29:仕切り直し
“シッ”と音を立て、肺の空気を抜く。
本当の本気、全力で大地を蹴る。
泥濘を駆け出すときのように、地面が崩れて滑るが、構わず一歩、二歩と加速する。
三歩目に到達するときは、視界が真っ赤になり、蹴った大地の破片が空中で止まったように感じる。
上体を揺らさず足だけで前に進むが、地面を蹴るたびにその部分が崩れて、ゆっくり後ろに吹き飛び始める。
景色がスローモーションの様になり、空気が重くへばりつく。
まるで透明な粘土の中を進んでいる様に重い。
前にランスの世界で試したときは、手甲や足甲や胸当ての防具が邪魔で前に進めなかった。
防具そのものが空間にくっ付いてしまったかのように、押して動かすだけでも物凄い力が必要だった。
そこで防具を外し、更にスーツ自体も体への密着度を上げる工夫をしていたのだ。
それをマキーナに“ブースト”モードとして記憶しておいて貰っていた。
どうせ自分から防具を外すときは、これをやるだろうから。
ちなみに生身のままでも出来るが、顔の皮膚や“どことは言えないが大切な部分”がちぎれるんじゃ無いかと思うくらいに引っ張られて、後々に超激痛を感じてのたうち回る事になるので、生身でも出来なくはないが、極力マキーナを着ているときにしか使わないように決めていた。
真っ赤な視界の中、魔拳将のがら空きの胴体、その中心部から少し上、胸の中心に時計盤と見立て、0時の位置に左の掌底を打ち込み、その左手の上から右手の掌底を打ち込む。
『零は水波紋。』
そこから1時の位置に右手の掌底、右手の上から左手の掌底を重ね当てる。
それを交互に2、3時の位置にも当てる。
『参は波模様』
続けて4、5、6時の位置に当てる。
『陸は剣矢来菱』
“人間なんざ、革袋の水と同じ様なモンだ。”
昔、師匠から“鎧通し”を教わった時の言葉を思い出す。
7、8、9時の位置に当てる。
『玖は格子』
“革袋の中の水が描く波紋、それを意識しろ。”
現役時代は一度も成功しなかった。
でもそれで良かったと今思う。
学生の部活動で教えて良い技じゃ無い。
改めて、師匠が何者だったのかを、不思議に思う。
10、11時の位置に当てる。
『顕れしは菊波紋』
胸の中心、人間であれば心臓の位置に狙いを定める。
『乱れ、乱れし菊波紋』
円の中心に、左手の掌底、右手の掌底を重ね当てる。
力を入れすぎたせいで左手の骨が折れる音がしたが、気は抜かない。
即座に拳を引き、一歩分下がり、構え直す。
防具の向こう、人体に直接影響を与える打撃術“鎧通し”。
それの同時13連撃だ。
並大抵、いや並以上でも必殺の攻撃だが……。
そんな思考と共に、赤一色だった世界に色が戻る。
“ドン”という音と共に、魔拳将は吹き飛び、周囲に衝撃波が襲う。
「ォオぅウゥウぅぅ……。
アガァ……。
グゥウゥゥゥ……。」
目、鼻、口、耳と、至る所から青い液体を吹き出し、ひっくり返った虫のようにもがき苦しんでいる。
あの青い液体は、恐らく血液か。
なら効いてはいるか?
『おっさんの喘ぎ声とか、聞きたくない声No.1だな。』
苦しみ、もがき暴れ回る魔拳将の鎧の隙間からも、青い血が流れ出し、皮膚が至るところで波打っている。
いける?いけちゃう?
「アァアァァ……。
な、何を……グゥウゥゥゥ……何をした……。」
魔拳将はもだえ苦しみながらも、何とか四つん這いの姿勢になり、こちらを睨み付ける。
……ヤバいな、やっぱり倒しきれないか。
“この世界のルール”を甘く見すぎたか。
だが、あくまで平静を装う。
『何って、ただの殺人技術だよ。
俺が教わった流派にすら無い、俺の師匠が誰かから受け継ぎ、そして俺等が教わった技術でね。
名を“乱れ菊波紋十三撃”という。
……どうだい?脆弱な人間が積み重ねてきた歴史の味は。
中々に驚いただろう?』
魔拳将は上体を起こし、立て膝立ちになった。
その巨体で隠そうとしたのかも知れないが、背中に僅かに黒い渦ができかけていたのは見逃さなかった。
「に、人間には……、確かに、おど、ろかされる、な。
次、は、こうは、いかん。
転、移……。」
魔拳将の背中に発生した黒い渦がその体を飲み込む瞬間、彼の頭と胸の中心を狙って百歩神拳をお見舞いする。
渦に飲まれながら頭は弾け飛び、胸の中心には穴が空いた。
世界のルールを越えられなければ、どうせ再生して復活するだろう。
でも、多少は時間を稼げたはずだ。
少なくとも、アタル君が“選定の剣”を入手して、俺と話をするぐらいの日にちは。
安全を確認し、構えを解いて後ろを振り返ると地面がえぐれており、土埃で霧のような状態になっていた。
南からの風が、その霧の塊のような土埃を徐々に取り去っていく。
その土埃の中から、全身が茶色になったアタル君がヨロヨロと歩いてくる。
うん、中々に酷い状況だ。
アタル君今なら“土の勇者”とか言われてもおかしくないと思う。
「せ、勢大さん、終わったんですか?」
あ、“さん”付けに戻った。
『あぁ、一応は終わったんだろうな。
やっぱり君の言うとおり、倒しきることは出来ないみたいだったけどね。』
とりあえず仲間の三人を助け出す。
半ば土に埋もれていたが、命に別状は無さそうだ。
助け終わり、土を払ったアタル君がこちらに近付く。
もう剣はしまっていた。
ただ、俺はまだマキーナを解除はしなかった。
「さっきの技……。」
マキーナは解除しないが、敵意は無いことを見せるために、ドカッとその場に座る。
アタル君も同じように地面に座った。
「さっきの技、勢大さんが消えたと思ったら魔拳将の所にいて、凄い音がしたと思ったら衝撃波でアイツが吹き飛んでいました。
あんな技はマーブの木物語には無い技です。
だとすると、本当に勢大さんは別の世界から転移してきてて、その、僕を殺す予定なのですか?」
おいおい、一人称変わっとるがな。
それとも、こちらが彼の素なのだろうか。
『最初に言った通りさ。
君に求められたなら、そうする。
でもそうで無いなら、別の方法を調べたい。
その為にも君の力が必要だ。』
彼が憔悴しているのは見てわかった。
今は元気付けてやるべきか。
『おいおい、キルッフをぶっ倒した勢いはどうしたんだ、カンスト勇者様。
お前のそんな姿、女の子達が見たら悲しむぜ。』
気配で、村娘さんは意識を取り戻しているだろう事は感じていた。
だが、彼女なりに気を使ってくれる様だ。
それに甘えさせて貰おう。
「ぼ、僕は、その、格好いい男を演じたくて……。
自信あるような振る舞いはしてても、ホントは凄く怖くて。
だから……。
……ところで、キルッフって誰です?」
哀れキルッフ。
お前の名誉は、俺がそのうち回復させてやるぞ。
覚えていたら。
『まぁ、言いたいことも話したいことも沢山あるんだが、そろそろ村の方も騒がしくなってきている。
一旦ここでの出来事は、君があの魔拳将を追い返したことにして、後日改めて話さないか。』
先程の衝撃波と土埃で、村が騒がしくなっているのは聞こえていた。
流石にもうそろそろ、騎士団が駆けつけてきそうだ。
「そんな、勢大さんの手柄を横取りするなんて……。」
『俺はいずれいなくなる異邦人だ。
話をややこしくしないためにも、頼む。
まずは、選定の剣を回収してきてくれないか。
また魔拳将に邪魔された時に追い返すだけではかなわん。
普段は王都の冒険者ギルドで仕事を受けてる。
そこに来て貰うか、“何処其処に来い”と伝言を伝えて貰えれば、そこに出向くよ。』
遠くから“アタル殿~!”と騎士団の人々が声をかけながら、近付いてくる音が聞こえる。
その声がアタル君にも聞こえたらしく、仕方なしに頷く。
話が纏まったなら、急いでここから逃げねば。
立ち上がった俺に、メイスの握り手側が差し出される。
「あ、あの、これ、必要だと思って拾っておきました。」
村娘のケイさん、だったな。
よく出来た娘さんだ。
『ありがとうお嬢さん。
あんたウチの嫁さんみたいに、良い奥さんになるよ。』
真っ赤になる少女を微笑ましく見ながら、メイスを受け取り宵闇を疾走する。
視界の左下の数字は、30.01まで減っていた。




