331:チュートリアル~平穏な昼下がり~
「……本当に、アレで良かったの?」
士官用に割り当てられた一室。
手狭なベッドの上で、男に絡みつくようにして身を横たえている女が口を開く。
「……何が?」
「とぼけないでよ、あのオッサン。
……タゾノだっけ。」
男はゆっくりと女を剥がし、テーブルの上の電灯を点けるとウイスキーの入ったグラスを手に取り、喉に1口流し込む。
「何だよ、妬いているのか?」
女も素肌にシーツを巻いただけの格好で起き上がると、男からグラスを奪い取り、自身も琥珀色の液体を流し込む。
「えぇそうよ、またアナタの悪い癖が出たと思ったわ。」
男は薄く笑うと、女から戻されたグラスに、新しいウイスキーを注ぐ。
「俺は最初、あの男を見たときに“人の皮を被った化け物が来た”と思ったよ。
身に纏う空気、それと特にあの目だ。
あれは何度も死線を潜ってきた兵士の、いや、戦士の目だ。
ここで手放したら、絶対に軍に行くだろうという確信があったからな。
あの場で、何としてもこちら側に引き込んでおきたかった。
……あんなのが来るなら、ヒガシカワは手放しても良かったくらい……いや、やっぱり惜しいな。」
「ほぅら、また始まった。
人たらしはアナタの美点でもあり、欠点よ。」
注いだばかりのウイスキーを、女は拗ねたようにひったくる。
“おいおい”と男は苦笑いしながらも、渡されたグラスに僅かに残ったウイスキーを、喉に流し込む。
「それじゃあ、拗ねたお姫様には何が効果的かな?」
女はまたベッドに横になると、身を包むシーツを解く。
「では命令よ、ハワード少尉。
女の子はちゃんと慰めなさい。」
「ハイハイ、リン閣下殿。」
テーブルの上の電灯が消され、ハワード少尉は命令を実行するためにベッドへと潜るのであった。
「いやはや、スッゲぇなぁ。」
俺は今、街の中、いや、街の中にある公園のベンチに座っていた。
今日は日曜の昼間だったようで、公園の中も人通りが多い。
そう、宇宙船の中に街が、公園があるのだ。
宇宙船の中に円筒形の可動部があり、ソレが回ることにより重力を発生させているらしい。
その円筒の中には戦闘員、非戦闘員合わせて10万人以上が住んでいるというのだから、もう俺にもこの船のサイズがどれくらいなのか、見当もつかないほどだった。
(そういや、なんでコレ系のサイズを測るときに、“東京ドーム何個分”とかって言うんだろうなぁ……。)
<勢大、バカなことを考えている暇があるなら、こちらのマニュアルを見ておいた方が良いかと。>
くっ!
またマキーナ先生に怒られてしまった。
<あまりバカなことを考えていると、今回操縦サポートをしませんよ?>
くっ!
……いや、もういいか。
宇宙船の中とは思えないほどに平和な地上の風景に、俺も何処かのんびりとした気持ちになれる。
そんな気持ちでマキーナが表示する情報を最初はボンヤリと眺めていたが、段々と魅入り出していくのが解る。
(ショック吸収フィールド?可変レバー?)
あの格納庫で見た機体の情報が表示されている。
ロズノワル社私設警備隊仕様、90tクラスALAHM“グリフォン”の基礎スペックが次々と表示されていくのを見て、心が躍らずにはいられない。
あのシミュレーターでの体験は、どうやら実機さながらだったようだ。
この時代の、なのか、90tクラスだからなのかは解らないが、コクピットの周囲にエーテル粒子を使った保護フィールドを展開しているようだ。
それにより、強烈な負荷の殆どを軽減することに成功している。
また、機体の周囲にもエーテルフィールドは発生しているようで、これにより旧時代の兵器は全て無効化されているようだ。
このフィールドを貫くには戦艦の主砲クラスか、エーテル粒子を弾丸とした各種武器でフィールドを減衰させ、そしてフィールドが弱ったところを撃ち抜くしか撃破出来そうに無い。
まさしく元の世界にあった“まずはプライマリーなアレを削るんだ!”的な感じになるわけだ。
そしてそんな弱るまで撃ち続けていれば弾が無くなるだろうと考えていたが、どうやらエーテル粒子の弾丸は外部のエーテル粒子を取り込んで、武器の中で精製できるらしい。
つまりは、武器その物が故障や破損をしなければ、半永久的に弾が撃てると言うことだ。
まぁ、流石に内部部品は、10万発程度で交換推奨とマニュアルにはあったが。
そしてどうやら100tクラスは統合政府軍しかもってはいけない決まりのようだが、基本スペックは100tも90tもそこまで変わりはない。
大きく違うとすれば、軍用は変形機構が存在していない。
ただ、変形しなくても90tクラスのエア形態と同じ様に空を飛べるところ、だろうか。
まぁ、変形した90tの方が速度は出るし、しかも単体で大気圏を出入りできる。
でも90tの方は変形機構のせいでそこまで武装を積むことが出来ないため、ますます単純な比較が出来ない。
甲乙付けがたいとは、まさにこの事だろう。
100tがそのままでオールマイティの完全無欠なら、90tは機動力に秀でた特化機体と言うところだろうか。
「ママ~、あのおじちゃん1人でずっとブツブツ言ってるよぉ。」
「シッ、見ちゃいけません。
大人はね、疲れているときは色々あるのよ。」
しまった!?
優しげな笑顔で、“私は解ってますよ”的な慈愛の表情を浮かべた奥さんに同情されとる!?
この時代、電話に相当する通信装置はあるようだが、周囲の誤解防止のために顔の少し前辺りに“通話中”というウインドウが表示される。
つまりそのウインドウが表示されてないで何やらブツブツ言っていた俺は、言わばぱっと見“何か一人言を呟いている仕事に疲れた中年のオッサン”に他ならない。
実年齢自体は周りにいる奴等の方が年上かも知れないが、俺の外見はこの時代のようなアンチエイジング化はされていない。
見た目だけで言えば、この世界の住人から見ても充分中年の部類だろう。
「さ、さぁ~てと、何か小腹が空いたなぁ~!」
最早“一人言の多い愉快なおじさん”を通すしかない。
ベンチから立ち上がり、体操をしているフリをしながらそそくさとその場を離れる。
子連れの奥さんが終始“解ってますよ”笑顔なのが辛いが、気にしたら負けだ。
公園の隅にある屋台で、アイスクリームを売っているのを見かける。
“どんなに時代が進んでも、変わらないモノもあるんだなぁ”
そんな事を思いながら、俺は何となく屋台に近付く。
幸い、身分証が発行された際にオマケとして幾らかのクレジットを貰っていた。
ここでアイスを買うくらい、どうと言うことは無い。
「キサマ、ここでの営業許可証は取っているのか。」
懐かしさと物珍しさから屋台に近付こうとすると、一足先に黒づくめにプロテクターを付け、タスキ掛けにしたライフルを背負う2人の男達が店主の胸倉を掴むと、地面に引き摺り倒していた。




