245:束の間の平穏
「おーい、お待たせお待たせ。」
ボブがノンビリと向こうから近付いてくる。
彼は時々見かける、緑のフード付きコートを羽織っていた。
右手にはゴツい手甲が付けてあるのが村人の目を引いたが、彼は何でも無いように、先端に鋭く尖った槍を杖代わりに歩いていた。
「おぉ、待ってたよボブさん。
今日はアンタを頼りにさせてもらうよ!」
「しかし、女性が何人かいた方が良かったんじゃないですか?
僕等魔法使えないですが……。」
集まった村人達の中で、一際緊張した面持ちのケント青年がポツリと呟く。
それを聞いた、ある程度歳のいった村人達は、静かに、そして徐々に大きな笑い声で答える。
「な、何がおかしいんですか?
僕はただ事実を……。」
「いやいや、スマンかったケント坊。
お前の言うとおりだ、もしかしたら魔法が使える分、女達に任せた方がええかもしれん。」
歳のいった村人が、穏やかにケント青年に笑いかける。
「じゃが、アレも女に任せれば良い、コレも女に任せれば良いとやっていれば、儂等は何をすればええ?
女に荒事を任せて、儂等は寝て暮らせばええのか?」
別の村人が、言葉を継ぐ。
「皆で生きるっちゅうのは、そう言うことじゃなかろ?
こう言う怖いことは苦手じゃ言うおなごも多い。
なら、儂等が代わりにやってやらにゃ。
お互い、得手不得手を補って生きていかねばの。」
“そろそろ行きますか”と、ボブが皆を纏め、そして村人達は魔獣狩りに向かっていくのだった。
「いやぁ~、これはまた、見事な魔獣じゃのう。」
村長は村の広場に置かれた、小さな山のような猪の魔獣に目を見張る。
「おぉ、暫くぶりの大物だでな。
肉屋のヤツも“捌き甲斐がある”て、言うとったでな。」
日も暮れ、辺りが薄暗くなり松明に火が付くと、小さな宴が開かれる。
何せ大きな猪だ。
村中に配ってもまだ余りが出る。
余りは燻製となり、冬を越すための非常食の一部になるだろう。
「……でな、弓矢で弱ったところを、ボブのヤツが棍棒で足をガキーンとやってな!
そんで、ぶっ倒れたところを、ケント坊が持ってた槍でグサーッ!っとな!
あの大猪の目ん玉にブッ刺したって訳だ!」
僅かな蓄えである酒も運び込まれ、村人達の武勇伝を女子供がキラキラした瞳で聞いている。
村の娯楽は少ない。
早速皆、この武勇伝を聞き入っていた。
酒が飲めないケント青年はそんな村人達の輪から離れ、同じように遠くで話を聞きながら酒を飲んでいた村長に近付く。
「おぉ、村の英雄のお出ましかい。どうだ、一杯やるか?」
「いえ、僕は飲めませんので。
……ところで村長、あのボブさんは、どう言う人なんですか?
今回だって、実際には僕は最後に槍を突いただけです。
それまでは、あのボブさんが槍を腹に刺し、持っていた棍棒で頭を砕き、最後に足を折ってくれました。
村の人は気付かなかったけど、あの魔獣に有効だった攻撃は全部ボブさんがやってます。
あの人は、何者なんですか?」
そのケント青年の真剣な表情に、ほろ酔いだった村長の表情が引き締まる。
それは、ケント青年が驚くほど真剣な表情だった。
「ケント、お前もいずれ儂の後を継ぎ、この村の長になる日が来る。
その時、お前が儂と違う判断をしたとして、儂はお前を支持するよ。」
村長はポツリと、呟く様に話し出す。
「あの2人がこの村に来たとき、そのボロボロの姿に儂は酷く驚いたさ。
それでも、それは知っておった。
儂は何度か王都にも行ったことがあるからの。
男が抱えていた女性が、王都の騎士だとすぐに解ったでな。
“こりゃあ、とんでもない厄介事が舞い込んできたかもしれん”と、すぐに思ったさ。」
「じゃあ何故、あの2人を受け入れたんですか?
村でも少なくない反発が、当時あったじゃないですか。」
村長はゆっくりエールを飲み干すと、空を見上げる。
「さてな、何でじゃったか。
ただ……。」
見上げていた顔を、ケント青年にむき直す。
その顔は、1人の年老いた男の顔だった。
「彼は相当に疲れていた。
もしここで追い返したら、何処かで消えてしまうのでは無いかと思うほどな。
……後は、勘じゃ。
“この男を、ここに置いておいた方が良い”と、儂はその時思った。
ただ、それだけじゃ。」
結局ケント青年には何も解らなかった。
ただ、あの強靱な肉体を持って穏やかに生きているあの男が、そんな姿になっていたことが、想像出来なかった。
そんな疑問を考えていたから、村長の“ただ、彼は今も心休まる日をおくれてはいないじゃろうな”という呟きは、聞こえなかった。
「おぉいケント。
このボブに渡す分の肉、悪ぃけんど持っていってくれんかの?」
そして肉屋のオヤジの胴間声が、ケント青年に聞き返す暇を与えなかった。
ケント青年が皮包みに入った肉を受け取り、ボブの家に向かおうと広場を横切ると、村人達の噂話が聞こえた。
「王都の治安がますます悪くなっているらしいぞ。」
「何でも近くの村で、“男狩り”が行われたとか。」
「この村もいよいよ危ないか。」
「領主に税を納めてる、ここはそんな事には……。」
最後の方は聞こえなかった。
ただ、何か不穏な事が周辺で起こっている事は、理解できた。
ケント青年がボブの家を訪れた時には、すっかり夜も更けていた。
広場の宴も、もう終わっている頃だろう。
それでも、ボブの家からは僅かな灯りが漏れていた。
「こんばんは、ケントです。
ボブさん起きてますか?」
時間を考え、控えめにドアをノックする。
少しして、扉に近付く足音がして扉が開く。
「あぁ、これはケントさん。どうしました?
まぁ、立ち話も何ですから中へどうぞ。」
風呂上がりなのか、こざっぱりとしたボブが愛想良く迎え入れる。
先程聞いた話もしておくかと、ケント青年は誘われるまま扉をくぐる。
入口を抜けるとこじんまりとした居間があり、テーブルと椅子が2脚だけ置かれている。
案内されるまま椅子に腰掛けると、ボブは奥へと引っ込み、すぐにお茶の道具を持って現れる。
「ハハ、あまり人が来ないものですから、大したお構いも出来ませんが。」
ケント青年もつい畏まり、“いえ、こちらこそ”と答えてしまうが、来訪した理由を思い出す。
“これ、魔獣の肉です”と渡すと、ボブは思いのほか喜んでいた。
そのついでと、広場の宴で聞いた話をボブに話す。
話を聞いているうちに、ボブの目が僅かに細くなる。
「左様でしたか。
“男狩り”とは……。
王都も、遂にそこまでし始めましたか。」
ボブは、他の村人のように恐れるでも無く、ただ静かに聞いていた。
その静けさこそが、少しだけ恐ろしい。
「あ、あの、ボブさんは、王都から来たと聞きました。
どうしてこの村に?」
ずっと思っていた疑問を、思い切ってぶつけてみる。
ボブは少しだけ困った顔をした後、また元のような穏やかな笑顔になる。
「……娘の、為に。
あの子は必要以上に傷付いていた。
私の想像よりも、ね。
だから、何処か安らげる場所を与えてやりたかった。
……ただ、それだけなんですよ。」
いつもと変わらずボブは笑う。
ただその笑顔に、ケント青年は何故だか言いようのない寂しさを感じていた。




