212:心の解放
目の前のパソコンが、web会議の画面を読み込む。
画面先の相手はモニターを非表示にしており、中央に可愛らしい子供の写真を切り抜いたアイコンが出ている以外、ただ暗い画面が広がる。
その暗い画面には、暫く家に帰っていないため髪がペッタリと頭皮に張り付き、目の下のクマも隠す気が無くなったのか、化粧もしていない女の顔が反射していた。
web会議に出た相手は、“こんな時間に何スか?”と、不機嫌を隠そうともしない。
今私がサポート対応しているのは、お前の案件だろうに。
ともあれ、非礼を詫び、現状を伝える。
「……ですので、クライアントがいう納期にはやはり間に合いませんが、この週なら納品できるところまでは取引先とスケジュールを詰めました。
申し訳ありませんが、この資料を元にクライアントに納期交渉をしていただけ無いでしょうか?」
[え?今更言われるのは困るなぁ。
クライアントからは、この納期じゃないと困るって言われちゃってるんスよね~。
何で出来ないんスかね?
クライアントから怒られるのってぇ、結局僕ら営業なんスよね~。
もうちょっと、何とか交渉出来ないんスか?]
また始まった。
最初から無理だとこちらが言っても“取りあえず検討して下さいよ”と言って持ち帰らせて、何とか予定に近付けるべく取引先のメーカーに頭を下げて、妥協案を貰い、その結果を伝えたらこれだ。
「ですので、詰めた結果がこれなんですよ。」
[じゃあ、他の取引先とか、何か方法無いんスか?]
こちらの苦労も知らず、好き放題言う。
新しい取引先を探している時間が無いから、1番ウチの会社で融通の利くところにお願いしているのに。
“その交渉を、クライアントに向けたらどうですか”と皮肉を言いたくなるが、それを言ったところで無駄な喧嘩が起きるだけだ。
今やソレすらも煩わしい。
[とにかく、明日もう一度取引先に交渉頼みますよ。
そう言う見た目疲れてるフリとか、もう良いんで。
俺等と違ってバックヤードなんスから、体調管理とかちゃんとして下さいよ。]
web会議の通信が切れる。
通信が切れる間際に、父を呼ぶ子供の声が聞こえていた。
暖かい家庭。
幸せな家族。
その通信と共に、心の中にある何かの線も、プツリと切れてしまったようだ。
それでも現状の最善と思われる企画書をまとめ、“これ以上の対応は困難であり、営業側にも協力をお願いしたい”という内容のメッセージと共に、企画書を添付したメールを送ると、PCの電源を落とす。
フラフラになりながら、そのまま更衣室に向かい帰り支度をする。
まだ0時になったばかりだ。
今なら終電で帰れる。
そこからは記憶が曖昧だ。
会社で倒れたかも知れないし、道端で倒れたかも知れない。
はたまた、家までたどり着いてから倒れたかも知れない。
とにかく次に意識が戻ったときには、真っ白な大地と青空が広がる空間にいた。
「やぁ、いらっしゃい。
君は選ばれた様だね。」
私の目の前には、白い衣を着た凛々しい青年が立っていた。
彼が言うには、私は過労で死んでしまったらしい。
ただ、私のように不幸な死を迎えた者には、異世界に転生して、幸せな第2の人生を送って欲しいと言うことらしい。
私は少し疲れていた。
だからあまり考えずに、こんな風に死なないように、誰とも関わらずに生きて平穏を楽しめるように、不老不死を願った。
その後、住むところと当面の食事に困らない様にする交渉をしたところ、“こんなに色々とオマケを付けろ、と言われたのは初めてだ”と目の前の存在は笑っていた。
それでも、私の中ではソレが最低条件だった。
逆に、よく他の転生者は1つの望みだけで転生する気になったものだと、感心すらしたものだ。
ともあれ、そうして、私は異世界に転生した。
転生した直後は森の中で、最初は騙されたと思った。
森を抜け、小高い丘に小さな一軒家を見つけて近寄ると、それが私のために用意された家だと解った。
玄関の扉に、ご丁寧に“present”と書いた札がかかっていたからだ。
家の中を一通り見て、冷蔵庫らしき物体と、その中にある食材を見て安堵した。
安堵すると今度は自分の外見が気になり、姿見を見つけて自分を写すと、そこには不健康そうでもうじき三十路も近い元の自分では無く、化粧をしなくても良い程の若々しい女性が写っていた。
家の中には、ご丁寧にあの彼が用意したとおぼしきマニュアルがあり、それでこの世界がアニメやマンガのような、剣と魔法の世界だと知った。
ファンタジーの西洋世界、そんな世界で、今度こそのんびりスローライフが出来ると当時は喜んだものだ。
魔法の使い方を研究し、それに飽きれば森に入り食材や薬草を採る。
たまにちょっぴりモンスターを倒して、素材を集める傍ら大冒険だ。
私は、第2の生をのんびり楽しんでいた。
ただ、人間とは恐ろしいもので、そんな生活はすぐに慣れて飽きが来る。
“たまには人と話したいな”と思い立ち、近くを散策する。
飛行魔法で30分くらい飛んだ所で、1つの町があった。
人々は朴訥で、長閑な村。
私は声をかけるために、町の手前で飛行魔法を中断し、静かに降り立つ。
「あ、あの……今、空を飛んでいませんでしたか?」
町を守る門番だろうか?
革鎧を着けて槍を持った若い青年が、怖ず怖ずとこちらに話しかけてくる。
「えぇ、ちょっと町が見えたものですから。
丁度、貯まった素材とかを売れないかと降りてみた訳です。」
内心は久々に見る人間の姿に心臓がバクバク言っていたが、こういう時、きっと気後れしたら負けだろう。
だから、“さも当然”と言う風を装い、堂々と町に入る。
門番は親切にも、素材を売るには冒険者ギルドか商人ギルドに入る必要があることを教えてくれた。
“商人”と言う言葉に何となく忌避感があった私は、その足で冒険者ギルドに向かい登録を済ませる。
冒険者ギルドの若い受付嬢は、登録の為にステータスを確認する必要があると、目の前の水晶に手をかざせと言ってきたので、素直にかざす。
今思えば、この選択は失敗だったかも知れない。
いや、商人ギルドでも同じ様なものらしいから、結局は“人間に関わりたい”と思ってしまった私が、やっぱり間違いだったのだろう。
「ハイ、貴方のレベルは……えっ?レベル357……?」
受付嬢が固まる。
そう言えばずっと人里離れて暮らしていたから、自分がどれくらいの位置にいるのかなんて気にしていなかった。
「あの……この数値が何か……?」
「あ、あぁ、失礼しました。
久々の登録者さんなので、どうも水晶が故障しているようです。
ちょっと今鑑定士さんを呼びますので。」
道具の故障と思ったのか、そそくさと奥へ行き“おとぉーさぁーん!”と大声で呼んでいる。
その光景に、何とも心癒される。
「ハイハイ、全くお前は人使いの荒……ウヒャア!?」
建物の奥から中年のおじさんが現れたかと思うと、一目私を見た途端にひっくり返る。
起き上がってもその表情は、驚愕で固まっている。
「あんれまぁ……、アンタ、本当に人間かい?」
そこからは少しだけ騒ぎになった。
何でも、数百年前に魔族の侵攻があり、人間の勇者が魔王を倒したらしいのだが、その勇者のレベルが65レベルで、人間の限界点と言われていたらしい。
私はそれを聞き、そう言えば少し前に森に魔物が大量発生していて、刈り取っても刈り取ってもきりが無かったのを覚えている。
それもちょっと前に静かになったから、“まぁ、何かの異常発生だったのかな?”位に考えていた。
まさかそんな大事になっていたとは。
「勿論ですよ、ちょっとだけ他の人より寿命が長いだけで、後は普通の人です。」
私のレベルに関する話は、大騒ぎになるところだったが、王都にある中央ギルドへ報告することだけは止めて貰っていた。
私はただ静かに暮らしたいだけだ。
その事をギルドの人々も解ってくれたらしく、あまり大事にはしないという約束をして貰った。
ただ結局、翌日には町の皆に知れ渡っていたのには笑った。
皆が皆、“ここだけの内緒話”を繰り返せば、まぁそうもなるか。
私はこの、少々口は軽いが大らかなファステアの町の人達が気に入った。




