34:アタル・キタミヤ
北府 中はいわゆる中流階級の、一般的な家庭の長男として生まれる。
父はそこそこ名前の知れている商社のサラリーマン、母は専業主婦の家庭で育つ。
数年後に弟、妹ができ、三人兄弟の五人家族として平凡な幼少期を過ごす。
小さい頃から頭はよくそこそこ勉強もでき、県内で上位と言われている高校に入り、両親に将来を期待されていた。
そこまでは順風満帆だった。
転機が訪れたのは大学受験。
当時付き合っていた彼女と共に目指した大学に、彼だけが落ちる。
滑り止めはいくつか合格していたが、彼は付き合っていた彼女の大学にこだわり留年を決意する。
彼なりに努力はした。
だが現実として、結果はついてこなかった。
翌年も受験に失敗し、彼女には大学のサークルで知り合った先輩という、新しい彼氏を紹介された。
その時、全てがどうでもよくなった。
アルバイトをしながら日々を惰性で過ごしていた。
弟が、自分が行こうとしていた大学に現役合格したことが、更に拍車をかけた。
自分を嗤う世間の幻覚が見え、家から出ることが怖くなった。
家にいれば母親が慰めてくれたが、それが返って彼の自尊心を傷つけた。
更に狭い自分の居場所、自分の部屋から彼は出られなくなった。
いつ寝ていつ起きたかわからない生活。
退屈な時間はネットとゲームで潰した。
そうして数年たったある日、コントローラーにくっついている白髪を見つけた。
たった一本だったが、それは彼にとって無限にあると思っていた時間に、確かに限りがあることを気付かせる、重大な証拠だった。
“このままではいけない”
“嗤われてでも、生きることを足掻かなければ”
どうしていいかわからない彼は、ともかく近くの職業安定所に相談に行こうと考えた。
外に出るのは怖い、自分を嗤う目が怖い、声が怖い。
それでも精いっぱいの勇気をもって、外に出る。
“職安に行ってくる”と母に告げると、涙を流していた。
久々に見た母は、記憶にある母より老け、小さく見えた。
すれ違う人と目が合わない様に下を向き、嗤い声が聞こえない様にヘッドフォンで音楽をガンガンにきかせて、通りを歩いた。
だから、赤信号を無視する自動車に気が付かなかった。
気付けば真っ白い地面に、青空がまぶしい空間にいた。
目の前に地面と同じように白いガゼボが立っており、そこに白い衣装を着た女性が紅茶を飲んでいた。
その女性はこちらに気が付くと、優しく微笑んだ。
「おや珍しい、この空間に来ることができる才能を持っているのですね。」
女神は自分を“特別な存在”と呼んだ。
“特別な存在”である自分にしか出来ない事があると。
魔族に苦しめられている世界があるが、神である自分は関与することができない。
だから、ここに来ることができる才能ある人間を待っていた、と。
アタルは狂喜した。
やはり自分は特別な人間だったのだと。
ネットで散々読んだ“異世界転生モノ”が、自分にも巡ってきた、と。
女神の祝福により、その世界で最強の力をくれると約束された。
世界を旅すれば、神によって作られた、自分のための武器も入手できるらしい。
しかもこれから行く世界は、自分にとってよく知る内容らしい。
喜び勇んで彼は転生した。
ただ、心のどこかでは、出かける前の母の涙が引っかかっていた。
世界に降り立った彼は、近くの草原で起きた騒ぎを聞きつける。
高貴そうなエルフの女性を守るように陣を構える兵士、それを取り囲む山賊たち。
兵士達は勇猛だったが、何せ数が多い。
蹂躙されるのも目前だった。
“マーブの木の導入部分だ!!”
彼はすぐに気付いた。
何周もやりこみ、縛りプレイもレアアイテムの取得もタイムアタックも、何もかもやりつくすほど夢中になったゲームだからだ。
ステータス画面が見られるかと思い試せば、目の前に画面が開く。
ステータスもレベルもスキルも、イベントで解放されるモノを除き全てカンストしていた。
しかも、装備も1週目クリアでもらえる勇者シリーズを装備している。
イベント戦の魔拳将以外なら、これで十分と言われる装備だ。
これなら序盤の山賊程度に、負ける方がおかしい。
飛び込んでいったときには、最後の護衛の兵士がやられたところだった。
夢中で山賊を退治し、エルフの王女から事情を聴くと、まさしくマーブの木物語の序盤だった。
ならばと王都までの護衛を承諾し、近くで馬車を貸してくれる始まりの村へ急いだ。
本来ならばここで経験値を稼ぎつつ村人と親交を深めるのだが、カンストしている彼にはもはや関係ない。
2周目プレイの鉄則通り、村長の娘に事情を話しショートカットで王都に急いだ。
その後はイベント通りに魔法学院に入学し仲間集め、そして本来はここらで最初の村の壊滅イベントが起きるはずだが、何も起きないので先に魔法学院に秘匿されているダンジョンで封印スキルの解放。
ついでに力をつける前の四天王“魔道将”を退治し、イベントを先回りでクリアしておく。
「……というのが、僕が体験してきて、恐らく勢大さんが知らないこれまでです。」
確かに。
それ以降は、俺も何となく知っている。
原因を作っていたり、居合わせたりしているからな。
「……やっぱり、僕はろくでもないですよね。
運が良かっただけなのに、それでイキがって調子にのって。」
「……ムカつくな、テメェ。」
彼は“ハハ、そうですよね。”と呟き俯く。
アルスル王女が何か言おうと息を吸ったのを見て、先に言葉を発する。
「自分で、自分を嗤うな。」
アタル君がこちらを見る。
目の奥には怯えがあった。
「前の人生では、結果はどうであれ最後には足掻こうとしたんじゃねえか。
それはそれで立派だ。
この世界に来てからも、筋書き通りに乗せられていたとは言え、人を救ってるじゃねぇか。
なら胸を張れよ。
俺が腹が立つのは、ウジウジと後悔し、“今”を見ないお前の有り様だ。」
「ぼ、僕は……ずっと家族を困らせて、それで、それで、父さんと母さんを喜ばせたくて……、それが、そ、それがっ、心にずっと残って……。」
アタル君は最後まで言うことは出来なかった。
静かな室内に、彼の泣き声だけが響く。
俺は少しだけ理解した。
転生を受け入れても、彼の心の奥底には“前世の未練と罪悪感”があったのだろう。
もしかしたら、いつかはこの世界を捨てて前世に帰る方法を模索し出したかも知れない。
だから、あの自称神様に“叛意有り”と認識されていたのだ。
ようやく、何故自分がここに召喚されたのか、理由がわかった。