147:未来への咆哮
案の定、感染者がパラパラとこの森エリアまでたどり着き始めていた。
「キャァァ!!止めて!誠!誠はどこ!!」
2階の奥からは女性の悲鳴も聞こえる。
あぁ、上位の妾、という奴か。
救助しても良いかと少しだけ思ったが、あの悲鳴でますます感染者がそちらに集まってきている。
むしろ音を殺しながら進む俺達に気付かない事すらある。
残念だが、あれではもう助けようが無い。
あの悲鳴を陽動と割り切り、俺達に気付いて近付こうとする感染者をなぎ倒しながら進む。
東所君がいつものように“助けられないか”と迷っているかと思いチラと横を見ると、東所君にもう迷っている表情は無かった。
ヤレヤレ、これじゃ俺の方が迷っているみたいだ。
追いかけてくる感染者を蹴り飛ばしながら、停止したエスカレーターを何とも言えない感覚と共に下りる。
何でこう、止まっているエスカレーターなのに、動いているような変な感覚になるのだろう。
そんなとりとめも無いことを考えながらエスカレーターを下りきり、レストランエリアに向かう。
レストランエリアの先に、自動車販売コーナーが見えてくる。
自動車販売コーナーでは阿笠氏がイヤにイキイキとして動き回っており、その逆に東所君の両親と松阪君が、心配そうにこちらを見ながら待っていた様だ。
そんな様子が見えた女性達は、改めて助かると解ったのか、我先にと駆け出す。
歩割爺さんも明智氏も毛利さんも、慌ててそんな皆をなだめながら纏めようと、女性達に合わせて駆け出す。
遅れた俺達は皆に追いつこうと、松阪君達に手を振りながら同じように駆け出そうとした。
味方と合流できた、という安心感があったのだと思う。
正直、この瞬間は油断していた。
しかも不運なことに、ヤツが飛び出してきたのは右側にある店であり、それは右目が見えず死角となっていた俺にとっては、最悪の相性だった。
「ぬぐぁっ!?」
飛び出してきた阿久徒が持っていた短刀、それが腹に突き立てられる。
突き立てられた場所を中心に、“痛い”が数百、数千と重なる様な、重なり合ったそれらが“熱い”という感覚を引き起こす。
何クソと思い右手で裏拳を放つが、既に威力も速度も無いそれは簡単に躱され、蹴り飛ばされる。
俺を刺し、蹴り飛ばした阿久徒は、素早い動きで東所君の手にある銃を奪い、そして東所君を殴り飛ばしていた。
「田園さん、最後に油断するのはいけませんね。」
「あ、あぁ……、次は気を付けるよ。」
床に倒れながら強がりを言ってみたものの、腹を刺された痛みからか、足が痺れて力が入らず、満足に動けない。
東所君も口から血を流しながら、怒りの表情で阿久徒を睨む。
「お前が……、小百合ちゃんを!」
阿久徒は余裕の表情で俺達を見下ろす。
「全く、あなた方のお陰でここはメチャクチャだ。
だが、まだ親衛隊も警備班も残っている。
少し大変ですが、また再建すれば良い。
まずは地還しのたま達を元の場所に戻すため、ここにいる皆さんにご協力頂きたい所ですな。
ねぇ、田園さん?」
“殺されたくなければ、皆を説得しろ”か、舐めてるな。
「……フ、フフ、面白い冗談だ。
俺は、ユーモアのセンスが無いらしいからな。
参考にさせて貰うよ。」
阿久徒は無表情のまま、俺の左太股を撃ち抜く。
強烈な痛みに体が仰け反る。
「止めろ!!」
東所君が、先程の親衛隊からくすねたのか、隠し持っていたもう1丁の銃を抜き、阿久徒に向ける。
「おや、私に銃を向けますか?
撃っても良いが、約束しましょう。
撃たれたその瞬間、私は絶対にこの男の頭を撃ち抜く。
君の行動1つで、この男の運命が決まります。
まぁ、余力が残っていたら、ついでに君も殺してあげようじゃないですか。
あぁ、これは約束とまではいきませんけどね。」
東所君は怒りの表情のままだが、動揺したのは解る。
いかんな、それじゃ相手の思うつぼだ。
「どうしました?撃たないのですか?
じゃあこの退屈な時間、面白い話をしてあげましょう。
君の思い人、良い声で鳴いていましたよ?
やはり初物は違いますね。」
「なっ……!!」
ダメだ東所君、耳を貸すな。
そう叫びたいが、口から漏れるのは呻き声だけだ。
体が、手足の先から温度が抜けていくのがわかる。
痛い。
寒い。
眠い。
痛みと寒さで、意識を保つのも辛い。
ただ、今ここで意識を失えば、全てが終わる。
「最初は嫌がっていましたからね、何度も殴り、遂には薬まで使わせて貰いましたよ。
効果は抜群でね、遂には抱きついて離れなくなり、私のが気持ちいいと、君のことなんかもう忘れたと、悦んでいましたよ。
残念ですね、君は、君の想いは、彼女に裏切られたんですよ!」
阿久徒の狂ったような高笑いが周囲に響く。
遠くで誰かが声を押し殺し泣き崩れる音が、僅かに聞こえる。
……てめぇこの野郎。
「それがどうした!
人を辛い目にあわせて、そう言わせただけじゃないか!
僕はそれを、裏切られたとは思わない!」
薄れつつある意識の中、まるで東所君の叫びに呼応するかのように、突如として世界のステータスを示すウインドウが現れた。
表示されている画面の文字はグレーアウトで、中心にロックマークが表示されているが、そのロックはヒビが入っている。
「僕は……、僕はそれでも、彼女を信じ、愛している!!」
ロックのマークは完全に割れ、世界のステータスがコントロール出来るようになっていた。
だがまだだ、今これを操作できる状況じゃない。
そう思った時、マキーナの声が頭に響く。
<制限が解除されました。システム、復旧を開始します。>
そうか、世界の強制力を解除させる為にも、このロック解除は必要だったのか。
理解と同時に全身を何かが駆け巡り、ダメージを回復させ始める。
(マキーナ、早くしてくれ!)
<ダメージが深刻すぎます。復旧とアナタが動けるようになるまでの回復と合わせ、3分ほどお待ちを。>
頭の中でマキーナに呼びかける。
何となくではあるが、無機質なマキーナの声にも焦りは感じていた。
だが駄目だ、それじゃ間に合わない。
「どうしました?口だけで、撃てないんですか?
結局、言葉だけでは何も変わらない。」
東所君が決心をし、引き金にかけた指が動く。
「三尺、止めなさい。」
東所君が引き金を引く前に、声がかけられる。
目線だけを動かしてそちらを見れば、東所君のお父さんがこちらに歩いてきていた。
その表情は諦観がにじみ出ている。
敗北を受け入れる気か?
止めろ、止めてくれ。
俺はまだ負けてない。
「おや、確かアナタはこの子の父親でしたね。
なら話は早い。
アナタがこの子と皆を説得なさい。
また我等の楽園を、ここに築きましょう。」
「お父さん、何で!」
東所君のお父さんは、ある程度まで近付くと、自然体でただ立っている。
おや?と、思った。
最初は降伏の為に来たと思った。
だがそれを告げるために来たとしたら、そんな状況で緊張しない人間の方が少ない。
緊張すれば体に力が入る。
自然体で立っていること自体が、不自然だ。
「阿久徒さん、我々は、いや、私はもう貴方と共には歩めない。」
「ほう?では何故前に?貴方から殺されたいのですか?」
銃口が俺から東所君のお父さんに向かう。
イカン、これは確実に撃つ予感がする。
逃げろ、東所君のお父さん。
まだ声が出せない。
目だけで、東所君のお父さんを見る。
「息子が殺されかかっていて、黙って見ている親がいるものか!!」
雄叫びをあげながらも、彼は何処までも自然体だった。
自然体のまま、わずかに腰を落としつつ、背中側、腰のベルトに挟んでいた拳銃を抜き取り、構え、撃つ。
急いでまた目だけを動かし阿久徒を見ると、胸の中心から赤い染みが広がるのが見えた。
本人も胸を押さえた左手を見つめ、何が起きたか解っていない様だった。
クイックドロウ。
本当に一瞬の早業だった。
しかも、1発では終わらない。
右肩にもう1発、右手に持つ銃にもう1発。
銃の破片を撒き散らしながら、阿久徒はスローモーションの様に、仰向けに倒れていった。




