09:必中の槍
そこそこ広いコンクリートの床、十数段程度の階段、豪華な造りだが石造りの玉座。
後は仕事帰りのくたびれたスーツ姿の俺と、白銀の鎧姿の男。
その男が抱えるように持つ同じく白銀の槍。
そこにあるものは、それが全てだった。
比喩表現でも何でも無く、他には何も無い。
あまりにも現実離れした光景に、俺の思考は止まっていた。
「え、えーっと、こんにちは?」
何を言って良いかわからず、しかし何か言わなければと焦って言ったのが、そんな妙な台詞だった。
男はさしたる感慨も無さそうに、しばらくこちらを見ていたが、しかし諦めたようにため息をついた。
「あー、あれだ。
そんな見え透いた手を使わなくてもいいぞ。
アンタも俺を殺しに来た転生者なんだろ?
それともあれか、何かわからないけど迷い込んじゃった感じか?
それならあのクソ神の所へ送り返してやるぞ?」
そう言われて、俺は自分の役割を思い出した。
いきなりラスボス前に転送という感じだが、彼が転生者なんだろう。
だが、彼はアンタ“も”と言った。
それが余りに不可解であり、何よりようやくまともに話せそうな人間に出会えた俺は、話し合いで穏便に済ませられないものかと思えてきた。
「えー、まぁそんな感じなんですが、聞いてたのと少し違うというか、良かったらこの状況を説明いただけないでしょうか……。」
期待から出た言葉ではあったが、彼の反応は早かった。
玉座から飛び出しながら銀の槍を構え、十数メートルの距離を一気に詰める。
穂先の狙いは恐らく心臓。
淀みない動作で銀の光が走る。
俺は左手に持った鞄から手を離すと、左足を半歩引き半身になりながら重心をやや後ろに。
右手を開き、体の中心に向かう穂先を側面から押すのと同時に、重心を右斜め前に。
銀の光そのものだった槍は、俺のジャケットを切り裂いて止まる。
「おいおい、これ一張羅なんだぜ?」
“あっぶな!っつか手の平切った!痛ぇ!”
余裕そうにしているが、冷や汗が俺の全身を伝っていた。
彼は“チッ”と舌打ちすると、素早く飛び下がり間合いを空けた。
“あっ、左拳で反撃出来たかな?”と一瞬考えたが、よく考えれば槍で左拳の射線は塞がっていたから、どうせ反撃しても防がれていたなと思い直した。
「やるじゃねぇか。一瞬の隙に反撃してきたら、その左手、ぶった切ってやろうと思ったのによ。」
「まぁな。」
あっぶねぇぇえ!やんなくて良かったぁぁ。
右手の平は切れて痛いし、ジャケットはバッサリ切られるしで、既に何とも言えない気持ちになっていた。
帰れるなら帰りたいが、そうもいかない。
俺のその気配を察してか、彼の構えが少し緩む。
「アンタ、変な奴だな。
俺を殺しに来た奴はもっと自信満々に、聞いてもいない能力自慢をしてたぜ。
んで迷い込んできた奴は、さっきの一撃に反応出来なかったぜ。」
一瞬、動きが止まる。
合わせなかった視線を、彼に合わせる。
「今、何と?」
「お、いいねぇ、その空気。
何だよ、初めからこうすりゃ良かったぜ。」
ジャケットを脱ぎ、左足を前に少し、右足を後ろへ半歩。
体重は両足の親指の付け根へ。踵には体重を乗せない。
膝に余裕をもたせ、僅かに閉める。
左手を開き、手の平を下へ。
右手を握り、肘を脇に締めつつ、拳の先の射線は相手の顎へ。
やや重心を後ろへ。
一字の構え。
カウンター狙いの守りの構え。
小さく深呼吸。
さざ波だっていた心の水鏡が、ピタリと静止する。
戦闘準備は終わった。
「ランスさんと申されたか、あなたに伺いたいことがある。」
白銀の男はニヤリと笑うと、槍を構えなおす。
「我が名はランス・プロー。
この世界の英雄、この国の王なり。
これ以上の問答は不粋なり、我と我が槍ガエ・ブルグに勝てるなら、望む全てを授けよう!」
大層な物言いだ。
だが、そうならば、そうしよう。
「どこの何でも無い、ただの田園 勢大と申す。
……お相手致す。」
空気が圧縮され、泥のように纏わり付く。
ガエ・ブルグ。
確か現代風に言うならゲイボルグだったか。
投げれば30に分かたれ必中し、突き刺せば掠っただけでもその傷口から30の棘が体中を貫くとかいう、無茶苦茶な武器だったか。
ただ、投げるなら水中からでなければならないとか、制限があった様な気がしてた。
ならば相手の狙いは刺突。
それなら初撃を横にかわして……と考えたとき、師匠の言葉を思い出した。
「槍相手に横にかわす?そりゃあオメェ、死ぬのと変わらんぞ?」
ジリッ、と言う音が、俺を現実へと引き戻す。
怖ろしいほどの前傾姿勢。
地を這う蛇を連想させる。
だがその穂先は、変わらず俺の心臓を見ている。
“来るっ!”
初動は全く見えなかった。
ただ空気の揺れが、それを知らせた。
穂先は一条の光となり、標的にむかい走る。
最適解などわからない。
自分の感覚を信じるまま、右足で大地を蹴り、前へ。
穂先と心臓を結ぶ射線に、左手を入れる。
小指の付け根から刺さったそれを、突き抜けるに任せて外に払いのける。
左腕の中を異常なモノが突き進んでくるのが解る。
激痛をこらえ、ぶつかるように交差する刹那、右拳を振り上げ、しかし掌底構えにして、がら空きの顎に撃ち落とす。
素早く右拳を引き、左足を大きく引き間合いを空け右前に構えなおす。
ランスはフラつきながら2~3歩前に進み、そして膝から崩れ落ちた。
その瞬間、左腕のあちこちから飛び出していた棘が消え、腕の中にあった異物の感覚も無くなった。
でも痛い。
泣きそうにと言うか、正直ちょっと泣いちゃったし、何なら今もまだ痛すぎて泣いていたい。
心臓の鼓動の音と衝撃すら痛い。
でもとにかく、グッと叫びたくなるのをこらえながら、ランスの様子を確認する。
膝から崩れて倒れ込んでおり、槍もその手から離れていた。
右前に構えたまま、警戒しつつ回り込み、サッと槍を拾い上げる。
“良かった、ちゃんと気を失ってたか。”と安堵し、通勤鞄からタオルを取り出して左腕の止血をする。
肩から下の感覚は痛みしか無い。
手の甲は槍の穂先が上半分を突き抜けているので、骨まで見えている状態で出血していた。
“これ、何とかしないと失血死しちゃうんじゃ……。”
痛いしヤバいしで、若干焦りつつ今度はランスを起こそうと必死になる。
「おい!おい!ランスさん!早く起きて!
ちょっとこう、ゲーム的なポーションとか回復魔法とかない!?」
近寄るのは怖いので、槍の石突きでげしげしと鎧を突く。
彼が目を覚ますのが先か、俺が失血死するのが先か、おかしな勝負が始まっていた。