211:霧の館にて
タバコの煙と霧が混じる。
一歩先すら見えない濃霧に包まれながら、タバコを1口。
紫煙を吐き出すと、煙か霧か、すぐにどちらがどちらかなど解らなくなる、曖昧な境界。
「あの、ここはいつもこうなんですか?」
テーブルの向こう、同じく白い闇に包まれた向かい席。
向こうからの答えは無い。
仕方なしに、晴れるまでを待つ静かな時間、またゆっくりとタバコを燻らす。
(さて、いつ晴れるかな?)
ボンヤリとそんな事を思いながら、テーブルのコーヒーを一啜り。
カップをソーサーに置いたとき、少し強い風が吹いて、今までの濃霧が嘘のように取り払われる。
晴れた視界に映る、森の中の古びた館。
ざっと見回してみても、埃で曇っている窓は無い。
苔むしている所も無ければ、蜘蛛の巣が張っている様子も無い。
館その物は全体的に古びてはいるが、隅々まで丁寧に、本当によく手入れがされている。
持ち主の几帳面さが伺えるというモノだ。
視線を手前に戻す。
2脚のコーヒーが置かれた白いテーブルに、誰も座っていない、向かいの白い椅子。
タバコを携帯灰皿に入れると、座っていた同じ色の椅子から立ち上がり、背伸びを1つ。
「行くか、マキーナ。」
<あの存在との接続は既に切れています。
後1分で、転送が始まります。>
“そうか”とマキーナに返答をして、立ったままコーヒーをもう1口。
久々に美味いコーヒーだった。
このコーヒーは何とのブレンドだったのだろう。
聞いておけば良かった。
<しかし、これで良かったのですか?>
不意に、マキーナに問われる。
俺は少し考えたが、あまり良い答えは出ない。
「良いも悪いも無いだろ?
本人がそう望んだんだ。」
コーヒーを飲み干すと、足元から光に包まれる。
丁度転送が始まるようだ。
「さて、行くか。」
俺の旅が、また始まる。
「……さて、次はどんな世界かな?」
転送を終えて周りを見れば、綺麗に刈り込まれた芝生の上にいた。
町中にでも出現したのかと、思わず警戒し周囲を改めて観察する。
回りに人は無し、後ろは森林、正面にあるのは古びた洋館。
中々に豪邸だ。
これが夜だったら、間違いなく名作と言われるゾンビゲームの舞台を連想していただろう。
アレもなぁ……、3まではやったんだが、4からは機種が変わったり、当時の仕事が忙しくなってたりで、手が出せなかったんだよなぁ。
「おや、これは珍しい。」
洋館を見上げながらついつい下らないことを考えていると、視界の外から声をかけられる。
そちらを向くと、黒いワンピース?ローブ?を着た若い女性が、杖を手にこちらにゆっくりと歩み寄ってきていた。
「あぁ、ええと、こんにちは。
私は……。」
「転生者、かい?」
穏やかに話す女性に対してではあるが、俺の中で警戒度が上がる。
静かに、気取られないように構える。
「おやおや、こんな婆相手に、そんなに警戒しないでおくれ。
別に取って食おうって訳じゃ無いさ。」
毒気を抜かれ、構える事をやめて真っ直ぐに立つ。
この女性、見た目よりも年齢が行っていそうだ。
見た目も声も若々しいが、その言葉は間違いなく歳をとっている。
「いいえ、私は転生者では無いです。
あぁ、自己紹介がまだでしたね。
私は田園勢大と申します。
……そうですね、私は異世界を放浪している“異邦人”と言えるのではないかなと。
もし、貴方がこの世界の転生者の情報を知っているなら、教えてはくれませんか?」
「お主、この世界の転生者と会ったらどうするつもりかね。」
目の前の女性は、穏やかに、しかし言葉鋭くこちらに問う。
どう答えるべきか、少しだけ戸惑う。
嘘をつくべきか、本当のことを言うべきか、或いは煙に巻くか。
「……私は、私を“異邦人”にした存在に、もう一度会うために異世界を旅をしています。
ここで会う転生者に、あの存在との接続の意味を話してそれを切り離し、俺に少し世界の力を分けて貰うように交渉したいと思っています。」
「もし、その交渉が上手く行かなければ?」
女性の言葉は冷たく、鋭い。
俺が意図的に避けた情報、それを避けたままは許さない様だ。
観念して、両手を上げる。
「転生者か、俺か。
はたまた世界その物か。
どれかを、殺したり殺されたりする事態になるでしょうな。」
その答えを聞いた目の前の女性は、見た目通りの年齢に相応しい無邪気な笑いを浮かべると、近くにある椅子を勧めてくれた。
改めて周囲を見てみれば、この芝生は館の庭、の様な物なのだろう。
テーブルの中央から白いパラソルが突き出ている、海外ドラマでよく見かけるような外用のテーブルと2脚のチェアが、庭の端で来客を待ち構えている。
「ちゃんと本当のことを言う人は、私としても好感が持てますよ。
立ち話も何ですし、良ければあちらで少しお話しでもしましょうか。」
言われるがまま、白い椅子に腰掛ける。
女性は一度館に戻ると、暫くして銀のお盆に乗せたティーセットを持って、俺の向かいの椅子に座る。
彼女が館に戻った瞬間に、ほぼ無意識の状態で、マキーナをアンダーウェアモードで起動していた。
モード起動をマキーナに告げられて始めてそれに気付き、“随分と手慣れたモノだ”と自嘲してしまう。
彼女は銀のお盆からコーヒーミルを取り出すと、中に豆を入れる。
「こういう時はきっと紅茶なんじゃろうけど、何せ人と会うのも久々じゃての。
私のお気に入りのブレンドコーヒーでご容赦して下されよ、御客人。」
“コーヒーは好きだから、安心して下さいな”と返し、豆を引いている姿をノンビリ眺める。
陽差しは穏やかで暖かく、風も無い。
「どうぞ。」
差し出されたカップを持ち上げ、香りを愉しむ。
ほんのりと甘い香り、優しいコーヒーの香り。
1口口に含めば、やや強い酸味とコクが口腔に広がる。
うぅむ、難しいな。
元の世界なら、ブルマンか?
いや、この強い酸味とコクは、マンデリンかキリマンジャロ?
マンデリンならもう少しハーブの香りが感じられるから、やはりキリマンジャロ辺りが近いか?
何にせよ、美味いコーヒーに変わりは無い。
カップも事前に温めてあるのか、熱すぎず、温すぎず。
「これは……、いや、結構な御手前で。」
“それは茶道の返しじゃろうて”と、笑われる。
「やはり、貴方は日本人なんじゃねぇ。
それにしても、無警戒過ぎやしやせんか?
私が毒を仕込んでいたら、お主、どうするつもりだったんで?」
コーヒーを口にしながら、少し考える。
この人物には、あまり取り繕わない方が良いかも知れない。
ありのまま、真実だけ答えた方が良い気がする。
「あぁ、私には優秀な相棒がいましてね。
そちらに任せていれば、毒の類いは殆ど効果が無いモンでして。」
“毒なんか入れないと思っていた”とは言わない。
事実、無意識とは言え、俺も毒を入れられる可能性は考えていた。
だからマキーナを起動しているのだ。
仮に入れられたとしても、その上で乗り越えようとしていただけだ。
「面白いのぅ。
フム、良ければ、旅の話を聞かせてはもらえんじゃろか?
人と話すのは久しぶりでの。」
チラリと見上げるような目で訴えられる。
女性にそう言う目で見られるのは弱い。
俺は快諾すると、これまでの旅を話し始める。
「……と言う事でね、結局は回りの女の子達にも“私達も、流石に貴方にはついて行けません!これからは私達だけで生きていきます!”って言われて愛想をつかれて、結局捨てられてね。
終いにゃ“助けて勢大さん!”って泣きついてきたんですよ。」
「はははは!そりゃ大変だったろう!
まさか巻き込まれるなんてね!」
“本当ですよ”と相づちを打ちながらコーヒーを1口。
陽差しは穏やかで、優しい。
久方ぶりの穏やかな時間を過ごしていた。
いやしかしあの時の転生者は大変だった。
転生者が女の子にモテモテなのはいつものことだし、別にどうでも良い。
だが、この時の転生者は確か前世が中学生くらいで、いわゆる“大人の恋愛”からはほど遠い経験しかしたことが無く、俺から見ても苛々するほどの奥手だった。
結果、いつまでも煮え切らない態度をとり続けた事が災いし、回りの女の子達にも愛想をつかれてしまった、と言うような話だった。
「なるほどねぇ、でもそんなにいるんじゃ、“虻蜂追う者は1匹も得ず”だったか?そんなもんじゃ済まなさそうだねぇ。」
「あぁ、“二兎追う者は一兎も得ず”ですかね?
或いは“虻蜂取らず”かな?」
“おぅ、それじゃそれじゃ”と女性は笑う。
見た目は十代後半から二十代前半の女性が、年寄り言葉で話すのを聞くのは、割と違和感がある。
どうやら俺には、ロリババア適性は無いらしい。
「お主、今何か下らぬ事を考えておらなんだか?」
「あ、いやいや、次は何話そうかなぁとか、そろそろそちらの話が聞きたいなぁとか思ってましたよ。」
“フム、ここまで話を聞かせてくれたからには、何か聞かせてやらねばの”と呟くと、何かを思い出すように静かに目を閉じる。
「そうじゃのう……。
ではお前さんに、とっておきの話をしてやろうかの。」
目の前の女性は静かに話し始める。
それは、とある1人の魔女の物語だった。




