162:心に火を灯して
太っちょ坊やが死んだ。
結果を言葉にするなら、それだけだ。
もう少し状況を話すなら、脱出時に障害物となる壁に激突し、頭部損傷、頸椎損傷、出血多量による即死だった。
訓練中の事故と言うことで、全員お咎め無しの判断が下されていた。
真ん中の脚の奴も、こうなるとは想像していなかったようで、虚勢は張っていたがかなり精神的にまいっているのは誰の目から見ても明らかだった。
そんな中で、ボブおじさんが除隊するという話が出て来た。
この世界で何となく思っていたことだが、肉体年齢に対して精神年齢は意外に幼い。
ボブの奴も80歳だと聞いていたが、精神年齢は20歳位?に感じられる。
この世界でも、早ければ10代から働き始めるらしいが、精神が成熟するのは80歳代くらいになっているようだ。
恐らくは、元の世界で寿命は4倍近くになっているが、精神的なモノは1/4になっているのだろう。
そう考えるなら、俺の精神年齢はこの世界水準なら160歳代ということか。
やれやれ、老成してると言うにも限度があらぁな。
いつも通り、午前の訓練を終えて食事を取っていると、向かいの席に初物が座る。
「おい、ボブの奴、今日にも出ていくらしいぜ?
モノ、お前仲良かったんだから引き止めたりとかしねぇのか?」
飯をかっ込みながら考える。
俺には俺の目的があってここにいる。
いや、正直に言えば、彼に何かを言って引き止められる自信は無い。
元の世界の、学生時代の頃からそうだ。
一度“止める”と決意した、いや、“折れた”奴には何を言っても無駄だ。
人の心は強く、脆い。
折れた棒は、割れたガラスは、もう決して元の形には戻らない。
ただ、それで“堕ちて”行った奴も嫌と言うほど見てきた。
ならば、助言位はしてやるか。
飯をかき込み、急いで食い終えた俺は食器を戻すと宿舎に向かう。
無数に並ぶベッドの中で、一人身支度をしているボブがいる。
その隣のベッドに腰掛けると、その作業を見つめる。
「モノ、お前も誰かから引き止めるように言われたのか?」
「初物の奴が五月蝿くてな。俺としては不本意ながら、って奴だ。」
ボブが笑う。
笑いながら“アイツ、そんなんだから初物って言われるんだよな”という言葉に、俺も思わず釣られて笑ってしまった。
「まぁ、それならお前は何で俺の所に来たんだ?」
穏やかに、それでも何かを諦めた目をしながらボブは俺に問う。
そう、その目、……何度も見てきた目だ。
「まぁ、そうだな。……去りゆく友に、最後の助言、かな。」
ボブが荷造りの手を止め、こちらを見る。
「俺は、お前みたいな目をした奴を幾度も見てきた。
その目をした奴は、大抵そのまま転げ落ち、這い上がれなかった。
お前は結局さ、何がしたくてここに入ったんだ?」
言葉を選び、問う。
俺のその言葉を受けて、少し考えた後にボブが口を開く。
「俺は、そうだな。勿論“帝国のため”とか、“故郷のために”とかじゃない。……学校に行くためだ。」
「お前、もしかして“辺境民”だったのか?」
図書館で調べているときに、帝国の階級社会的なモノも目にしていた。
全体的な人々の階級は、皇帝一族、上位貴族、中位貴族、下位貴族、上位臣民、下位臣民となっている。
ただ、下位臣民の中にも、一般的な臣民と、地方臣民でまた上下関係が存在する。
地方臣民は“辺境民”とも呼ばれ、職業選択の自由などは無く、合わせて教育も限定的なモノが多い。
それらの状況を打破するには、兵役に付くしかない。
10年の兵役を抜ければ、一般的な臣民と同じ扱いになり、高校や大学等の高等教育機関に通うことが許されるのだ。
「俺の夢は、故郷の家族にもっと良い暮らしを……いや、俺自身が、あの貧乏な暮らしから抜け出したかったんだ。
お前にわかるか?家族総出で夜明けから畑で作業し、日が暮れれば作物の加工、勿論辺境にはアンドロイドを雇う金なんか無いからな。
全部自分でやらなきゃ行けなかった。
俺はこの人生を変えたかったんだ。
パイロット適性があると解ったときの感情が、お前にわかるか?
俺はこの貧困から抜け出してみせると、固く誓ったもんだ。」
「だが結局、人殺しの現実を知って、怖くなってまた逃げ出す訳か。」
ボブの厳しい目が俺を見る。
それでも俺は、言わざるを得ない。
「パイロット適性は確かに重要だ。
だがそれは結局、“人殺しの道具を上手に扱える才能がある”って事だろう。
お前だって、それは始めから解っていたはずだ。
……解っていても、現実感のなさから逃げていただけだ。
だが本来、兵役に付くってのはそう言うことだろう?
軍隊ってのは本来、国同士の話し合いでは済まなかった事態に対して、実力を行使するための暴力装置であり、その暴力から国を守るための装置だ。
そんな大変な事を乗り越えるから、褒美に一般的な臣民にも繰り上げてやろうって事なんだとしたら、俺には、悪いけどお前は“嫌なことからは逃げ出したいです、でも褒美は欲しいです”と、駄々を捏ねている子供にしか見えねぇな。」
ボブの表情に怒りが滲むのが解る。
それでも、すぐに諦めたような表情をすると、下を向いてしまう。
「そう、だよな。
……そう見えても仕方ないよな。
確かに、人の死についてあまり考えなかった。
ちょっと上手くアームに乗れるから、小隊長ごっこして、それで結局ファットを殺しちまった。
……ずっと、アイツの事が引っかかってるんだ。
何故あの時、俺がそのまま後方を警戒しなかったのか、何故あの時フォローにすぐ動けなかったのか。
……ずっと、頭の中でグルグル巡るんだ。」
俺は座っていたベットから立ち上がると、伸びをする。
ここまで折れた奴は、まぁ、もう無理だろう。
「ファットを言い訳に使うなよ、意気地無し。」
ボブの表情が険しくなる。
“意気地無し”か。
死んだ親父の口癖を、まさか俺が言うことになるとはなぁ。
俺もよく“意気地がねぇ”と、煽られたなぁ。
この単語を口にするとき、きっと親父も、こういう気持ちだったんだろうか。
「生きている限り失敗はする。
ここで無くたって、だ。
その時お前は今日のように、“誰かに申し訳ないから”と嘯きながら、その場から逃げ出すんだろう?
……逃げた先に待っているのは、同じ地獄しかねぇんだよ。
このままだとお前は、これから何かある度に、延々と逃げて堕ち続けていくんだ。
それが嫌なら、ここで無くても良いからよ、どこかで踏ん張って立ち向かえよ。
……まぁ、根性無しのお前にゃ、難しい注文かも知れねぇがな。」
最後の一言が引き金になり、ボブが雄叫びを上げながら俺にタックルしてくる。
タックルを腹で受けつつ、数歩下がった所でボブの腹を持って転がるように投げる。
「お前に!お前に俺の何が解る!!」
「知らねぇよ、ただ、チキンの小隊長のせいで、自分の死を教訓にすらして貰えず、このままなら無駄死にのファットが、可哀想で仕方ねぇだけだ!」
殴り合うにしても、軍隊格闘術を学んだボブの攻撃は鋭い。
また、特有のそのしなやかな肉体は、先天的にこう言う事に向いているからか、一撃も重い。
俺としてはカウンターで当てるのが精一杯……、ああクソ、また顔面に1発貰った。
「貴様等ぁ!ここで何をしているか!!」
人だかりが出来、俺とボブのどちらが勝つかを仲間内が賭け出そうとした頃、先任曹長の怒号が飛ぶ。
俺達を除く全員が、自身の寝床に戻り気付かずに休憩しているフリをし、俺達は2人だけで直立する。
「戦闘訓練の復習であります、サー!」
ボブが先任曹長に向かい、予想外の発言をしている。
先任曹長も少し驚き、疑わしそうに俺達を見る。
「おいボブ、お前は除隊希望が出ていたはずだろう。
何故それで訓練の復習をしている?」
「サー!それは何かの手違いであります、サー!
自分は、除隊希望を出しておりません、サー!」
その回答に、思わず俺はボブを見る。
ボブの目には、光が灯っていた。
やれやれ、元の世界では全く通用しなかった引き止めが、異世界では通用したらしい。
いや、思えば、最後に大喧嘩するまで引き止めたことは無かった。
もしかしたら、悪役を買ってでも怒りをぶつけさせる必要が、今までもあったのかも知れない。
何だかんだで、相手の悩みに真摯にぶつかってなかったのは、俺も同じだったのだろう。
「おい単眼、ボブはこう言っているが、間違いないのか?」
先任曹長が矛先を俺に向ける。
なら、言うべき事は1つだろう。
「サー!間違いありません、サー!
自分とボブは、格闘訓練の復習をしておりました、サー!」
先任曹長はジッと俺を見た後、少しだけ口元を緩めるが、すぐに顔を引き締める。
「よろしい!勤勉なお嬢様共!
終わった後にシコシコ出来ないように、今日の午後からはお前等だけ更にシゴいてやる!
今は感謝しながらマスかいて休め!!」
「「サー!イエッサー!」」
後少しでこんな事態になるとは。
俺は少しだけ、ボブのことを恨みがましく見るのだった。




