118:ブラックホークじゃなくてオタクがダウン
《こちらトージョ、作業完了。合流しにそちら向かいます。》
静かにインカムを2回爪で叩く。
予め決めていた、声を出せない時の回答だ。
イエスなら2回、ノーなら1回で判断する。
そう決めていた。
一番のネックが無くなったことに安心する。
なら次はこっちだと、すり足でゆっくりと近付きつつ、心を空にしていく。
俺は、敵意や悪意を感じると目が覚める癖がある。
子供の頃、まだ元気だった兄貴によく寝込みに襲撃を受けて、イタズラをされていた。
その内自然と、寝ている時に良くない感情を向けられると起きるようになっていた。
兄貴が死んでその事もすっかり忘れていたが、ある晩悪意とも敵意とも取れる何かを感じて、布団から飛び起きた。
そうすると、寝室の入口で驚いている奥さんと目が合った。
聞けば、寝顔が無防備だったからイタズラしようとしたら、突然跳ね起きた、と言うことらしい。
“驚かせないで!”と、逆に奥さんに怒られて理不尽なモノを感じたが、その時に“あぁ、子供の時に覚えたことは、やっぱり大人になっても忘れないんだなぁ”という懐かしさを感じたモノだ。
奥さんは“そんな事が出来る人は見たことが無い”と言っていたが、俺に出来ると言うことは、当然他の誰かも出来ると見るべきだ。
世の中は広い。
“誰にも負けない特技だ”と思っていても、世界に出れば同じ様な特技を持った奴は五万といる。
更にその特技の上位互換みたいな特技を持つ奴も、ざらにいる。
ならば、コイツもソレが出来ると考えるべきだ。
特技は優位性であって絶対ではない。
主人公だけにしか出来なくて、他の奴は出来ずに“そ、そんな!?あの××がこんな〇〇だなんて!?”なんてのは、それこそお伽話の中だけだ。
歩幅にしてあと三歩程度。
腰からメイスを抜き取る。
静かにメイスを持ち上げ、肩に担ぐ。
虎眼先生の流派の人が獲物を肩に担いだら用心せぇ!って奴だな。
もう1本、すり足で近寄った際に、扉から機械的な警報音が鳴る。
“ヤバい!?”と焦った俺は、一気に距離を詰めてメイスを振り下ろす。
その刹那、オタク氏がパチッと目を開け、俺と目が合うと“ヒッ!?”と怯えながらも、転がるようにして振り下ろされるメイスを避けた。
そのままボールのように窓際まで転がると、跳ね起きながらライフルを構える。
あまりの素早さに、追撃する事が出来なかった。
……野郎、見た目に反して良い動きするじゃねぇか。
だが、心はそこまで落ち着いてなかったらしい。
すぐに発砲せずに、銃口をこちらに向けるだけだった。
「な、な、な、なんだお前達!?
武器を捨てろ!奥の奴も出てこい!」
ヤバい、パニック状態だ、落ち着かせるためにメイスを投げ捨てる。
「待て!ホラ、今捨てた。撃つな。」
「お、奥の奴も呼べ!」
仕方ない。
俺は東所君を呼ぶと、彼も暗がりから姿を現した。
その手にはガムテープが着いたリボルバーを持っている。
なるほど、アレを取るとこう言う事になるのか。
「フヒ、フヒヒ、マヌケな侵入者だな!そのリボルバーにはあの扉から剥がすとBluetooth経由で警報が鳴るように仕込まれていたんだ!
マヌケがアレを取ろうとするとこうなるように仕組んであったんだ!
お、俺様の守りは完璧って訳だ!」
うわスッゲェ早口。
「田園さん、すいません……。」
東所君の声を聞くだけでも、半ば諦めのような、相当にしょげているのはわかる。
だが、まだその時じゃない。
諦めるのはまだ早い。
幸いなことに、すぐには撃たれなかった。
至近距離で生きている人間を撃つのはまだ慣れていなかったのだろう。
奴は左足を前に、右足を後ろにして銃を構えている。
左手でしっかりと銃身を握っている。
獲物は違えど、左前に構えているのと一緒だ。
体から力を抜き、足を肩幅に。
“まぁ落ち着けよ”と言いながら肘を締め、両手を広げて相手に見せる。
一見降参のポーズ、その実教わった武術で言うなら“八相構え”。
殺意を消す。
あくまで自然体に、左足に体重をかけつつ、やや重心を後ろ身にして構える。
パッと見は怯えて仰け反っているように見えるはずだ。
「いやぁ、悪かった。
ただまぁ、そっちもいきなり撃ってきたんだから、これでおあいこって事にして、俺等を見逃さない?」
落ち着いて、ゆっくりと話す。
そうしながら、目線は動かさず視野全体で相手を観察する。
(八方目だったか、暫く使ってなかったなぁ)
そんな事を思いながらも、やはり体は覚えているモノだ。
引き金にかかっている指。
浮ついている腰。
ライフルのセレクターは恐らく斜め上、45度。
昔見た雑誌の記事を信じるなら、上からセーフティ、単発、3点バースト、フルオートだったと思う。
昨日はあの親子を単発で狙い撃ちにしていた。
ならばそのままの可能性が高い。
「そ、そんなわけには行くか!
今、圧倒的に有利なのはどちらか、解ってねぇようだな!」
彼はそう言うとライフルをもう一度持ち上げて、力んでみせた。
その姿があまりにも必死すぎて少し笑いがこみ上げてくるが、今笑うわけにはいかない。
引き金を引かれれば、次の瞬間には俺の頭が“汚ぇ花火だ”状態になるだろう。
「オッケ、オッケ、解った。
ただまぁ、こうしてにらみ合っててもお互い腹が減るだけだと思わんか?
多少の食い物は持ってる。
食事休憩にでもしないか?」
「うるせぇ!どいつもコイツも俺に指図ばかりしやがって!
今度指図したら容赦なくテメェを撃つぞ!」
“指図って、何かあったのかよ?”と聞いてみたところ、オタク氏は語り出した。
これがオタク特有の“隙あらば自分語り”か、と思いながら、チャンスを伺う為にも興味があるフリをして話を合わせる。
この東京ドームも、当初は非難指定場所だったらしい。
彼もここに逃げてきたが、周辺は感染者だらけになり、助けが来るまではとバリケードを張って孤立していたそうだ。
しかし助けは来ないどころか段々と物資が無くなり、遂にはここを出ていく派ともう少し待つ派で争いになり、その最中に出ていく派が無理にバリケードを破壊したことで感染者達が流入、地獄絵図と化したらしい。
その時彼は一緒に逃げてきた親を感染者の群れに突き飛ばして命からがら逃げ出し、運良く墜落していた米軍ヘリと思わしきモノから銃や物資を確保し、このビルに立てこもっていたらしい。
「あのクソジジイもクソババアも、お前はアレをしなさいコレをしちゃダメと口うるさかったからな!
避難所では無駄にリーダーを張りたがるクソ陽キャ共が勝手やってあのザマだ!
俺を見て“使えねぇクソデブ”だとかヌカしやがって!
現実はご覧の通りだ!あのクソ陽キャの隣にいたメスブタも、今じゃ俺の性処理係にしてやったぜ!
この混乱した世界は最高だ!何やっても許される!
俺が王だ!」
オタク君大興奮だ。
だがまぁ、何があったかは大体解った。
“頃合いか”と思い、仕掛けようかと思った矢先、“ソレ”が視界に映り、動きを止める。
東所君も気付いたようで、息をのむのがわかった。
「ハハハ!お前等も俺様には逆らえない事を教えてやるよ!
昨日はあの親子、ガキの方を逃したことを惜しく思っていたが、やっぱり俺はツイてる!
おいオッサン、そのガキを置いて消えるなら、見逃してやっても良いぜ?」
このオタク君、まさに今絶好調のようだ。
興味本位で“置いていったら、何する気?”と聞いてみる。
「決まってるだろう?
奴等の穴も段々締まりが悪くなってきてな!
幸いコスプレ道具が色々拾えてな!
俺がそのガキを男の娘にしてやるよ!」
うわぁ、変態さんだ。
だがそろそろだ。
一言声をかけてやるか。
「まぁ、俺としてはそれもやぶさかじゃないが、それよりも良いのか?
……お客さんみたいだぞ?」
東所君がびっくりしながら凄いスピードで顔をこっちに向けるのが、目の端でわかる。
物凄い絶望感だ。
「ハハハ!何がお客さんだ!頭でもおかしくなっ……!」
窓の下から伸びた手に足を取られ、オタク君の体勢が崩れる。
崩れる瞬間、引き金に力が入るのが見えた。
銃口、やや左下。
位置、多分左脇腹。
引き金、今。
重心を前に、ステップで右前に素早く移動する。
左の二の腕辺りを銃弾がかすめる。
危ねぇ、ギリギリ避けることが出来た。
昔師匠から“銃弾避け”のコツは聞いていたが、実際にやったのはこれが初めてだ。
全身から汗が止まらない。
「ぃ痛ぁい!やめ!止めてぇ!」
呼吸を整え、オタク君を見下ろす。
それはまさに地獄の様相だった。




