248:旅立ち
「……ぼ、ボブさん?
あなた方は、一体……?」
泣きじゃくるアストライア嬢の頭を撫でていると、ケント青年が恐る恐る近付いてくる。
それもそうか。
こんな荒々しい姿を見るのも初めてだろう。
ましてや、アイリス、いやアストライア嬢の変わり様は、今までを知る分なおのこと理解が出来ないだろう。
「あぁ、ケントさん、申し訳ない。
私の本当の名はセーダイ、セーダイ・タゾノと言います。
こちらの娘も、アイリスでは無く、本当は王国の騎士、“天秤と剣”騎士団長のアストライアと言うんですよ。」
「王国の騎士様……。」
ケント青年達に、少なからず動揺が走る。
“男狩り”をしていたのが王国の騎士だと知った以上、アストライア嬢を見る目は様々だ。
ただ幸いなのは、俺達のこの1年を知っているからか、好意的というか同情的な見方をしてくれている人が多いことか。
「え? セーダイがファーストネームだったのか?
私はてっきりタゾノが名前で、セーダイが氏族を表しているモノかと……。
で、では私は、今までずっとセーダイをファーストネームで呼んでいたのか……?」
あ、そう言えば俺、お嬢に初めて会ったときに“田園勢大だ”と名乗っていたな。
……え? それから今まで、この娘ずっと勘違いしてたのか?
「いや、何を今更。
この世界だって、氏族名を持っていない奴も多いだろうに。
それに、お嬢だって俺に“私の事はアストライアと呼べ”と言っていただろう?」
「ばっ!? おまっ!? 今更とはなんだ!!
私は良いんだ!
私はファミリーネームを名乗るつもりはないからな!
それでも、貴族間ではファーストネームで呼び合うのは家族や、こん、婚約者間だけなのだぞ!!」
顔を真っ赤にしながらそんなようなことを訴えていたが、俺は“はいはい”と適当に相づちを打ちつつ、お嬢を放置する。
「ケントさん、今回は王国の騎士達を撃退できました。
だが、彼女等をこのまま帰せば、次はもっと大軍団になって攻めてくるかも知れません。
何か策を考えてはいますか?」
「儂等は、このまま南に下って、フォスの街に逃げ込もうと考えとるよ。」
俺の問いに、ケント青年ではなく頭に包帯を巻いた村長が答える。
「少し前から皆で話し合っていたんじゃ。
危険を感じたら、フォスに逃げ込もうとな。
フォスの街の長は儂の友人でな。
快く引き受けてくれたよ。」
王都を中心に、北を上にした地図で言うなら、左下にある街、それがフォスだ。
そこから船で別の大陸に移れる、ある種交通の要衝だ。
他の世界ではその別の大陸にはエルフが住んでいたりしたが、この世界では2mを越える長身の、巨人族が住んでいるらしい。
フォスの街にも巨人族は住んでいるらしく、武力としては申し分ないそうだ。
「隣の村が襲われたと噂で聞いてな、移動準備を、と、考えておったが、住み慣れた土地を離れるのは中々勇気がいることでな。
ついつい先延ばしにしておったが、今回の件で覚悟が出来たわい。
何も持たず逃げ出さなきゃ行けないところだったが、助けてくれてありがとうな、ボブさんや。
いや、セーダイさんだったか。
お陰で、荷物も少しは持ち出せそうじゃわい。」
村の皆の顔を見ると、その覚悟は決まっていた。
俺は“そうですか”と返すと、護衛について行こうかと言いかける。
だが、それは村長に、やんわりと断られた。
「儂等村人には大きな事はよう分からん。
じゃが、そこの娘さんの記憶が戻った以上、お主等にはやるべき事があるんじゃないかの?」
これも、年の功、と言うやつなのだろうか。
俺は目を閉じ、頷く事しか出来なかった。
目を開け、改めて村長を見る。
「今までありがとうございました。
この1年間、本当に心休まる時間でした。
いつかまた、どこかで。」
俺はアストライア嬢を連れ、家へと戻る。
「み、皆様、私に優しくしてくれて、ありがとうございました。
では、ご機嫌よう。」
アストライア嬢は、最後まで村の皆を振り返り、手を振っていた。
その姿にアイリスの頃の面影を感じ、俺はそれ以上振り返らなかった。
「さてお嬢、何処までの記憶を持っている?」
家について開口一番、気になっていたことを訪ねる。
あの王城の地下での戦いから空へと跳び上がった後、当時の俺達は深い森の中に不時着していた。
意識の戻らないアストライア嬢を抱え、ボロボロになりながら何とか森を抜け、最初に見えたのがあの村だった。
そして村長から、王城の南西にあるフォスの街に近い農村であることを知ったのだ。
村で何とか空き家を借り受けた辺りで、アストライア嬢は意識を取り戻す。
最初はボンヤリとしていて反応を示さず、時折何かを思い出して絶叫していた。
数日して落ち着いた頃には、お嬢は幼児退行していた。
この時、俺は疲れ切っていたのかも知れない。
転生者もこの世界も、どうでも良くなっていた。
俺自身、元の世界でなければ歳をとらないらしい。
だから、アストライア嬢がこのままなら、彼女が終の旅路を迎えるまで、ずっと側で世話をしてやろうと思っていたのだ。
その後適当に過ごし、この世界が崩壊してからエネルギーを回収すれば良いと思っていたのだ。
俺自身の“世界に干渉するエネルギー”は、アストライア嬢が暴走した時に吸収しまくったからか、視界左下の表示は“888%”のままバグって動かなくなっている。
世界の終わりまで耐えるのも、難しくなかっただろう。
「あの、王城の地下での1件から、私は眠った様な状態だった。
でも、この1年間のことは、何というか、“他人の人生を見ている”様な、不思議な感覚だったよ。
だから、全部覚えている。
セーダイが、私のために生きてくれていた事も、全部。」
優しい表情だった。
俺に妻がいなければ、一発で惚れていただろう。
そんな優しい表情だった。
「じゃあ、おねしょの事も覚えているわけだ。」
「ヌグッ!! 馬鹿者! 今はそう言う空気では無かっただろうが!! 馬鹿っ!!」
拳はやめなさい、拳は。
だが、心を惹かれてはならない。
心を残せば、ここから抜けられなくなる。
「……悪かったよ。
まぁそう怒るねぃ。
……そうだ、お嬢に渡すモノがあるんだ。」
怒ってそっぽを向くアストライア嬢に、“このままこの話題を続けるのは危険”と判断し、納屋から1つの箱を持ってくる。
その箱には、アストライア嬢が着ていた鎧一式が入っている。
アストライア嬢はその箱から破魔の腕輪を取り出し、感慨深げに眺める。
「私自身、眠っている間に解ったことがある。
私は正義の女神アストレアの力を宿す存在だ。
あの時のカスミ陛下の技、あれを受けた時、この腕輪が私自身の心は護ってくれた。
だが、私に封じられた女神アストレアの封印は、解けてしまったようだ。」
腕輪をテーブルに置くと、俺を見る。
「なぁ、セーダイ、私はどうするべきだろうか。
この胸に宿る正義に従い、カスミ陛下を糾弾したいという思いはある。
だが同時に、何故あのようなことをしたのか、カスミ陛下に会って、ちゃんと話を聞きたいと言う気持ちもある。」
俺はお茶を淹れると、アストライア嬢と自分の双方のカップに注ぐ。
「さぁな、それはお前自身が決めることだ。
ただまぁ、言えることがあるとしたら、そうだな。
……“心に従え”って事位だろうか。」
アストライア嬢はカップを持ち上げると、少し残念そうにしながら液面を見つめる。
「答えを指し示しては、くれないのだな……。」
俺はお茶を1口啜ると、姿勢を崩す。
「あったりめぇだ。
迷う若者にオッサンがしてやれる事なんて、大して無い。
選んだ選択が正しいモノになるように、影から支えるだけだよ。」
俺の言葉に、静かに笑う。
覚悟は、決まったようだ。
いや、きっともう、覚悟は決まっていた。
ただそれを、実行することに恐れを感じていただけだ。
「わかりましたよーだ。
じゃあ、私のことをしっかり支えて下さいね、パパ。」
その言葉のあまりの破壊力に、俺は飲んでいたお茶を吹き出してむせるしかなかった。




