切り血抜きをする。
同じようにやらせる。
血抜きが終わると羽を毟る。
火をおこし、毟りきれない小さな羽毛を炙って焼き切る。
腹を割き内臓を取り出して、肉を用意していた袋に詰める。
近くの小川で手を洗っていたときに、彼女は吐いていた。
まぁ、そうだろうと思う。
自分で解体して肉を手に入れる、なんて経験は貴族ではしないだろう。
それ故に、自分が食べていたものが他の命である、と、これほどに実感できる事は無い。
もういいだろう。
後の調理は孤児院の調理場でやるとしよう。
「これが、俺達が生きると言うことだ。
あの鳥はつがいだったのだろうか?
それとも友人?
もうわからねぇよな、俺等が肉に変えちまったんだから。
……血の通った鳥だからより実感しやすいが、草も木も生きている。
他の生き物の命で、俺達は生き長らえている。
さて質問だ。
お前の背負った運命とやら。
……これより重いのか?」
見つめる彼女は一人の人間として怒っていた。
青い顔をしながらも、これまでの見せてきたどの表情よりも、確かに人間だった。
「あ、貴方に何がわかる!!
母を助けられなかった私はそうしろと、そうするべきだと言われて生きてきた!!
母が死んだあの時、私は自分の力を恨んだ!!
どうして母を助けられないのか!
どうしてもっと早く発現してくれなかったのか!!
どうして……。」
その場に蹲り、声を上げて泣き出す。
近くに寄り添い、頭を撫でてやる。
自分を許せなかったのか。
だから感情を殺し、自分を殺して、駒としての自分でない自分を受け入れたわけか。
そうしてこの子は、自分を痛めつけ続けてきたのか。
「……俺には、お前の気持ちはわからない。
親が死んだ時、せめて俺は幸せに生きて、あの世で“俺はこんなに幸せだったぞ”と自慢することが孝行だと思ったからだ。
俺には子供はいない、だからお前の母の気持ちもわからない。
でも親になれていたなら、きっと子供にはこう思うはずだ。
“いなくなる俺のことなんか良いから、お前は幸せになってくれ”とな。
そしてきっと、どれだけ幸せだったかを、あの世で自慢して欲しいだろうな。」
次の瞬間には抱きつかれて、より激しく泣かれていた。
“娘だったら、抱きしめてやるべきだろうか”などと考えながら、俺はやり場のない両手を見つめ、悩んでいた。




