187:庭園の守人
結局、クロガネ氏の言うとおり死を祓う霧の都はその姿を現したが、不気味なほどに沈黙を保っていた。
その沈黙は不気味だが、そんな騒乱の中にあっても人々の営みは変わらない。
日が落ちれば帰路につく人で交通網は溢れ、街中の家に灯りがつき、まるで昼間の騒乱が嘘のような日常生活が営まれていた。
それはまるで、ファステアの人々が現実から目を背け、日常にしがみ付こうとしているようにも感じていた。
日常を保とうとしている町を、足早に歩く会社員達の群れから外れて、俺達はクロガネ氏のオススメだという一件の古びたバーに向かう。
基地から向かうと繁華街の奥手にあるため、賑やかな繁華街を通り抜ける。
「……やっぱりロズノワル独立自治区に参加を……。」
「どうせいつもみたいに消えて……。」
「でも今度はあのでっかいのが……。」
「知ってるか?今夜にでもグートルーネが……。」
「噂じゃ王国からはあの“桃喰い”が来るとか……。」
「……グートルーネは負けるだろうな、こりゃやっぱりロズノワル独立自治区に行くか?」
「……シッ、帝国軍人だ……。」
日常で必死に覆い隠そうとしても、漏れ出る不穏な空気は隠しきれない。
ましてや誤魔化そうとしているとは言え、軍服で歩く俺達を見れば、人々は声を潜める。
軍服で歩きたくなどなかったが、私服などの私物は全てフクロウの巣にある。
届けて貰おうと数日前にも連絡を取っていたが、壊滅と再編の余波で、俺達の荷物は後回しになっていた。
結果、こうしてコクピットケースに収納していた軍服と来ていたパイロットスーツ位しか、外に出る服を持っていない状態なのだ。
「やれやれ、先に出て服でも買ってくれば良かったッスね。」
俺のぼやきに、アルベリヒ少尉がクスリと笑う。
「あ、いや、チャーリーの奴だったら、こっそり抜け出してでも買いに行ってたな、と思ってな。」
注目する俺達の視線、それに少し照れながら理由を話すアルベリヒ少尉の言葉に、俺達も同意して笑う。
「確かに。チャーリー曹長なら、“オイオイお前等、そんな格好じゃ子猫ちゃん達に失礼だろう?”とか言って、俺達の分まで持ってきそうですよね。」
「フフ、違いない。」
ボブの言葉で笑う俺達は、先程よりも気にならなくなった周囲の悪意を無視し、目的のバーに向かう。
そのバーを見あげたときに、俺は“あぁ、今回はここにあったのか”と、一人感慨にふける。
何時ぞやの世界では、王都にある酒場だった。
そこでは仲間が皆殺しにされていた記憶がある。
何時ぞやの世界では、2つ目の町にあるバーだったか。
そこでプロー領までのワープをした気がする。
記憶にあるこのバーは、場所は違えど全て同じ建物で、全て同じ内装だった。
今回もそうだろう。
何かの転換期には、このバーがあった。
ここでもまた、俺にとって何かが起きるのかも知れない。
そう思いバーに入ったが、ここで行われているのはある種の地獄絵図だった。
「あ、りゅーちゃんの!
ちょっと良いとこ見てみたい!」
クロガネ氏と、俺を通気口まで案内してくれたあの青年、劉志郎と言ったか、彼等が既に出来上がっており、場がメチャクチャになっていた。
そう言うコールは、急性アルコール中毒になる危険な行為だから、いい大人の皆はやっちゃダメだぞ。
良い子なら?そもそも未成年は飲んじゃダメだ。
悪い子と悪い大人なら?
いや何にせよアカンがな。
「いやぁ、副長とりゅーのヤツがすいませんね。
ここに来ると大体あぁなんで。」
ゴリさんが入ってきた俺達に、カウンターに座るように手招きすると、ビールを注ぎながら笑う。
日常風景だったのか、これ。
って言うか、ゴリさんもさっき2人をたき付けてる側だったよね?
とは言え元の時代の癖で、ビールを注いで貰う事に恐縮しながらも、小隊の皆と静かにグラスを合わせる。
勿論、ここに来られなかった彼を想ってだ。
「全く、相変わらず五月蝿い連中だ。」
L字型のカウンター。
長い方に俺達が座り、短い方には誰も座っていなかったはずだ。
しかも入口は俺の背中にある。
入ってくれば、音か気配で感じられる位には鍛えている。
それでも尚、その男の存在に、言葉が発せられるまで気付かなかった。
黒髪を几帳面なまでに後ろに流して固めたオールバック。
黒を基調とした折り目正しい軍服は、帝国軍のモノとも王国軍のモノとも違う。
(マキーナ。コイツはいつ現れた?)
<不明です。認識出来ませんでした。>
マキーナすら認識できない方法で移動してきた男。
その存在に言葉を失っていると、ゴリさんがソーダ水の瓶を手に取る。
「おや、隊長も随分お早いお着きで。
いつも通りソーダ水で良いですよね?」
男は頷くとソーダ水の瓶を受け取り、自ら栓を抜いて中身を飲む。
全ての行動に、隙が無い。
仮に突然俺が殴りかかったとしても、次の瞬間床に伏しているのは俺の方だろう。
これが、この男達を率いる“隊長”と呼ばれる男かと冷や汗をかく。
圧縮されきった殺意の塊。
存在そのものが“死”を感じさせる。
ソーダ水を1口飲んで落ち着いたのか、彼が口を開く。
「初めまして、だな、帝国の方々。
俺は……。」
「たいちょぉ~ん、黒犬のAHM全部壊れちゃったよぉ~ん。
再建するから金貸してぇ~!」
「あ?んなもん帝国に行って金ふんだくってこい!
大体テメェ、この前も修繕費だっつって300万ラレクレジット持っていったばっかりだろうが!!」
クロガネ氏がベロベロになりながら“隊長”と呼ばれている男に絡み、金の無心をしている。
それに対して“隊長”と呼ばれる男は、微妙な表情を浮かべながら怒っている姿を見ると、先程までの恐怖に近い感情は霧散していた。
「ホラ副長、今大事な話してるからあっち行ってて。」
ゴリさんもこの状況になれてるのか、手慣れた様子でクロガネ氏を追い払う。
「あ、そうだ副長、この人のティーゲル、修理ついでにグランにしちゃって良いよね?」
「よきにはからえ~。」
クロガネ氏は幸せそうにそう言うと、また向こうの仲間達の輪に戻っていく。
ゴリさんが悪い笑顔を浮かべると、何処かに電話し出す。
「……こちら作戦成功。言質は取った。
すぐに取りかかれ、俺もすぐ行く。」
「あ、あの……。」
確実に俺の機体に何かしようとしているのを聞いて、流石に黙ってはいられなかったが、何をしようとしているのかが皆目見当もつかなかったため、遠慮がちに声をかける。
そんな俺に、ゴリさんは良い笑顔を向けるのであった。
「良イカラ良イカラ~、テリー二任セテ~。」
うわ色んな意味で懐かしい!
香辛料君元気かな?
いやいやそれどころじゃない!
胡散臭すぎる!
誰か一緒に止められるヤツはいないかと、周りを見る。
ボブが上半身裸になり、一緒になって向こうのグループと暴れている。
お前本当に自由だな。
アルベリヒ少尉もあっけにとられてそれを見るだけだ。
えぇいクソッ!味方が誰もいない!
「お、やってるねぇ。
ありゃゴリさん、もう帰るのかい?」
入口に向き直ると、“隊長”と呼ばれた男と同じタイプの軍服を着た、割と恰幅の良い中年男性がコートを脱ぎながらゴリさんに声をかける。
ゴリさんが“お館様、ギリギリで頼んだ資材は?”と声をかけると、“おぅ、間に合わせたよ”と、意味のわからないやり取りをしていたが、それを聞いたゴリさんは笑顔になり、手近にあったウイスキー瓶を掴むと店を出て行ってしまった。
「あ、隊長ももう来てたのか。
君にお客さんだよ。」
“お館様”と呼ばれていた男は、恰幅も良いが背も高かったので、後ろの人物に気付くのが遅れた。
「グ、グートルーネ閣下!?」
それはアルベリヒ少尉も同じだったらしく、その人物を見た瞬間、驚きながらも直立不動になり敬礼していた。
「よい、ここでの私は帝国軍の将軍ではなく、ただのグートルーネだ。
ただのグートルーネが、そこの御仁に会いに来た、それだけだ。」
言われて視線の先、“隊長”と呼ばれていた男を見る。
その男は、表情を変えることもなく静かにこちらを見ると、改めて口を開いた。
「直接お目にかかるのは初めまして、ですなグートルーネ殿。
私が当代当主、順太郎・竜胆です。」
“ロズノワルの龍”
“庭園の守人”
“共和国最後の騎士”
古の龍と呼ばれている家系。
その一族の末裔との、まさかの出会いだった。




