139:名前のない怪物
東所君が落ち着きを取り戻すのに、少しかかった。
首を絞められたことと、いや、それよりも自分の発言で俺達が危機に陥ったことが、彼の心に酷く傷を残したらしい。
最初は厳しい目で見ていた松阪君も、いつしか東所君を落ち着かせる役割に回っていた。
そんな中でも、さり気なく室内を見渡す。
天井の隅に監視カメラが設置してある。
黒い半球体の中で、電源が着いている事を示す赤い光が見える。
確かあの手のタイプの防犯カメラは、音声までは拾われないタイプのハズだ。
その他周囲には何も無し。
いや、無惨な姿に成り果てた、無線機だったモノがあるか。
それ以外は本当に何も無い。
設置のコンセントにマルチタップでも着いていれば盗聴器を特定できたが、本当に何も無い。
まぁ、天井裏にでも仕掛けられていたらアウトって所か。
「東所君、落ち着いたかい?」
落ち着きを見せた東所君に、極力穏やかに声をかける。
「僕は……、僕はそんなつもりじゃ……。」
俯きながら、少しずつ話し出す。
結局の所は、脅されていたらしい。
俺達が目覚めるように治療してやろう、お友達の少女を助けたくないのか、家族に会いたくないのか。
例の亜久徒氏に言葉巧みに脅され、殆どのことを話してしまったらしい。
俺達が近くのコンビニを待機所にしていたこと、仲間の人数と構成、ここでの目的と最終的に向かう場所。
殆どを答えていることは解った。
「そうだったか……。坊や、いや、三尺君、すまなかった。」
彼が全て話してしまっていたことを、松阪君は怒るかなと思ったが、逆に謝っていた。
いきなり謝られた東所君は“いや、あの、悪いのは僕の方で……”と口篭もる。
それを見ても、松阪君は真っ直ぐ東所君を見ていた。
「そうだ、俺達にすぐに何かあったのかを報告しなかったお前は悪い。
だけど、お前の事情を考えずに締め上げた俺も悪い。
だから、お互い悪いって事で、ここで手打ちにさせてくれ。」
東所君は、ハッとなりながら松阪君を見上げる。
その目は先程までと違い、光の戻った目をしていた。
「は、はい!僕の方こそ、ごめんなさい松阪さん!」
松阪君が、優しい笑顔を東所君に向ける。
その光景はまるで、年の離れた兄と弟のようだ。
「でもな、今回俺達2人が迷惑かけた人がいる。
俺はお前の話を聞くように諭してもらったし、お前は事前に話してくれなかったから、そのせいで殴られた人だ。
お互い迷惑かけたんだ、謝るのが筋だろう。」
2人が俺を見る。
いや、全然そんな事求めて無かったんだけど。
「田園さん、すいませんでした!」
「タゾッさん、申し訳ねぇッス!」
よし松阪君、まずは敬語から勉強しようか。
困り果てながらも俺は、“雨降って、ジジイくたばるって事で、これで良しとしよう”と言って場を和ます小粋な激ウマジョークを言うと、2人が微妙な顔をしていた。
「それ、小百合ちゃんが聞いていたら、“田園さんのユーモアのセンスは最悪だとわかりました”とか、また言われちゃいますよ?」
東所君の一言で、俺達は笑う。
最悪で、クソッタレな状況だ。
それでも、俺達は笑っていた。
穏やかな空気は、しかし扉の鍵を乱暴に開ける音で終わりを告げる。
扉を開けると、あのガタイの良い、何だっけか、そうだ、剣人と呼ばれていた男と、その取り巻きらしき奴等が姿を現す。
改めて見ると、身長は俺より10センチは高そうだから、190センチ位だろうか。
ボディビルでもやっているのだろうか?マンガで描かれるようなマッチョだが、横幅はさほど太くない。
細マッチョってやつか。
髪は短髪で立たせている。
首も中々に太い。
ただ、先程もそう感じていたが、あまり彼から武の匂いがしない。
先程のパンチも、筋肉に任せたテレフォンパンチだった。
凶暴な筋肉だが、武をやる体じゃない。
剛術が主体の武をやる人間なら、もっと筋肉の上に脂肪がうっすらと乗るような体型になるはずだ。
柔術が主体の武をやる人間なら、もう少し筋肉が少ない。
武に携わった人間から見れば、どちらから見ても中途半端。
それが彼の印象だ。
「談笑しているところ悪いが、移動して貰う。
お前等も既に新世界教の資産だ。
……これから、楽しい労働の時間だ。」
「オイ、俺達の服とか返せよ。」
松阪君が掴みかからんばかりの勢いで歩み寄ろうとしたのを、手で制して止める。
「それもそうだし、ついでに、東所君の両親と合わせるって約束はどうなったんだ?」
剣人君はニヤリと下品に笑うと、取り巻きが持っていた服を俺と松阪君に放り投げる。
松阪君は元の服のようだが、俺の服はツナギの作業着だった。
「オッサンの服はよく出来ていたからな。荷物共々、俺達の資産にさせて貰う。
後はそこのガキの親だったか、まぁ、それも行けば解る。」
そう言うと取り巻きに何か言い、去って行く。
去り際にふと思い出したように、俺の方を向くと敵意を剥き出しにして睨んできた。
「そうだ、貸しだか何だか知らんが、明日相手してやるよ。
最も、それまでにお前にその元気が残っていたらな。」
意味ありげなことを言い、ニヤリとまた下品に笑う。
「確かにその方が良いかもな。
有利にならないとイキがれない雑魚が相手なら、俺がヘトヘトになってないと勝負にすらならんからな。」
作業着に袖を通しながら、独り言のように呟く。
彼はそのまま近くにいた取り巻きの1人を殴ると、そのまま部屋を出ていった。
残念、自身の煽り耐性が低いのにそうやってこちらを煽るから、こうなるんだ。
起き上がった取り巻きに“大丈夫かい?”と、声をかけるが、その取り巻きにも“うるせぇ!”と返されてしまった。
うーん、追い煽りになってしまったようだ。
勢大ちゃん反省。
着替えて外に連れ出された先で見たモノは、中々にぶっ飛んでいた。
元の世界でも同じ場所の同じ施設に来たことがあるが、どうやら構造はそれと同じ様だ。
ただ、1階に続く道は全て封鎖されていた。
それというのも、1階には感染者がひしめき合っているからだ。
感染者にならずにいる人間が居住するのは2階以上で、皆一様に疲れ切り、死んだ魚のような濁った目をしていた。
「よし、全員、休憩の前に集まってここに座れ。」
40~50人位だろうか。
号令がかかり、ノロノロと人々が集まり俺達と取り巻きの前に座る。
「昨日の捕獲で得た新人だ。お前等で仕事を教えろ。
それとこのガキは、……ええと、東所と言うらしい。
このガキの親はどこだ。」
「あぁ!三尺!!」
汚れだらけの服を纏った夫婦がよろけながら立ち上がり、前に駆け出してくる。
「母さん!父さん!」
ようやく会えた。
親子で抱き合うその姿を見て、ホッと胸をなで下ろす。
ただ、その感動は長く続かない。
「よし、丁度良い、お前等夫婦がコイツらを教えろ。
何かあればお前達の責任だ。」
取り巻きの1人が事務的にそう告げると、食糧の配給が始まる。
皆、親子の感動的な対面などそっちのけで、食糧に群がる。
その風景を見た俺は、感染者とこの人間達にどれ程の差があるのか、少しだけ疑問を持ってしまうのだった。




