267:召喚魔獣田中さん
「だ、大丈夫ですか!?」
目の前で、椅子に座り蹲るバーコード頭の華奢なオッサン。
もう完全に事件臭しかしないが、店の人達は慣れているのか驚く様子もない。
「あ、あいててて。
お、驚かせてしまいましたね。
私は大丈夫ですので。
……少ししたら回復しますから、どうか落ち着いて。」
本人も何一つ動じていない。
俺もこれでは何もしようが無い。
仕方なしに椅子に座りなおし、目の前のオッサンが回復するまで黙って様子を見る。
(ん?何だこの回復の仕方?)
確かに、徐々に傷口が閉じるのだが、体中に付着していた血も消えていく。
黒縁メガネも割れていたのだが、その罅さえも時間と共に治っていく。
まるで、彼だけが時間を逆回ししたかのように、無機物さえも修復していく。
髪の毛の乱れも直り、本当に十分近く経過すると、肉体はおろか服装に至るまで、食事をしにこの定食屋に入ったときのままの姿に戻っていた。
「ね?大丈夫でしょう?」
「いや、まぁそうなんですが……。
一体どういう……?」
正直何が何だかさっぱりだ。
目の前の彼は女将さんに自分の分のコーヒーを頼むと、俺のコーヒーのお替わりも合わせて頼む。
コーヒーが来て1口啜ると、漸くホッとしたように口を開く。
「いやぁ、私は緑茶派なんですが、中々この世界では緑茶は馴染みが薄いようでして。
暫く飲めていないので、ちょっと寂しい限りですよ。
あぁ、話が逸れましたね、さっきの話ですよね。
そうだなぁ、何処から話したものか……。」
彼は久々に同郷の俺に出会ったからか、少し饒舌にお茶の話をした後、少し考え込む。
「そうだ、こう言うと手っ取り早いですかね。
実は私、召喚魔獣でして。」
「は?え?召喚魔獣……?」
ビックリするくらい端的な結論過ぎて、思わず聞き返す。
「ハイ、召喚魔獣のタナカと申します。」
目の前のこのオッサン、生前は外見通りの、大手メーカー勤務の営業マンだったらしい。
ある日の外回りの最中、信号待ちをしていると自動車が物凄いスピードで突っ込んできて、そのまま跳ねられてしまったとのことだ。
その時の運転手の老人が目を見開いていたのを見て“多分アレはブレーキとアクセルを踏み間違えたんでしょうなぁ”と冷静に振り返ることが出来る彼を、俺は少しだけ尊敬した。
俺なら、多分“恨みで呪い殺す勢いだろう”と思えたからだ。
まぁ、そうして亡くなった彼は、お決まりのあの空間で意識を取り戻したらしい。
そこで、大阪のおばちゃんのような菩薩と出会い、“もう一度、お前が人の役に立つ世界に送ってやろう”と言われてここに転生された様だ。
「……えぇと、それで、何とお呼びすれば?」
「田中、で、結構です。」
俺は言葉に詰まっていた。
だが、元の世界の名前は、この人自身忘れてしまったらしい。
だが、彼にしてみれば前世の記憶など取るに足らないもののようで、“また誰かのお役に立てるんです、これはこれで、私らみたいな世代にとってはありがたい話ですよ。”と、楽しげに笑っていた。
その気持ちは少し解るような、そんなには解らないような感じだ。
俺はそこまで仕事人間というわけでも無い。
やはり俺より少し上の世代は、考え方もハードなのだろうか。
ともあれ、こういう人であれば話は早いかも知れない。
俺は、彼も会った神を自称する存在との関係性や、その危険性と接続解除の事を伝える。
すんなり乗ってくれると思っていたが、俺の話を聞き終えた田中さんは、難しい顔をして目を閉じ、腕を組むと考え込み始める。
「……田園さん、仰りたいことは充分解りました。」
目を開けた田中さんは、何かを決心したかのような表情をしていた。
「田園さん、それでもやっぱり、僕は元営業なんですよ。
だから、僕がそうするように、田園さんも自身の利益へ誘導しているのか、それとも本当のことを話しているのか、僕にはまだ判断が付きません。」
この人は良い営業だったのだろう。
実に冷静に状況を分析している。
その上で、自分の思っていることも含め、フェアに情報を公開している。
それに、俺のような若輩者にすら、敬語を崩さない。
「それでもね、それではきっと田園さんも納得はされないでしょう。
だから、ここで妥協案は如何ですかな?
もし、良ければですが、召喚魔獣の契約には“同伴召喚”と言うものがありましてね。
まぁ、ベテラン魔獣が新米魔獣を教育するための制度らしいんですが、ともかく、それで暫く私と一緒に、この生活を体験して貰えませんかね?」
妙な成り行きになった、とは思った。
だが、ここ最近は特にそうだったのだが、転生された世界で転生者を見つけ、狩り殺すか説得するばかりの旅だった事もあり、俺はこの提案に興味が湧いていた。
“俺が、転生者のようになっていたら、どんなことになっていたのか”
まぁ、こういう世界ではないかも知れないが、参考にはなる。
そこで生きている転生者が何を考え、どう生きているのか。
何事も、経験してみなければわからないものだ。
「勿論、大丈夫です。
それに、丁度良いかも知れませんね。
言葉ではどう取り繕えても、実際に体験すると見方が変わるかも知れませんし。
じゃあ、不肖この田園、田中さんに弟子入りさせて頂きたく存じ上げます。」
テーブル越しに頭を下げる。
田中さんは慌てたように“いやいや、そんな畏まらず”と笑っていたが、この、切り換えというかケジメみたいなモノは必要だろうと思ったのだ。
それを伝えると、田中さんは苦笑いをしながら“今からそんなに気負っていても、疲れるだけですよ”と言いながら、俺にその“同伴契約魔法”とやらをかけていった。
魔法をかけ終わった後に自身の体を見回してみれば、左手の甲に不思議な紋様が浮かんでいた。
これなら“何とかを以て命ず!”みたいな感じで、まだ格好いい方か。
へその下とかにあったら、酷く汚い絵面になるところだった。
さすがに長居しすぎたために店を出ると、取りあえず田中さんが住んでいるという借家にお邪魔しに行くことにした。
俺自身持ち合わせはないし、田中さんもまだ説明していないことがあると言うことだ。
田中さんが住んでいる部屋は、ほぼ単身者用のアパート、といった感じだ。
部屋に入るとそれなりの質のベッドとソファーがあり、俺はソファーで寝かせて貰うことになった。
帰り道で買ってきた惣菜で食事を済ますと、話の続きが始まる。
聞いてみると田中さん自身も誰かから教わったわけではなく、スキルの説明や実体験から得た知識とのことだった。
話を要約するなら、この“召喚魔獣田中”は、いわゆる“低レベル召喚魔法”のようだ。
高位の召喚術士なら“ジン”や“イフリート”、或いは“バハムート”などを呼び出せるらしいが、駆け出しや低位の召喚術士にはそんな魔獣は呼び出せない。
しかしそこまで育つまで召喚獣が呼び出せないのであれば、当然戦闘で役に立たない。
そこで、田中さんの様な、言い方は失礼だが“召喚コストの安い魔獣”を呼び出すと言うことだ。
ただ、低位の召喚魔獣にもある程度のルールがあるらしい。
その話を聞きかけていたときに、目の前に一瞬光の魔方陣が浮かび、俺達二人の体が光に包まれる。
「おや、こんな夜中に潜ってる新人がいるんですね。
……では、残りは現場で説明しましょう。」
この世界での、俺の初仕事が始まる。




