119:蜘蛛の糸
俺はメイスを回収し、オタク君を見下ろす。
彼は窓の外から現れた感染者に足を掴まれ、引きずり倒されていた。
人間、完全に痛みとパニックが一緒にくる状態になると、手に持っているモノが何かも忘れるらしい。
いや、より原始的な行動をとる、と言った方が良いか。
ライフルの引き金を握ったまま、その銃身で足に噛みついている感染者を何度も叩いていた。
1~2体は頭を叩かれて下へ落ちていったが、その内に他の感染者に銃身を掴まれ、力では敵わず取り上げられてしまっていた。
こちらに腹ばいになり、足をバタつかせながら必死にこちらに這い寄ろうとしているが、感染者達はそのまま彼に複数食らいつき、無数の手が彼を窓の外へ、下へと引きずる。
1対複数の引っ張り合いだ。
当然感染者達の方が力は強い。
オタク君の足が窓枠から出ると、両膝が簡単に逆に折られる程、強い力で引き込まれていた。
足が膝から逆に折れたその瞬間、まさしく豚のようなオタク君の絶叫が室内に響く。
「だず、だすげでぇ!!
いぃたぁぁぁいぃぃ!!!」
外に落ちないように必死に床を掴もうとしている。
爪は剥がれ、血の線が床に何本も引かれる。
もう胸から下は窓の外に出ている。
必死にしがみついているオタク君の背に、ヒョイと小柄の感染者が上るのが見えた。
「良かったな少年趣味。
お望み通り、ショタがお前を責めてくれるみたいだぞ。」
その小柄な感染者は、顔の半分が筋肉繊維剥き出しになっているような、見るも無惨な状態だが、その衣服には見覚えがある。
昨晩、俺達の代わりにこのオタク君に狙撃された親子、その子供の方だ。
「あぎゃぎゃぎゃあぁあ!!
いひっ!ぶひっ!あぁあぁ~!!」
首筋を後ろから噛まれ、叫ぶオタク君の姿はまさしくショタ×オタだ。
絶叫も、ともすれば嬌声にも感じられ……いや、それは無かったわ。
だがまぁ、コイツも満足だろう。
その証拠に、絶叫を響かせながら遂には地面へ落ちていった。
上りかけていた感染者達も、それを追って数体が下へと落ちていった。
ただ、このままではマズい。
窓から下を覗き見ると、感染者が折り重なり、まるで1つの生き物のように蠢きながらここを目指している。
それはさながら獲物に群がる蟻、巣の中にいる蜘蛛の子の様な、生理的な嫌悪感を感じる蠢きだ。
「東所君、このままじゃヤバい。
奴の武器に何か良いの無いか探すぞ。」
振り返って東所君を見ると、彼はまだドン引きの目でこちらを見ていた。
「田園さん、僕を差し出したりするつもりだったんですか……?」
「馬鹿!時間稼ぎの適当発言だ!
真に受けるな!」
焦りながら叱りつける。
こういう時は、下手に謝るより怒鳴りつけて有耶無耶にするに限る。
「そ、そうですよね、田園さんがそんな事するわけないですね。」
……ん?なんだろう。
少し違和感を感じる表情だったが、とにかく場は収まったし、なにより今はそれどころではない。
急いで武器が積んであるフロアの一角を調べると、手榴弾を幾つか発見できた。
緑のボディに安全装置のレバーが着いた、いわゆるパイナップル爆弾だ。
すぐに1つ取り、ピンを抜いてレバーがはね飛ぶ。
「1、2、3っと。」
3秒数えてから、アンダースローで窓の外へ放る。
すぐに轟音がなり、爆発の煙が立ち上る。
窓際に見えていた手が無くなったので、改めてもう1つ手榴弾を手に取ると、窓から下を覗く。
良い感じに群れの途中で炸裂し、中央から上の感染者は崩れ落ちて行ったようだ。
またピンを抜くと、今度は真下に向けて思い切り投げる。
空中でレバーが外れ、地面に落ちる頃に炸裂する。
うまいこと、上ろうとした群れの大半を崩すことが出来た。
しかも轟音がした辺りに感染者達が集まりだしている。
完全に上への意識は無くなったようだ。
「な、何ですか今のは?」
東所君が耳を押さえながらこちらに近寄る。
「あぁ、“パイナップル”って俗称で呼ばれている手で投げられるサイズの爆弾だよ。
これのピンを抜くと、レバーが外れて、大体5秒後位に爆発するんだよ。」
パイナップル手榴弾が2つ残ったので、1つを東所君に投げて渡す。
東所君は“わっ!わっ!わっ!”と言いながら、アタフタした様子で受け取ると、おっかなびっくり手榴弾を眺めていた。
「それはいいが、東所君、移動手段は見つけられたんだよな?」
東所君と二手に分かれた理由、それは彼に脱出のための移動手段を先に探して貰うためだった。
二人で一緒に探しても良かったが、もし二人で探しているときにあのオタク君に見付かったら厄介だ。
そのため、移動手段を探す役とオタク君と対峙する役とで分けて行動していたのだ。
「任せて下さい!結構驚くと思いますよ!」
おぉ、中々の自信だ。
マウンテンバイクでも見つけたのかな?
小学生?位の東所君には、バイクなど解らないだろうから、使えそうな電気自転車やマウンテンバイクなどの自転車で良いから探して欲しいとお願いしていた。
音がしなく、燃料も必要でない分だけ、自転車の方が利便性が良さそうだと感じていた。
「んじゃまぁ、こんな所、とっととずらかるか。」
近くの東京ドームも、先程の話では大した物資も無いだろう。
それどころか中は感染者で埋め尽くされている可能性もある。
なら、こんな所はサッサと逃げた方が賢明だ。
一応、残りの武器類を探すと、リボルバー式の拳銃とそれ用の弾も、幾つか発見できた。
リボルバーを手に持ち、考える。
東所君のスリングライフルは便利だが、弾を装填するのに彼一人だと苦労する。
これがあれば彼の攻撃力も上がるが、今回のように人間が相手になると“火力がありすぎる”様に思える。
銃は確かに強い。
だが強すぎるが故に、“殺さない”という選択が中々取れない。
肩を狙って撃つ?急所を外して撃つ?
……無理だ。
腕前もそうだし、何より現状で撃たれる様な怪我をすれば、治療できずにいずれ死に至る。
“まぁ、一応持っておくか”
近くで手足をもがれた感染者が動くのを感じ、そう結論づける。
抑止力にはなるし、何よりこの場で使わなければならないからだ。
銃を手に、“彼女”の元に近付く。
「田園さん、何を……。」
「……見るな、とは言わん。
そして見ろ、とも言わん。
何が正しいかは、君が判断することだ。」
フルフェイスヘルメットも、銃弾は防げなかったようだ。
頭に1発撃ちこみ、死して尚辱めを受けていた彼女を、天に帰してやる。
「行くぞ。」
東所君は何も言わなかった。
ただ、黙ってそれらを見ていた。
静かに非常階段を下り、東所君に案内して貰い駐輪場にたどり着く。
「どうですか?結構当たりだと思いますよ!」
先程の空気を払拭させるかのように、ドヤ顔で俺に“ソレ”をお披露目してくれる。
「ん?お、へぇ~。
電気スクーターか!」
「そうなんです!ウチにあったのと同じ形で、しかも鍵がささりっばなしでした!
キーを回して確認したら、エネルギーもいっぱいあるみたいですよ!」
試しにキーを回し、電源スイッチを押してエンジンを始動させる。
本当だ。
エネルギー残量も2/3以上あるし、ついでに二人乗りが出来るバイクだった。
メーカーはテラワロスモーターズ……なんか凄い名前だけど。
少しだけ、不思議に思う。
“ツキ過ぎている”気がする。
だが、このバイク、これ以上無い物件だ。
荷物をくくり付けると、東所君と二人でバイクにまたがる。
深く考えても仕方ない。
まずはこの区域から脱出だ。
俺はアクセルをふかすと、“この危険区域からやっと脱出出来る”と胸をなで下ろした。




