385:広がる不信
1階ラウンジのソファーに座る、凍ったオーナー。
その首元はパックリと真横に割かれている。
そこから胸前にかけて血液が大量に流れ出した様で、両腕や服などが黒ずんでいる。
相当な出血だったのだろう、ということが伺える。
凍ったオーナーの表情も、何かを見て絶望したかのような、驚いた表情をしている。
「……事故?いや、流石に無理があるか。」
バカップルの男の方、不本意ながら俺と同じ名前をもつハジメ君が、何故だか突然冷静に検死をし出す。
凍った遺体に極力触れないようにしながらも、どう言う状態にあるのかをチェックしている。
「最初にオーナーを発見したのはマリンさんと田園さんでしたか?」
「え、えぇ、御手洗に行った帰りにキッチンでお湯を沸かそうと下りてきた際に人影が見えたので、すぐに私を呼びに来たそうです。
私と2人でここに来て、ラウンジの灯りを付けたところ、凍っているオーナーを発見しました。」
その後、マリンちゃんは悲鳴を上げて倒れ、田園さんが介抱している内にゾロゾロと俺達皆がここにやって来た、と言う事らしい。
皆を見れば、大抵は困惑したような、驚いたような青ざめた顔をしているが、その中でもケイちゃんは特に酷い。
最早顔色は青ざめているのを通り越して、雪のように真っ白だ。
「……あの、ケイさんでしたっけ、大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、ケイちゃんはビクリと体を震わせ、怯えたように俺をマジマジと見つめてくる。
あ、ハイその表情で傷付きましたー、ハイ俺のギザギザハートが子守歌歌ってるー。
「……そんな事はどうでも良い!
こ、コイツを殺したのは誰だ!?
私がカタキをうってやる!」
田上の旦那さんの方、笛堂さんが昨日までの紳士な表情とは打って変わり、凄い激昂した顔で俺達を見回している。
毎年遊びに来ると言っていたから、かなり親しく付き合う仲だったのだろう。
友人が殺されて、そのやり場のない怒りが俺達に向いていた。
「落ち着いて下さい。
まだ誰がやったか解らないんです。
もしかしたら外部から来た人間の仕業かも知れないんですから、変に疑うのは……。」
「そ、そうよ、昨日脱走した連続殺人鬼の仕業よ!
アイツ、御伽話の斬り裂き魔って言われていた殺人鬼なんでしょ!?
きっとそうよ!」
田園さんが笛堂さんを落ち着かせようとしたところ、田上さんの奥さんの方、杵子さんが遮るように叫ぶ。
後から教えて貰ったが、昨日のニュースね出ていた連続殺人容疑で捕まっていた均照という男には、“御伽話の斬り裂き魔”という何だか厨二チックな二つ名があるらしい。
……いや、それ言ったのマジで誰よ?
ソイツ相当な厨二病よ?
ともかく、ソイツの手口は縛り上げた対象の喉を斬り裂き、死ぬまでの苦しみもがく時間を眺めるという、とてつもない変態さんだという事だ。
「……本当に、そうでしょうか?」
またハジメ君がしゃしゃってくる。
いやお前今は黙っとけよ。
「連続殺人犯は、相手を縛り上げて喉を裂くと聞きます。
でもオーナーさんの姿、縛り上げられた様子はありません。
どちらかと言えば、凍えて震える様な姿に見えます。
喉を裂かれた人が、その傷を押さえもせず、寒さを気にするでしょうか?」
しゃしゃってくるだけはあるのか、妙に説得力あるその言葉に促され、俺達は改めてオーナーだったらしい人の遺体を見る。
確かにその通り、首元の傷を見なければただ寒さに震えている人の亡骸に見える。
斬られたことは無いが、首斬られたらそりゃ痛いんじゃ無かろうか?
そこを押さえておらず、両腕は体を抱きしめるようにしっかりと巻き付けられている。
どうにも、それは確かな違和感だ。
「そんな事、今論じていて何になる!
もう良い!この中の誰かがコイツを殺したかもしれんのだぞ!
サッサと警察を呼べ!」
笛堂さんが怒鳴ると、田園さんが何となく申し訳なさそうにしている。
「それがですね、実はこの山荘の電話線が全て不通でして。
私は携帯電話を持っていないので、どなたか通報して頂けないでしょうか。」
その言葉に、数人がポケットから携帯端末を取り出す。
ただ、口々に“通信できない”や“ログボ貰えないじゃん”などと言い合っているところを見ると、どうやら電波自体がこの山奥には届いていなさそうだ。
ってかログボって言った奴誰だ?
「グヌヌ、じゃあ車で麓の町まで行けば良いだろう!
別に離れ小島という訳では無いだろう!」
「いえ、昨日から猛吹雪が続いています。
こんな状態で外に出たら、半日持たずに凍死しちゃいますよ。
この吹雪も、明日の夜には落ち着くと予想が出てますから。
食料も水も、十分すぎるほど在庫はあります。
各部屋にも、閉じ込められた時用に3日分の水と非常食が備蓄してありますので。
だから今は、取りあえず落ち着いて皆で一緒にいましょう。
もし外部から来た存在がコレをやってるなら、一緒にいれば手を出しづらい筈ですから。」
田園さんが駄々をこねる子供に優しく言って聞かせるように、笛堂さんに状況を説明する。
「グ、グ、グ、クソッ!
こんなとこにいられるか!
私は部屋に籠もらせてもらう!」
笛堂さんはそう言い捨てると、奥さんの制止もきかずに2階の自室に戻り、部屋に入ると鍵を閉めてしまう。
あーあ、次の犠牲者アイツじゃねぇかなぁ?
……ってか、アレ?奥さんどうするの?
「困りましたね……、杵子さんは、お嫌でしょうが元々オーナーの私室だった部屋を……。」
言いかけて、田園さんが止まる。
どうしたんだろうと皆の視線が集まる中、田園さんは照れたように頭をかく。
「あ、いや、すいません。
今この話をしているときに、朝食の準備をしなきゃと思いましてね。
その考えの延長で、そう言えば漏斗様がまだお見えでないな、と、ふと思ったモノですから。」
言われて皆思い出す。
彼は全身黒ずくめで、昨晩の食事時にも姿を現さなかった。
つまり、誰もその顔を見ていない。
「……もしかして、グリムリーパーは乱酔さんだったりして。」
安穏さんが冗談めかして呟くも、皆その可能性を考えていたのかも知れない。
ここまで大騒ぎになっていても全く部屋から出て来ようとしない。
少し前の俺のように、ガチコミュ障だったなら多少は解る。
いや、それでも、多分俺だとしてもドアをそっと開けるなり何なりして、今がどういう事態になっているかぐらいは把握しようとする筈だ。
コミュ障は周りの音に弱いのだ。
とりあえずこのままでは皆気味が悪いだろうからと、田園さんがオーナーの遺体を外にある追加貯蔵庫に運んでくれた。
一応、後で何かの助けになるかもと、ハジメ君が携帯端末で写真や動画を撮りまくっていた。
その後、朝食の前に皆で乱酔氏の部屋を訪ねようとなり、俺達は2階の奥にある目的の部屋に向かう。
ノックしても何をしても反応が無く、緊急事態だからと田園さんがマスターキーで部屋を開ける。
「……これは……?」
開かれた窓、窓から放射線状に降り積もる雪。
その部屋には誰もいなかった。
ただ、開かれた窓から吹雪いた雪が入り込み、静かに部屋を浸食していた。




