215:不老不死の魔女
「……まぁ、随分とお喋りしてしまったの。
許しておくれ、久々に話すからの。」
俺は許可を得て、タバコに火を付ける。
1口吸い、紫煙を吐き出すと、コーヒーカップに触れる。
コーヒーは変わらず温かい。
これは魔法でも使っているのだろうか。
最後の1口を飲み干すと、女性はおかわりを注いでくれた。
「……難しい、ですね。」
始まりは全て善意からだった。
善意が積み重なり、そして破滅へと繫がる。
何と言って良いか、など、解る訳も無い。
こんな時、本来なら何と言うべきだろうか。
お気持ち、わかります?
大変でしたね?
世間はなんて酷いんだ?
貴女が悪い?
どれも当てはまる。
だから、どれも当てはまらない。
もう1口タバコを吸い、紫煙を吐き出しながら思いを伝える。
「……私には、貴女を赦せるほどの力は無いですよ。」
「何故、そう思うね?」
目の前の女性は、穏やかな表情で俺に続きを促す。
えぇい、言ってしまったからには仕方が無い。
コーヒーを飲みながら、次の言葉を探す。
「貴女の前世を聞いていて、私は少しだけ思うことがあります。
“そうなる前に、誰かに相談すれば良かったのに”或いは“そうなる前に、逃げ出せば良かったのに”でしょうか。
自分にはこんな過重労働は耐えられない、と、上司には相談できなかったんだろうか。
もし上司が部下を機械か何かと勘違いしているような奴であれば、相談出来なくとも、そこから逃げ出すのも手だったんじゃないかなと。
……私も、幾つか会社を転職しているものでして。
合わなければ抜け出すのも、人間に出来る防衛手段ですよ。」
女性は、“うんうん”と頷きながら、俺の言葉を待つ。
「人間世界での話も、自分から目立つ行動を取ってしまっている。
それは貴女自身が振り返って理解しているように、何処かで“凄い自分を褒めて欲しい”という承認欲求があったんじゃないかなと。
スローライフを願う気持ちは、確かに本当だと思います。
でも、それと同じくらい“役立つ自分を褒めて欲しい”という気持ちがあったのかな、と。
でも結局、人間から見るとその強大な力ばかりに目が行き、貴女は望むモノを望む形では得られなかった。」
だから、隠しながらも目立つ行動をしていたのだろう。
自分が手にしている力では無く、ソレを運用する自分を見て欲しい、と。
だが、その願いは叶わなかった。
「魔族の世界に行ったとき、貴女は人間世界での失敗に気付いていた。
だから、今度は隠すのでは無く、“強大な力じゃなくて私自身こそが有能だ”と、始めから見せつけた。
きっと、多くの魔族を救ったことでしょう。
きっと、多くの魔族に感謝されたことでしょう。
……でも、その言葉は人と魔で真逆とは言え、結果としては同じ結果になった。」
むしろ、能力を活用すればするほど、事情を知らない魔族は堕落していったことだろう。
魔女に相談すれば解決する。
魔女に任せればやってくれる。
自分がやらなくても、魔女に言えば。
それを途中で止めさせた魔族の王こそ、その英断を褒めるべきかも知れない。
その事を決めた彼もきっと、魔女がいなくなり、堕落しかけている同胞が自分に何をするか、自分がタダでは済まない事くらいは、知っていたはずだ。
理解しながら尚、未来の魔族の為に覚悟を決めて言わざるを得なかったのだろう。
「そうじゃのう。
結論、皆儂の事は見てくれなんだ。
儂は前世と同じく、結局何も変わりはせんかった。
ただ他人の評価を気にし、他人が儂をどう見るかばかり気にして生きておった。
やっぱり儂には、他人と関って生きる資格は無いんじゃなと、こうして1人、無限の時間を生きる罰を受けている所じゃ。」
タバコをまた1口。
空を見上げる。
言うべきか、言わざるべきか。
“そうですね、生きるのは難しい”
そう言って、慰めてやることが今は正しいことなのか。
「いいえ、申し訳ないが私はそうは思わないですよ。」
口から出たのは、自分でもビックリするほど素直な感情。
「貴女は結局、自分のワガママを受け入れてくれる“貴女にとって優しい世界”を求めていただけですよ。
いや、もっと言うなら、“勝手に察してくれる便利な誰か”を求めていたに過ぎない。
その証拠に、貴女は他人を見なかった。」
これまで出会った多くの転生者もまた、そうだった。
“前世は思い通りに、いや、言ってみれば我慢ばかりして思い通りに生きられなかった、だから、新しい生を受けた転生後の世界で、ワガママに生きてみたい。”
本質的なことを言うなら、大体がそれだ。
前世のことは流石に解らないが、人間の世界では受付嬢や騎士団長が、この女性をよく見ていたはずだ。
魔族の世界では、他ならぬ一緒に旅をし、魔族の王にまでなった彼が、この女性をよく見ていたはずだ。
彼女から語られはしなかったが、きっと彼等は、時に助言をしていたはずだ。
それを受け入れなかった、いや、聞こえていなかったのは、他ならぬこの女性の方だったのでは無いか。
“察してよ”というのは簡単だが、人間はテレパシーの様な超能力を誰もが持っているわけじゃ無い。
なら、言葉にしなければ、きっと伝わらないだろう。
そして、言葉を受け取らなければ、同じように伝わることは無いだろう。
「……他人を見なかった、とは手厳しいのぅ。
じゃが、もしかするとそうだったかも知れんの。
なぁ、異邦人殿。
儂は、どうするべきじゃったかのぅ?」
改めて、彼女を見る。
そこには最初に会った時の若々しい印象は無い。
むしろ、年齢以上に疲れ果て、心が老いた1人の人間の姿があった。
「その答えを、私は持っていないんですよ。
それは、貴女が生きた証その物だ。
悔いの無い生き方なんて、人間には出来やしないんです。
よく、“やらぬ後悔よりやった後悔の方が良い”と言ったりしますが、それだって“やってしまった後の後悔”を知らないから言える言葉だと、私は思いますよ。
所詮、どちらも同じ後悔です。」
目の前の女性は、疲れたように、皮肉げに笑う。
“やってしまった後の後悔”を知っている人間が、既に知っていることを教えられた笑いだろう。
「貴女に“貴女は悪くない”とか、“貴女はよく頑張った”と言葉で言うことは簡単です。
でも、それは望んでいないでしょう。
心から貴女を認め、そしてその上でそう言わなければ。
……だから、私は貴女の赦しにはなれないんです。」
「……貴方みたいな人があの時にいたら、私は相談できたのかしら。
“営業に、何とか言ってくれませんか”と。」
女性の言葉が若返る。
外見に相応しいその言葉はまるで、ランチに誘われて昨日の仕事の悩みを聞いている、そんな気分だ。
俺は目を閉じる。
経験が無いわけでも無い。
腰光さんという新人の女性から、似たような相談を受けたことがある。
あの時は、営業課長が俺よりも年下だったから、それとなくお願いをしたはずだ。
結果、悪いのは俺となり、俺が案件を引き継いだ気がする。
「……多分、引き受けたでしょうな。
似たような事をやってましたから。
私の時は結局、全て俺が悪いとなって、面倒事を全て引き受ける事になっちゃいましたがね。
そんでウチの課長からも、“お前、そんな事やってるから万年主任なんだよ”と馬鹿にされましたよ。」
「アラアラ、それはまた辛辣な意見ね。
でも、その課長に同意できる事もあるわ。
何故、引き受けなくてもいい貧乏クジを引いたの?
そんなモノ、下の者のせいにして、自分だけは上手く立ち回ることも出来たでしょうに?」
自分でも、それは何故だか解ってはいなかった。
ただ、“たまにはこういう馬鹿がいても良いだろう”という、簡単な気持ちで泥を被りに行っただけだ。
「さぁ?私にもあまり解ってはいませんね。
ヒーローになりたかった訳では無いし、誰かがその地雷を処理しなきゃ行けないから、私がその役をやっただけ、ですしね。」
女性も、コーヒーを口にする。
「もしかして、その方のことが好きだから、かしら?」
不意に出たその言葉に、俺は笑う。
「いやいや、私は妻帯者でしてね。
お付き合いする女性は、もう奥さんだけで十分ですよ。
それに、彼女が男だったとして、私は同じ事をしてたでしょうからね。
たまには、こんな奴がいても良いと思いませんか?」
否定のジェスチャーをしながらそう返すと、お互いに小さく笑い、そしてまたお互いにコーヒーを口にする。
カップを置くと、改めて真面目な表情になる。
「話を脱線させてしまって申し訳ない。
ただ、貴女は運が無かった、とは思いますよ。
苦労して亡くなられて、その後を余計な能力付きでこうして1人生きていることには。
どうしますか?
私は不老不死をどうにかすることは出来ないけど、私の相棒はその辺をどうにかすることが出来ます。
今のまま不老不死だけを取り払うか、或いは再転生するか、はたまた……。」
言葉を切って、彼女を見る。
彼女は俺を見ているようであり、その先を見ているような、何も見ていない表情だった。
「少し、疲れたわ。
長い休暇も、取り過ぎれば疲れてしまうモノなのね。
……貴方に全てお任せします。
どうか、楽にしてやって下さいな。」
そう言うと魔女は、コーヒーをもう1口飲み、深く椅子に腰掛ける。
「……承知しました。
ソレが始まるまでの間、少しだけ時間がありますから。」
「あらそうなの?
じゃあ、もう少し貴方のお話を聞かせてくれないかしら?
そうね、奥さんとの馴れ初めとか、たまには恋の話が聞きたいわ。」
手続きはマキーナに任せ、俺は“そうだなぁ”と考えながら、奥さんとの馴れ初めを話し出す。
結婚式で出会ったろくでもない神父の話まで行ったところで、塊のような霧に飲み込まれた。




