390:帝国統治者
「っ!?
痛ってぇ……。」
「私は嘘を好まない。
君が嘘をついた気配を感じたなら、そこをどこまでも追求するのが私の役割なのだ。」
彼女が指を鳴らすと、屈強なホットパンツ達が椅子でうずくまる俺の上体を無理矢理引き起こし、目の前のテーブルに押さえつけるようにして頭を叩きつける。
「うぅ……い、いきなり、……いきなり頭をやっちゃあ駄目だぜ。
そうすると、次の痛みが鈍くなっ……。」
喋ってる途中で、上体を起こすためにテーブルに手をついた俺の手の甲に、鞭の柄頭が叩きつけられる。
「……な?
痛みへの反応が、鈍くなっちまってるだろ?」
力を込めて叩きつけたつもりかも知れないが、さっき言いかけた通り、頭の痛みで感覚が鈍くなっている。
手の甲に振り下ろされたソレの痛みを、俺はそこまで感じてはいなかった。
……ってクソッ!
これじゃ映画版蝙蝠マンのワンシーンになってるじゃねぇか!
それならもう少し、ちゃんとネタやらせてくれよ!
そんな事を密かに思いながら尋問官の顔を見ると、俺が余裕だからか怒りと苛立ちを滲ませた感情が、うっすらとその顔に浮かび上がるのを感じる。
「……お前は随分と強情だな?
そこまで意地を張られると、逆に何をそんなに隠そうとしているのか、私は興味が湧いてきたよ。
例えば君は、そうだな。
“人族の密偵で、魔族領で何か工作しようとしている”とかかな?
だから出自にあやふやな事が出てくるのかな?」
なるほど、これまでの状況から、何となく読めてくる。
魔族は今、獣人族の領土に“開放”の名目で侵攻しようとしているのだろう。
そこに人族の俺が旅人としてフラリと来たから、工作員か何かと思い込んでいる訳だ。
「いや、俺は本当に旅をしていただけだ。
生まれは名前のついているような村じゃなくてね。
住んでた奴等も、そこを“村”としか呼んでなかったんだよ。
そんな村が退屈で、フラフラとあちこちを放浪する旅に出ていたのさ。」
「ホウ、ではどうやってここまで来た?
人族の領土からここまで、かなりの距離があると思うが?
それに、旅をしてきたと言うなら、その思い出を教えてくれないか?
君はこれまで、どういうところに行って何を見てきたのかな?」
痛い所をつかれた。
この世界、今まで巡ってきた世界とは少しだけ位置関係や各種族との関係性が違う。
下手な事を言えばボロが出そうだ。
「どうした?旅の思い出を聞かせてくれはしないのかい?」
尋問官の女は笑顔ではあるが、その目は笑っていない。
向こうも、こちらの隙を見つければ容赦なく責め立ててやろう、という意志が見えている。
「ハハ、旅して歩いて、結果的に得た結論としては“所詮どこも一緒”って事ですかね?
お姉さんも、そうじゃないですかな?」
次の瞬間、短い鞭が俺の右頬に思い切り当たる。
解っていたとは言え、当たる瞬間に左側に大きく倒れてダメージを少し受け流すだけで精一杯だ。
「……いやはや、まだ話す前段じゃないですか。
そんなに焦らなくても。」
そうしてのらりくらりとはぐらかし、余計なことを言うたびに打ちのめされても変わらない俺の態度に、段々我慢が出来なくなってきたらしい。
「もういい!いい加減にしろ!!」
先程までの笑顔は消え、立ち上がった女は氷の表情で俺を見下ろす。
「いいから本当の事を吐け!!」
鞭を振り上げるその女の表情を、俺はただ見つめる。
怒り、憔悴、僅かに覗く暗い歓喜。
コイツ、暴力を楽しみだしやがったな。
まぁ、そろそろ本気でしんどくなってきた頃だ。
あまりやりたくはないが、打ちのめしてサッサと退散させていただくか。
「待ちなさい、その人は私が尋問します。」
拳に力が入りかけたその瞬間、小綺麗な服装の若い男が、しかも俺と同じ人間族の男が、薄汚れた尋問室に入ってくる。
「閣下!?
しかしそれでは閣下に危険が!!」
尋問官の女が怪訝な顔で振り返ると、見たところ年齢は俺より遥かに若く、高校生くらい?と言っても通用しそうな青年が立っている。
その青年を見た瞬間、尋問官の女は慌てて姿勢を正す。
俺から見て、入ってきた人物がそれほどの大物には見えなかった。
黒髪に黒目。
マッシュルームカットに面長なその顔は、それなりに整ってはいるのだろうがどこにでもいそうな、それこそどこからどう見ても日本の若者だ。
だというのに、この若者が入ってきた瞬間、尋問官の女は頬を紅潮させ、落ち着きなくソワソワしている。
尋問官の女も、どうやらこの閣下と呼ばれる男にはゾッコンのようだ。
あ、いや、尋問官の女だけじゃなかった。
ホットパンツブラザーズも、彼が入ってきた途端にスクワットとパンプアップを始め、筋肉を活性化したと思ったらポーズを決めながら少しずつにじり寄っていく。
いや、お前等はええねん。
……やれやれ、何だか妙な世界にやってきちまった様だ。
「ともかく、大変なことになる前に間に合ってよかった。
貴女の国に対する献身は、私がしっかりと覚えておきます。
ですが、彼の尋問は先程伝えた通り、私が行います。
では、彼の身は私が預かりますので。」
尋問官は“ありがとうございます!”と喜悦の見える表情で、右手を体の中心まで上げると、握り拳を作る。
恐らくは、この国での敬礼に該当するのだろう。
俺は“こちらへ”と青年に促されるまま、後に続いて部屋を出る。
俺と目があった尋問官の女は不機嫌な顔を見せたが、特に何を言われることもなくその場から出ることができた。
「先程は失礼しました。
彼女は勤勉なのですが、それ故にいささかやり過ぎてしまうところがありまして。
あの、どこかお怪我はありませんでしたか?」
青年に着いていくと、彼専用の馬車なのだろうか。
やたらと豪華な刺繍やら装飾が着いたそれに乗り込むと、親しげに話しかけてきた。
いや、怪我も何も、散々ボコボコにされた後やがな。
「まぁ、色々と聞きたいことがあるが、先に自己紹介くらいはしておいた方が良いんじゃないか?
あぁ、俺は田園 勢大という。」
「これは失礼しました。
僕は越谷 南と言います。
元の世界では17歳の、高校2年生だったんですが、今はこのアンヌ・ン帝国の統治者に担ぎ上げられちゃいました。
お名前からも見た目からも、アナタも日本人ですよね?
アナタも転生してきたんですか?」
今回は幸先がいい。
いきなりこうして転生者と会えるとは思わなかった。
俺は、自分が元の世界で死んだ“転生者”ではなく、元の世界に戻るために異世界を渡り歩く“異邦人”である事と、今までの旅の流れをざっと説明する。
ただ、それを聞いた越谷君は、とても微妙な表情になっていた。
「……そうですか。
それでは、コチョウがこの世界にいるかまだわからないんですね。」
「コチョウ?コチョウってアレか?
“胡蝶の夢”の、コチョウって事か?」
蝶になった夢を見た男が、目が覚めた時に“蝶になった夢を見たのか、それとも今が蝶の見ている夢なのか”と悩む、何かの思想的な話だったはずだ。
この青年、転生している今の自分と重ね合わせているとしたら、中々に賢人と言えるのではなかろうか。
「あ、いえ、妹の湖町が、もしかしたらこの世界に転生してきているんじゃないかと思ってまして。」
全然違ったわ、クソが!




