403:乙女の涙
人間族の大陸から出発するまでの間、アンバーとは殆ど言葉をかわさなかった。
忌避していたわけではない。
何というか、“触れたら割れてしまう”という表現が正しいかもしれない。
その表情は平静そのものだ。
だが、何かの衝撃で、その内側にあるものが一気に噴き出す、そういう緊張感を漂わせていた。
「おいアンバー、そろそろ出航の時間だから座っ……、おっと、足元ご注意……っと。」
ほんの何気無い一瞬。
迎えに来た魔族の高速艇に乗り込み、船の中の個室に入った後も棒立ちのアンバーに、流石にまずいかなと声をかけようとした時、船が発進する。
よろけたアンバーを背中から支えた俺は、その時が来たことを悟る。
「う、ゔぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」
それはもはや絶叫。
心から、肺腑から絞り出すような、怨嗟の声。
「どうして!どうして!!
教えてくれセーダイ!!
どうしてこんな事になるんだ!?
私は!私はこの戦争を止めたいのに!!
どうして止めさせてくれないんだ!?
この行為に、何の意味があるんだ!!
教えてくれ!
……教えてよ。」
そこにいるのは、魔族総司令官の姿ではない。
のしかかる重みに耐えかね、それでも未来を憂う1人の女の姿だった。
泣きながら俺の襟首を締め上げていたが、やがて力が抜けて崩れ落ちる。
俺に何が言える。
今のままでは、奴の不正能力に打ち勝つ方法も思いついていない。
滅多なことはまだ言えない。
それにここでの会話もまた、奴等に筒抜けだ。
<勢大、試したいことがあります。>
(何だ?何かいい方法でもあるのか?
まぁ何でもいい、試せるうちにやってくれ。)
確定事項しか告げないマキーナが、珍しく試したいと言ってきた。
現状を打破するなら、これに乗らない手はない。
<通常モード、レディ。
ECMシステム、“神薙”、レディ。>
突然通常モードに返信すると、両肩の防具が形状を変え、パラボラアンテナの様な形に変わる。
<勢大の半径3m程度に、防護フィールドを展開しました。
この中なら、一時的ではありますが転生者の能力を無効化出来ます。>
おぉ、これは凄い。
この力があれば、ダンの奴の能力を無効化して力づくで言うことを聞かせることも可能な訳か!
<申し訳ありません。
現在地が、この惑星において転生者から最も遠く離れた場所であり、時間も恐らく5分程度の限定した時間であるからこそ機能してます。
時間が過ぎるか、もう少しでも転生者に近付けば、この機能は無効化されます。>
ダメじゃん!?
とはいえ、今この瞬間においてはダンの支配から逃れている訳か。
なら、この支配の首輪とやらをどうにかすれば、また闇討ちできるチャンスが……。
そこまで考えた時に、眼の前で泣いていた、突然変身した俺に少し驚きの表情で見つめている彼女の姿が目に入る。
腸は煮えくり返っている。
いや、既に煮えくり返り過ぎて中身も無くなり、もはや空焚きしてるくらいのレベルだ。
今すぐにでもこの首輪を無力化し、ダンの暗殺を含めたやり返しを検討したいくらいだ。
それでも、泣いている女を放っておくほど、俺はまだキレていなかった。
『アンバー、今、この空間はジャミングがかかっている。
時間としてはもう5分も無い。
だが、今なら何をしてもダンにはバレないし、危険もない。
お前の束縛を解いて、お前を逃がす事も出来る。
どうするか、すぐに決めてくれ。』
「……お前は、お前はどうするのだ?
私なんかより、お前は自分を優先したほうがいいんじゃないか?」
“俺は良いんだよ、どうとでもなる。”と余裕を見せるが、それがただの強がりであることはアンバーにはすぐに見抜かれた様だ。
「……フフ、お前は不思議な男だな。
私と違い、こんな状況でもまだ出来ることを探している……。」
『俺は、……俺はハッピーエンド厨でね。
せめて関わった奴等が、幸せに生きられればと足掻くだけだ。』
俺の言葉に、アンバーは顔を少し伏せると小さく笑う。
残り時間が気になって仕方無い俺としては焦りだしてはいるが、アンバーの決意を待つ。
笑いが治まったらしいアンバーが顔をあげると、そこには先程までの弱々しい女ではなく、強い意志を持つ将の顔をしたアンバーがいた。
「私も同じだ、セーダイ。
海魔族の、魔族の臣民達を幸せにするために私はいる。
だが、今のままでは誰も彼もが不幸になるだけだ。
……だから私は、お前に託す。
お前なら、最後に盤面を引っくり返してくれる。
……そんな気がするんだ。」
その言葉の意味が、俺には解らなかった。
だが、アンバーはそう言い切ると、自らの胸の中心、心臓のあたりに右手の手刀を差し入れる。
体を貫いたと思ったが、胸の中心に現れた黒い空間に手を入れただけのようだ。
『……収納ってヤツか?』
別の異世界で、転生者が使っていたのを見たことがある。
ゲームのアイテムボックスのように様々な物を収納し、しかも時間が停止したように入れたときのままの状態を保つ便利な能力。
かなり便利だが、そのあまりの有用さにそれを悪用されて、生きたまま“アイテムボックス”扱いされた不幸な転生者もいた程だ。
「少し違う。
これは魔族だけが持つ秘術。
我が半身を与え、能力を渡す限られた秘術だ。」
胸の中心の黒い空間から、青く光る光の玉を取り出したアンバーは、それを俺の胸の中心に押し込む。
<システム、バージョンアップしました。>
仮面越しのモニターに、高速で文字がスクロールする。
早すぎてほとんど読めないが、“火球”や“雷撃”など、いくつかの文字は判別できた。
恐らくこれは、アンバーが使える魔法の一覧なのだろう。
そのスクロールが終わると、視界の端に“MP:65535”という項目が表示される。
アンバーって、実はすげぇ魔力量なんじゃね?これ。
『あ、お、おい、大丈夫か!?』
光の玉を渡し終えたアンバーは、フラリと俺に倒れ込む。
それを両腕で抱きとめてやるが、やはり辛いらしい。
少しの間、俺の胸の内で静かに顔を伏せていた。
「すまない、もう大丈夫だ。
まだ時間はあるか?
少しこの後のことを話しておきたい。」
顔を上げたアンバーは、いつもと変わらない凛々しい表情に戻っていた。
マキーナに確認すると、まだもう少しだけ猶予があったため、互いにこれからの事と知っている事を話し合う。
アンバーからは、俺を改めて海魔族の戦闘部隊に組み込む事。
アンバーから受け取った魔力に関しては伏せ、突如俺に魔力が発現したことにする事。
そして俺からは、知る限りの元の世界で2回目に起きた世界大戦の事。
まだ話したい事はあったし、アンバーの事ももう少し知りたいとは思った。
だがそこで残り時間がゼロとなってしまった。
この時、本当はアンバーのことをもっとよく知るべきだったかも知れない。
この、受け取った力の意味も。
何ともままならない。
人生はいつだって、思い通りにはならないようだ。




