402:最後通告
「次の項目が、今現在の我々が出来る、最大の譲歩となります。」
スプリング長官が、自信があるのか椅子の背によりかかり、足を組むとその膝に両手を組んで置く。
ちらと見ると、その見返りとしては悪くない条件が並べられている。
人間族として、魔族と獣人族は戦争を終結することを望む。
人間族は、獣人族の大陸で新たに出来た国を認める。
人間族は、先の要望が締結されたなら、魔族に対しての経済封鎖を解く。
アンバーの顔付きに、少しだけだが驚きの感情が見て取れる。
そう、条件だけ見れば、悪くない。
事実上の魔族植民地の承認。
おそらくは、“これ以上獣人大陸に深入りしないなら、お前らが勝手に作った国も国として認めてやる”ということだろう。
国とは、実際の所自分が勝手に名乗るだけでは認知されない。
他の国が認めてこそ、世界的に国家として認められる。
獣人共和国は現状魔族が主張しているだけであり、他の種族からの承認は受けていない。
そこを最も国力のある人間族が後押ししようというのだ。
「これは馴染みあるアンバー将軍だからお伝えしますがね、我等も同盟国の争いで少々立て込んでいます。
議会と我等の大統領とで条件をまとめ、飲むべきところは飲んでしまおうと。
これは大統領の草案が元になっておりますので、我々は大統領の名を取って“レイク・ノート”と呼んでいます。
この条件、アンバー将軍ならちゃんと利益を読み取っていただけると信じておりますよ?」
したり顔でスプリング長官とやらは話すが、実情を訳せばダークエルフ族との戦いに集中したい人間族としては、獣人大陸で魔族と衝突している暇はないという所か。
だがそれは、これ以上の戦線は広げられない魔族の内情とも、利害が一致している。
この条件なら、損得感情的には大きくプラス、という所だろうか。
そう言えば、と、思い出す。
元の世界でも、確か“ハル・ノート”という到底飲めない条件を突きつけられて、それがあまりにも無理難題だったから開戦を決意してしまった、と歴史の授業で習った気がする。
だとするなら、この好条件なら戦争は起き無さそうだ。
まぁ、異世界だし、元の世界と同じような流れは辿らんよなぁ、とボンヤリ考えていた。
やれやれ杞憂だったか、と安心しかけた所で、その声が聞こえた。
<この条件だけでは足りんね。
我々魔族は既に獣人大陸の殆どを制圧するところまで来ている。
我等は君達列強諸国に負けない、“獣魔共栄圏構想”の元で動いている。
我々としては、人間族、エルフ族の獣人大陸からの完全撤退、支援の禁止も盛り込んで頂きたいところだ。>
「なっ!?」
そう、結局のところ、俺は元の世界の“商人としての利害”しか考えていなかった。
だから、アンバーの首に着いているアクセサリーから、ダンのさらなる要求が出るなど、これっぽっちも考えに無かった。
思わず驚きの声を上げた俺だったが、それはこの場にいる全員同じだった。
ただ、声には出さず、表情だけのものではあったが。
「……アンバー将軍、今の声はダン元帥の物ということは、それはつまり魔族の総意ということで間違いございませんな?」
「いや、私は……!?」
<アンバー、温い交渉はそこまでだ。
……コード“イレース”発令、我が意を伝えよ、アンバー。>
次の瞬間、動揺して席から腰を浮かしかけていたアンバーは静かに座る。
その表情は能面や人形のように動かず、冷たい。
「……左様、先程のダン閣下の御言葉が、我等の総意です。
我等魔族は、獣人大陸における人間族の撤退のみを望みます。」
「それは本気ですかな、アンバー将軍?
それはつまり、我々との全面戦争の可能性を含んでの発言となりますぞ?」
スプリング長官が、ありえないと呆れ顔をしながらアンバーを睨む。
だが、当のアンバーは一切表情を変えない。
「……くどい、矮小な人間風情が。
我等の底力、見せてやろうか?」
「……傀儡の女狐の分際で、そこまで吠えるか?」
場は、一触即発と言わんばかりに殺意が膨れ上がっている。
俺自身、アンバーの護衛としての役割を果たすべきなのだろうが、正直今のこの状況に困惑していた。
喧嘩を売ったのはこちら側だ。
しかも、綺麗な落とし所を相手が譲歩して用意していたのに、それを後足で砂をかける真似をしている。
どう加勢したものが、良く解らない。
「……た、大変です!
あ、か、会議中失礼いたします!」
人間族の若い男がこの膨れ上がる殺気をモノともせず、いや、それに気づく前に飛び込んでしまったようで、慌てながらもスプリング長官に近付き、耳打ちし始める。
耳を澄まし、微かにだが“魔族”と“侵攻”という言葉は聞こえた。
報告を聞くスプリング長官の表情がみるみる厳しいものになっていくものを見ると、その内容が喜ばしくないモノだとは理解できる。
「アンバー将軍、魔族はまた、獣人大陸への侵攻を開始したそうですな……。」
スプリング長官のその顔には、誰が見ても解るほどの怒りが滲んでいた。
「我等と交渉するふりをしておきながら、獣人大陸への侵略行為を再開するとは……。
我々は侵略をやめれば獣人大陸でのある程度の権利と、経済制裁を止めると譲歩してやっているのだ!
貴様!解っているのか!?
交渉のさなかに侵略とは、何を考えているのだ!!」
状況が見えない。
ただ、この会談のために、戦闘行為が一時的に中断しているとは聞いていた。
つまり、そういうことなのだろう。
この会談は、多分最初から破談する話だった、ということだ。
アンバーは姿勢も表情も変わらない。
「我等はダークエルフ族とも同盟を組んでいる。
ダークエルフ族も、エルフ大陸では無敵の強さを発揮しているようですね。」
「……それが、貴国と何の関係がある!!」
掴みかからんばかりに吠えるスプリング長官に対して、アンバーは冷笑を浮かべる。
「今まで人間族は、そちらの大陸まで届くような大規模な戦いを経験したことはお有りかな?
我等魔族とダークエルフ族が組んだ場合、どうなるとお思いかな?」
その冷笑は、間違いなくダンの表情だった。
スプリング長官は怒りで震える手で書類を束ね、勢いよく立ち上がる。
「結構、どうやらこの問題は、私の手を離れたようだ。
後は、我等のレイク大統領とそちらのダン君が、リングで殴り合うだけの話のようですな。」
ここに交渉は、いや、交渉と呼べるかも怪しい会談は終わった。
言葉の時間は終わりを迎え、後は武力での応酬になる、と、他ならぬスプリング長官が言外に言い捨てて立ち去っていった。
後に残されたアンバーは、ようやくその強制が解けたのだろう。
肩を小刻みに震わせ、その頬を一筋の涙が伝う。
「ともかく、帰ろう。
どうなるかは、これから考えるとしよう。」
アンバーの肩に手を置き、そう声をかけるのが精一杯だ。
元の世界の歴史と重ねるなら、間違いなく宣戦布告するだろう。
俺は戻ったら、ダンに聞いてみたくなっていた。
元の世界での歴史を、どこまで知っているかを。
再開させて頂きます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。




