422:託す想い
「ちょっと待て、つまりは……陸魔族は獣人大陸での戦線を、もしかして維持できていないのか?」
キルッフの言葉を聞き流しかけたが、違和感を感じて聞き返す。
ムッターマの発表が、元の世界でもあった“大本営発表”だというのは解った。
大本営発表という言葉は、開戦当初こそは全ての情報を正しくまとめ、解りやすく臣民に伝える為の報告だったが、後世では粉飾された報告、軍部により事実が隠蔽された報告と、まぁ言ってみれば虚飾の代名詞のようなモノだ。
そして、キルッフのような前線から戻った人間には、ムッターマの発表が“後者の意味”での皮肉だと気付ける。
「流石に、ミッドブルックス海戦から戻ってきたセーダイさんなら、すぐにピンときますか。
そうですよ。
我々陸魔族は、伸び切った戦線をもはや維持できていない。
特に獣人大陸の南、スレイマン諸島群は酷いもんです。
スレイマン諸島の首都ナニアラがある、ガッド・オル・カナル島は、海からの補給が人間族に阻止されてほぼ届かない。
海は殆ど人間族の制圧化に置かれつつある現状、あそこは弾薬も食料も届かない飢餓の島、餓島なんて言われ出してますよ。」
スレイマン諸島は、有力な魔鉱石が採れる事で有名な場所だ。
そこを押さえられると、短期的には問題なくとも長期的には確実に魔族の燃料が枯渇する。
人間族は、短期決戦が念頭にある魔族に対して、長期的な搦め手で締め上げていく算段らしい。
……いや、違うか。
既に勝てるが、可能性の目を潰している、といった方がこの場合は正しいか。
物資があれば、最後まで戦い抜けてしまう。
力押ししか考えず、領土を拡げることしか頭にない魔族と、勝つために着実に相手の弱点を潰して回る人間族。
物資の差はあるとはいえ、これではもう、戦争のプロと素人の戦いだ。
「じゃあ、今まさに海魔族で進行しているスレイマン海戦ってのは……。」
「もう、二次攻略まで失敗してますからね。
次で失敗すれば、或いは既に撤退を念頭に置いているかも知れませんね。」
しまった、と思った。
歴史の勉強を真面目にやってこなかった俺だが、そんな俺ですらも記憶の片隅にある単語はいくつかある。
世界を相手取る開戦のきっかけ、最後まで作戦目標がハッキリせずに敵の被害を確認しなかったため、思った効果を得られなかった真珠湾への攻撃。
敗戦への転換点となる、空母部隊を多数失ったと言うミッドウェー海戦。
強大国の上陸を受けて撤退するも、相当数の餓死者を出したというガダルカナル撤退戦。
大陸でも、強大国からの支援を封鎖するために強引な進攻をやらざるを得ず、結果だけを見られ世紀の愚策と言われたインパール作戦。
そして世界最大の超弩級戦艦大和を失う、レイテ沖海戦。
最後には、あの爆弾。
子供の頃に教わった歴史の教科書や、趣味の延長で調べたあの戦争は、確かこんなだった気がする。
多分この流れの間にも色々な作戦が混じり、色々な出来事があったのだろうが、俺の記憶ではこんなもんだ。
そうして俺の記憶と照らし合わせてみると、スレイマン海戦は、元の世界で言うならソロモン海戦の事だ。
ガッド・オル・カナル島とは、つまりはガダルカナル島なのだ。
“餓島”の単語で、やっと思い出せた。
三次攻略まで行っても阻止され続けたソロモン海戦。
そして敵に撃たれて死ぬより餓死者の方が多かった地獄の島からの脱出、ガダルカナル撤退戦。
既にそれが始まっていたのだ。
「……な、なぁ、一応聞くんだが、陸魔族の方で、大規模な攻勢を計画していたりしないか?
そうだな、例えば人間族やエルフ族からの支援ルートを潰すような……。」
俺の言葉に、キルッフは目を丸くして驚く。
「へぇ、まさかセーダイさんが陸魔族側の情報を持っているとは思いませんでしたよ。
……その通りです。
発案者はムッターマ将軍で、ウ号作戦と呼ばれています。
獣人族への支援ルート、“インペラー”を制圧する為、牛馬を使って物資を陸路で運び戦闘をする計画ですよ。
ムッターマのやつ、“運んだ牛馬を潰して食料にすれば、物資の輸送は最低限で済む”とか言いやがって。
食い終わったら、誰がそれを運ぶんだよと、現地では……。」
「ダメだ!その作戦は絶対に止めさせるんだ!」
ガダルカナル撤退戦と同じか、それ以上に悲惨な地獄の作戦、“インパール作戦”が実施されそうになっているのを聞いて、思わず声を荒げる。
俺の剣幕に驚いたキルッフだったが、諦観の笑いを浮かべる。
「……無駄ですよ、もうダン閣下も承認してしまっている。
我々は、やるしかないんです。」
何かを言い返そうと思った。
例えば、その作戦の結末を。
<セーダイ、“首輪”の存在をお忘れですか?>
言葉に詰まる。
この首輪、ダンの奴も姿を表示しないと見えないようだが、音声はいつ何時聞かれているか解らない。
ここでアレコレ伝えれば、キルッフ自身にも危険が及ぶかも知れない。
「……そうか、やるしかないのか。」
浮かしかけた腰を落とし、席に座って缶ビールを煽る。
「まぁ、一刻も早くこの戦争が終わるよう、僕も僕なりの戦いを続けるだけですよ。」
ふと、今のキルッフがどんな立ち位置にいるのかが気になる。
「そういやキルッフ、お前は今どこの戦線なんだ?」
キルッフの服装は、俺のような戦闘用の服装というわけではなく、どちらかといえばスーツのような魔族軍の制服だ。
礼服、それもどちらかといえば将校用のそれに近い作りをしている。
その言葉を聞いたキルッフは、少し呆れた表情を作る。
「……それを今聞くのも、何かすげぇセーダイさんらしいッスね。
僕は今、人間族との和平交渉を行う外交官やってるんスよ。
またこの後も、人間族に向けて出発する予定なんス。
そうそう、前に獣人大陸にいた時は、“今後他国と外交する以上、前線は見ておけ”っていう上からの命令だったんスよ。
ってか、あん時マジでただの視察のはずが、セーダイさんのせいで死ぬかと思ったんスから!」
「ハハ、スマンスマン。
だが、いい経験にはなったろ?
戦地の空気を感じるには、一度そういう目にあわんとな。」
その言葉を聞いた俺は、話しながら手元にある部品リストの紙の裏側に、ペンを走らせる。
銃の部品を貰いに行った帰りで良かった。
丁度両方とも胸ポケットに入れたままだった。
“すまない、お前が人間族に行くなら頼みがあるが、俺は首輪で盗聴されている”
俺の走り書きを目にしたキルッフは、流石は外交官。
全く表情を変えないまま、俺のペンを受け取る。
「いやいや、狙撃されて死にそうになるとか、あんまりしなくていい経験だと僕思うんスよね?」
“セーダイさんの頼みだ、僕で出来ることであればやりますよ”
お互いに目を見て、頷く。
コイツが今の外交官と言うなら、丁度いい。
俺に出来ない事をやってもらおう。




