117:ミッション・ポシブルなものでお願いします
オタク氏が勝利の歓声を上げなくなって暫く。
近くの時計を見ると、時間は午前3時を回ろうとしていた。
「後2時間、午前5時頃に仕掛ける。」
恐らく、アイツはこの後幸せな睡眠に入るだろう。
寝入ってから2時間程度。
一番対応が厳しい状態の時に奇襲する。
アイツが持ってる武器は厳しすぎる。
この程度のハンデは必要だろう。
泣き止んでいた東所君に、静かに告げる。
東所君は静かに頷くが、その目には並々ならぬ殺意が宿っている。
俺はため息をつきながら、東所君の頭を軽く叩く。
「東所君、いいか。
今君は、アイツが憎くて憎くてたまらないって顔をしている。
そんな君をこれからの鉄火場に連れて行くのを、今俺はためらっている。」
「何故です?あの親子は僕らの代わりに死んでいるんです。
なら、僕らで敵討ちをするべきでしょう。」
俺は黙ってタバコに火をつけながら、この頑なな表情を崩さない少年を見やる。
怒りを持つこと自体はいいことでもある。
怒りは何より強い力だ。
俺も仕事を進める上で、何度もそれにお世話になっている。
でもそれだけに、判断を鈍らせることもある。
「理由はいくつかある。
1つは、こういうご時世だ、怪我をしても看てくれる医者はいない。
自然治癒できる範囲なら良いが、大怪我を負うとそれだけで生存確率が落ちる。
怒りに飲まれていると、無謀な行動を引き起こしやすい。
君の無謀な行動で、君だけが死ぬなら良い。
だが、隣にいる俺まで殺されるのは勘弁して欲しい。」
東所君の目に非難の色が映る。
そりゃそうだろうな、“死ぬなら勝手に死ね”と言っているようなモノなのだから。
まぁ、何時か解るときが来るだろうか?
この復讐戦の殆どは、自力では出来なかっただろう、と言うことに。
「もう1つは、君の倫理観がおかしくなりかかってるって事だ。
“目の前に俺の代わりに誰かを殺した憎い憎い人殺しがいる、だから殺そう”ってのは、正しいことなのか?」
「それは、その……。」
東所君の目に動揺が走る。
どうやら我に返ったようだ。
これ以上、俺が何か言う必要は無さそうだ。
やれやれ、子供との冒険は心躍るが、やはり疲れるな。
この世界から抜け出せたら、次の世界では少しノンビリするのも良いかもな。
「……でも、でも、じゃあ田園さんはアイツを見逃すんですか?」
そんな現実逃避をしていると、東所君から問われる。
聞かれて、思わずキョトンとしてしまう。
「え?いや殺す予定だよ?だって明確な障害じゃねぇか。」
俺の回答がある種サイコパスじみていると感じたのか、東所君が少し引く。
そのわかりやすい表情の変化に苦笑するが、すぐに表情を引き締める。
笑って言えることでも無い。
「言い方が端的すぎたか。
アイツは既に、殺人を愉しんでしまっている。
言ってみれば人間の倫理観の向こう側に行っちまってる。
それは最早、放置すれば人を襲い続ける、危険な害獣と変わらん。
だからここで仕留めておかなきゃ、まだまだ被害が出るだけだ。」
1度人の道から外れた獣は、もう人の世界には戻れない。
速やかに駆除しなければならない。
そう言う意味では、昔何処かの世界にいた“屍鬼の軍隊”と変わらないだろう。
あれも“人の言葉を喋りながら人を襲う”化け物だった。
やっていることに変わりはない。
見た目が人間か、化け物かの違いだけだ。
「俺は別に“誰を殺すか”なんて選んでやしない。
常に“誰かを殺したい”なんて思ってもいやしない。
ついでに言うなら“皆を救いたい”なんてのも思っていない。
“じゃあどうして彼を殺すのか”は、彼が俺の考える人としての倫理観から外れ、しかも現状ではそれしか安全を確保する解決手段が無いからだ。
この混沌とした世界なら、尚のこと“ブレない自分の価値観”を持て。
そしてその価値観において間違っていないと信じるのなら、迷わずに進め。
感情に揺り動かされ過ぎるな。」
釈然としない顔をしてはいるが、俺だって倫理の先生ってワケじゃない。
平時なら、いや平時なら警察に通報して終わりか。
ともかく、悩むならこれが終わって落ち着いてからだろう。
「いいか、今から打ち合わせだ。まずはな……。」
幸いにして、まだ無線機の電池は残っている。
俺達は二手に分かれて行動を開始した。
「こちらタゾノ、マイク感度良好か?」
《……こちらトージョ、よく聞こえています。》
「オッケイ、んじゃ予定通りに頼む。」
口元を覆いながら非常階段の扉を開ける。
静かに4階までたどり着き、足下の虫に気を付けながらゆっくり扉を開ける。
薄く開けたところで一旦中を確認する。
静かな空間に、イビキだろうか?
不規則なノイズが聞こえる。
そのまま開けようと力を入れようとしたが、ふと目線を下にやると細い糸がセロテープで貼ってあるのが見えた。
(鳴子か、こういう所は知恵が回るんだな。)
糸の先を見れば小さな木の杭に繫がっており、その上には鈴がいっぱいに入ったガラス瓶が置いてある。
そのまま引けばアレが倒れて派手に音が鳴る仕掛けだ。
そっとセロテープを剥がし、糸を取り除く。
他にも仕掛けてあるのかと調べたが、扉にはこれしか仕掛けてある様子はない。
そっと扉を開け、中に侵入する。
後ろを振り返り、扉が音を立てないように静かに閉める。
ドアの後ろにリボルバーだろうか?ガムテープで貼ってあるのが見えた。
(何でこんな所に武器が?)
丁度良いかと取ろうとしたが、何となく止める。
本当に何となく、嫌な予感がした。
こういう予感は結構当たる。
そっと銃に触れようとした手を離して、中に向けて進む。
非常口から少し進むと、バーカウンターのようなモノが見える。
普段はここが食卓代わりなのだろうか、弁当の容器やペットボトルが散乱している。
限界超えたら袋に入れて非常階段側に捨てているって感じか。
最高の引きこもり空間だな。
進もうとすると、モゾモゾと音がする。
(イッ!?)
危うく声を出すところだった。
ネズミか何かかと思って照らすと、そこには物理的に動けなくされた感染者がいたのだ。
手足を縛って、ではない。
手足をもがれて、だ。
顔の部分はフルフェイスのヘルメットを被されていて、外側から黒く塗りつぶされている。
体の方は衣服を纏っておらず、胸にはしっかりとした2つの山が強調している所をみても、中々にグラマラスな体をしている。
きっと生前は、アイツにとって、いや俺にも縁が無さそうな、エロいボデーをした美人さんだったのだろう。
(マジか、そう言う趣味まで揃えてるとはねぇ……。)
幾ら相手にされないからって、死んだ後の体をそうするかねぇ?と、思いながら、これ以上光を当てないようにすぐに消す。
マキーナの話が本当なら、顔以外でも光を認識している可能性もある。
騒がれても面倒だ。
(いた、あそこか。)
先程の超!エキサイティン!な場面で喜びすぎたのか、ライフルを抱えたまま高らかにイビキをかいている彼を見つけた。
周囲に何も無し。
どうか気付かないでくれよ、と、祈りながら、俺は近付き始める。




