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無線機のマイクを持ち、チラと亜久徒氏を見る。
「もちろん、ご理解いただいておると思いますが、あまり困ったことを吹き込まれるようでしたら、そこの少年のご両親や、今は別室にいらっしゃるお友達のお嬢さんがどうなるかは私にはわかりません。
私はあまり手荒な事はしたくないのですが、強硬な考えを持つ友人たちも多いものでして。」
少しだけ、鼻で笑ってしまう。
その態度が気に入らなかったのか、周囲の護衛が銃の撃鉄を上げる音が聞こえる。
“配下の行動一つ制御できない無能”と言っているに等しいが、あまり今は刺激しすぎない方が良いか。
両手を挙げて肩をすくめる。
一応、護衛達も撃鉄を元に戻す。
とは言え、引き金を引かれれば鉛玉が飛び出してくることに変わりはない。
それでも、念のために亜久徒氏に声をかける。
「一緒にいたお嬢ちゃん、俺が起きたときにこの子から聞いたが、アンタに“貢物”として奉げられたって聞いたんだが、あんな子供に何をさせる気だい?」
亜久徒氏は全く表情を崩さない。
この動じない無表情こそが、彼がこの立場にいられる才能なのかもしれない。
「色々とありますが、今はそうですね、あなたとの交渉材料になってもらいますか。」
殴り倒したい気持ちになったが、ニッコリ笑顔を作って“何かあったら後先考えないでぶっ殺すね”と言ってやる。
また護衛共が銃口をこちらに向けなおすが、亜久徒氏はゆっくりとした動作で、それを制していた。
そしてこれ以上語ることは無いとばかりに、無線機を右手全体で指し示す。
観念して、マイクを引き寄せる。
「……こちら田園、聞こえますか阿笠さん。」
≪……悪いの、阿笠の奴は席を外……る。代わりに儂が応対するぞ。
して、そちらはどうじゃった?
ひと晩も連……無いから心配しとったぞ。≫
雑音ノイズ交じりの中で、すぐに歩割爺さんの声が聞こえる。
心配だったのか、無線機に貼り付いていてくれたようだ。
やれやれ、解ってはいた事だが、やっぱりこの無線機をしっかり直してやがったか。
ちょっとだけ、壊れている事を期待したかったんだがな。
「えぇ、こちらで歓待されてまして。
当初の心配は外れましたね。
こちらの方々はとても良い人達のようです。
早めの合流を連絡するために通信しました。」
《おぉ、そりゃ良か……わい。
ただ、今色々と荷物を広げておる……のぅ。
そちらに向かえるのは、明後日くらいになりそうじゃ……、大丈夫かの?》
チラと亜久徒氏を見る。
彼は笑顔で頷いていた。
「問題無さそうです。
残念ながらご実家に向かわなくても良さそうですよ。
なので、さほど急ぐ旅でも無くなりましたからね、慌てずゆっくり来て下さい。」
《あいよ、わかっ……。ちなみに、儂等は風と森のどちらに行けば良いかの?》
このレイクのタウンは風と呼ばれるエリアと森と呼ばれるエリアの2つに別れていた。
また訪ねようとしたが、今度は亜久徒氏を見るよりも早く、彼が“ここは風エリアです、風エリア側に来るように誘導しなさい。”と俺に告げていた。
「ここは風エリアです。明後日来るときも、風エリア側に来るようにお願いします。」
《承知した。こち……らの確認は以上じゃ。そちらは何かあ……?
あ、いや、もう一つあっ……わい。例のピノキオ達は連れて行っても大丈夫……のぅ?》
亜久徒氏が笑顔を崩さず“何です?”と聞いてくる。
俺はそれに、“昨晩この爺さんが拾った2匹の子猫だよ。”と返すと、理解したのか満足そうに“結構ですよ”と返してきた。
「問題無さそうです。ただ子猫ですからね。
目を離すとすぐに姿を消したり暴れたりしますからね、気を付けて下さいよ。
特にあの雌の子猫は活発だ、姿を消すと多分ここでは見つからなくなっちゃいますよ。」
《ハハ……、わかっと……わい。それじゃ、以上じゃ。また明後日にの。》
「交信終了。お待ちしてます。」
マイクを無線機にかける。
ガタイの良い剣人君が左手でバッテリーに繫がった電源ケーブルを引き千切ると、右手で重そうな無線機を軽々と持ち上げる。
そのまま床に叩きつけると、2度3度と、全体重をかけて踏みつけられた。
今度こそ完璧に、あの無線機は壊れたようだ。
「やぁ、素晴らしい。そこの少年から聞きましたが、女性が後2名もいらっしゃるとのこと。
新世界に相応しい、新たな生命誕生の拠り所がいらっしゃるのは、我々としても非常に好ましい事です。
あぁ、後でその少年のご両親ともお会いさせましょう。
あなたは約束を守った。
私もしっかりと約束を守らせて頂きます。」
亜久徒氏は上機嫌だ。
俺はそんな彼にしらけながらも、気になっていたことを聞く。
「おい、仲間のあの少女はどこだ。言うことを聞いたんだ。ついでに彼女も返してもらいたいね。」
亜久徒氏の上機嫌は止まらない。
「おや、それは失礼。
ただ、あの少女は私共の信者から貢ぎ物として献上され、私は彼等に報償を与えました。
それらに嘘をつくわけには参りませんので、残念ですが諦めて頂きましょう。」
「テメェ、っざっけんなよ!」
松阪君が掴みかかろうとするが、例の剣人君に思い切り殴られて、後ろに吹き飛ぶ。
当たり所が悪かったようで、そのまま失神してしまったようだ。
「貸し1つ、だ。」
俺は亜久徒氏から視線を外さずにそう伝える。
自身が安全圏にいるからか、亜久徒氏は実に愉快そうだった。
「やぁ、剣人。田園さんがこう言っていらっしゃる。
後で2人が遊ぶ機会をやろう。」
そのまま部屋から出ていこうとする一行を、俺はもう一度呼び止める。
「何でしょう?こう見えてそれなりに忙しいモノでして。」
もうやりたかった遊びは終わったからだろう。
亜久徒氏は不愉快さを滲ませつつ、如何にもつまらなさそうな、氷のような目つきで俺を見る。
「あぁ、一応確認したくて。
……キャットフードは、もちろん用意してくれるんでしょうね?」
俺は片眉を上げながら人差し指を立て、余裕綽々かつ芝居染みた表情で問いかける。
亜久徒氏は何とも言えない表情を一瞬したが、すぐに笑顔に戻り“えぇ、手配させましょう”と言うと、そのまま部屋を出ていった。
部屋を出た後ですぐさま扉に近付き耳をつけると、何かを蹴り飛ばす音が聞こえてきた。
よし、イラつかせることは成功したようだ。
ついでに、“今日の深夜に……”という何かを指示している声も聞こえた。
今日の深夜か。
なら、それもこちらの勝ちだな。
俺はニヤリと笑うと、失神している松阪君の元に向かう。
上体を起こしながら後ろに回り、首の骨周りをチェックするが、幸いズレなどは無いようだ。
少し安心するとそのまま指を彼のこめかみ、耳後ろ、延髄の位置に当てる。
脳の中心に血液を送る様に何度か指圧してやる。
「うっ……、あっ?」
気がついたようだ。
一安心したが、松阪君は奴らがいないとわかると、東所君の胸倉を掴み上げた。
身長差のある2人だ、東所君の足が宙に浮かんでしまっている。
「テメェ、チンコロしやがったんか!?
あぁ!?どうなんだよ!?
テメェもう奴等の仲間になったんか!?」
「ち、ちが……僕は……。」
東所君が苦しそうに喘ぐのを見て、流石にやり過ぎだと松阪君を止める。
「タゾッさんは甘すぎますよ!
密告して、しかもそれを俺等に話さなかったんですよ?
こんな状況だ、仲間になったら信じる、仲間でなくなったなら制裁する、そうしないと生きていけねぇでしょうが!
それにはガキだ何だは関係ねぇ!」
締め上げようとする松阪君の腕の秘孔を突き、手をほどかせる。
「落ち着けよ。東所君にも言い分があるはずだ。」
やれやれ、松阪君は楽天家ではあるが、短絡的なのが玉に瑕だな。
松阪君も不満はあるようだが、理解はしてくれたらしい。
渋い顔のままではあるが、その場にドカリと座り、東所君を睨みつける。
俺もその場に胡座座りをすると、苦しそうにしている東所君を、静かに見つめた。




