【十六】臨採教師と個別懇談
「養護の青木先生、入院したらしいね」
十一月の末、いつものメンバーで就業後にいつものお店に集まると、岡本先生が心配顔で言った。
「そうそう、切迫早産らしいよ」
答えたのは金子先生で、女性達は皆心配顔をしている。
「ええ? 早産? もう赤ちゃん生まれたのか?」
男性陣皆の驚きを、谷崎先生が代表するように声を上げた。青木先生が妊娠中なのは知っていたが、まだそれほどお腹は目立っていなかったから、余計に驚いた。
「違うわよ。切迫早産というのは早産しそうな状態のこと。出産予定は三月らしいから、早すぎるの。だから入院したのよ」
独身女性なのにやけに詳しいなと思っていたら、金子先生は「ウチの姉もそうだったの」と付け加えた。
「それでね、臨時の養護の先生が来るらしいのよ」
やはり情報通の岡本先生は詳しい。どこで情報を仕入れるのか、学校中の職員の噂は全て把握しているような気がする。
「若い女の先生が来てくれたらいいな」
谷崎先生の呟きに、女性達は冷たい視線を投げた。
「そう言えば、今年もクリスマスパーティーをすることになったんだが、皆行くだろ?」
話題を変えたのは広瀬先生で、今年は寂しい独身教職員のためのクリスマスパーティーの幹事になったらしい。
「あ、守谷は強制参加だから」
皆が返事をする前に、広瀬先生は俺を見て付け加えた。
「どうしてですか? 俺にだって都合が……」
「女の先生からの要望が大きくてね。でも予定なんて無いだろ?」
広瀬先生がニヤニヤしながら聞いて来た。あいつとのことが進んでいないのはバレバレなのか。俺はふて腐れたように「わかりましたよ。参加しますよ」と返した。
*****
十二月最初の日の朝、職員室で朝の打ち合わせが始まった。教頭先生が一人の女性と共に皆の前に立つと、紹介を始めた。
「養護の青木先生が入院されたので、代わりの先生に来てもらいました。本郷美鈴先生です」
それまで授業の資料を見ていた俺は、名前を聞いて驚いて顔を上げた。そしてそこには懐かしい顔が……。
嘘だろ? 本郷さんって確か、東京で就職したはず。そう言えばあいつが大学祭の時に言っていたっけ。本郷さんが養護教諭になるために仕事をやめて帰ってきたと。それがいきなりこの学校だなんて。
俺は呆気に取られたまま本郷さんを凝視していたら、向こうも気付いたようで、驚いた顔をした。
もしかして、あいつから聞いていないのか?
それでも始業時間が迫っているため、俺はすぐさま頭を切り替えた。
朝の打ち合わせが終わり、教室へ向かう準備をしていると、ドタドタと足音がしそうな勢いで本郷さんがやって来た。
「守谷君、どうしてあなたがここにいるのよ? 美緒は知っているの?」
一応他の人には聞こえないよう声を潜めて言っているが、その表情は俺を責めているのがまる分かりだ。
俺は本郷さんの勢いに驚いてしまったが、やはり何も知らなかったのかと溜息を吐いた。
「まさか何も聞いていないんですか? 拓都は俺のクラスですよ」
あいつは親友の本郷さんにさえ、俺との再会を何も話していないんだ。その事実が少々俺を落胆させた。
「何も聞いてないわよ! でも、でも、拓都君の担任だったら……」
こんな所で話すことでも無いだろ。俺は苛立ちながら「教室へ行かなきゃならないので」と話を断ちきって職員室を後にした。
あいつに引き続き、本郷さんにまで再会するなんて。この間は伊藤先輩にも会ったし……。折り紙サークル総出か。
そんなことを考えながら教室へと向かい、慌ただしい一日が始まった。
この日は職員室へ戻ると、いろいろな先生から本郷先生と知り合いなのかと尋ねられ、その度に大学のサークルの先輩だと説明せざるを得なかった。
「守谷、まさか本郷先生って、元カノじゃないだろうな?」
放課後になって、広瀬先生が呼ぶので付いて行ったら、誰もいない体育館の渡り廊下の所で、こんな質問まで出る始末で、俺は本郷さんの登場にすっかり辟易としてしまった。
それでも師走の気ぜわしさの中で、いつの間にか保健室に本郷さんがいることが日常となり、俺と本郷さんの関係について特に何か言われることもなくなっていった。
あれ以来、本郷さんはあいつのことについて俺に言ってくることは無かった。おそらくあいつに聞いたのだろうと思う。あいつがどこまで話しているかわからないが、学校であいつの話題は出されなくなり、ホッとしたと共にどこか淋しさも感じていた。
本郷さんは知っているのだろうか?
俺とあいつが別れた訳を。その原因となった相手のことを。そして、あいつが拓都を引き取ることとなった時、その相手はどうして結婚しなかったのか。
今もその相手とは続いているのだろうかという心配もあるが、それはどこか否定する自分がいた。単なる願望なのかもしれないが、あいつは相手がいるのに、他の男と手を繋ぐことを許すような奴じゃない。
それでもあの拒絶を思い出すと、そんな自信もすぐにしぼんでしまうのだった。
*****
いよいよ学期末が近づき、又個別懇談の時期がやって来た。二学期の個別懇談は希望者のみということだけれど、俺のクラスは全員希望してくれていた。そんな中、西森さんの希望日時を書いた用紙に『篠崎さん 、川北さんと同じ日の同じ時間帯にしてください』と添えてあり、高校生かと苦笑しながら、調整したのだった。
又あいつに会える。 そのことが嬉しいのか、辛いのかもうよく分からなかった。ただ、あの大学祭から一ヶ月、あれからあいつのことを思う度、気持ちは大きく揺れる。
病院で抱きしめ、大学祭で手を繫いだ俺の気持ちを、あいつはどんな風に受け止めているのか。
そして、病院で拒絶しながらも、大学祭で手を繋ぐことを許したあいつの気持ちを、俺はどんな風に受け止めればいいのか。
ここまで考えるといつも、先に進めなくて堂々巡りばかりだ。
十二月二十二日、個別懇談の最終日があの三人の予定の日だった。しかし、あいつからキャンセルの連絡が入ったと教頭から聞かされた。どうやら仕事の都合らしい。最終日だったので、もう振り替える日もなく、結局あいつの個別懇談は無くなった。
どこか残念な気持ちを引きずりながら、予定通りの順番で個別懇談を進めていく。いよいよ西森さんと川北さんの番だと思うと、どこか身構える。
あいつはあの二人に、俺のことを話しているのだろうか?
今は担任と保護者の関係だから、あいつも言えないだろうと思っているが、川北さんは俺達が再会する前からの知り合いだから、もしかすると話しているかもしれない。知っているかもしれないと思うと、何となくやり難い。
「守谷先生、よろしくお願いします」
いつものようにニコニコと、西森さんが懇談をしている教室へ入って来た。挨拶を返して椅子に座る様に進める。早速に翔也の普段の様子を話し、成績表を西森さんに向かって広げる。翔也はおっちょこちょいだけど元気で明るく、西森さんに似ている気がする。兄の智也は、翔也に比べるともっと大人しかった。
懇談がそろそろ終わろうとした頃、西森さんの携帯が鳴りだした。その音に驚いた西森さんが慌てて音を止める。そんなに気を遣わなくても良いのにと思った俺は「メールですか? 見てくださって構いませんよ」と勧めた。しかし、西森さんは「メールですから後でいいです」と遠慮した後、何かを思い出したように「守谷先生の携帯の待ち受けって、虹の写真なんですってね?」と尋ねて来た。
え? どうして……。
俺は驚きと共に、その問いの意味を図りかねて、少々不安になりながら「どうして知っているんですか?」と問い返した。
「ふふふ、本部役員の人で覗き見た人がいて、噂で聞きました。守谷先生の待ち受けだから、もっとみんな期待していたんだけど、虹の写真と聞いて、がっかりしていましたよ」
なんだ。ちょっとホッとした俺は、呆れながらも「どんな写真を期待していたんですか?」と聞いてみた。
「そりゃあ、彼女の写真とかですよ」
「そんなプライベートな写真は、誰に見られるかもしれない待ち受けになんかしませんよ」
「あっ、彼女というのは否定しませんね?」
「ノーコメントです。教師と言えどプライバシーはありますから」
「ふふふ、そうですね。 じゃあ、その虹の写真は、もしかしたら『にじのおうこく』の虹の架け橋を真似て撮ったものですか?」
えっ? なぜそれを? 俺は一瞬頭が真っ白になった。
まさか、あいつが話したのか? 俺との関係も?
「えっ? どうして? もしかして、何か聞いているんですか?」
俺が再び問い返すと、西森さんはキョトンとして「えっ? それはどういうことですか?」と聞き返して来た。
あ……、これは知っている訳では無いらしい。でも……。
「いや、いいんです。私の勘違いでした。でも、どうして『にじのおうこく』が出て来たんですか?」
これだけは聞いておかなくては落ち着かないと思い、突っ込んで聞いてみたら、西森さんがクスクスと笑いだした。
「ふふふ、当たりですか? 何かその絵本のせいで虹の写真を送り合うのが流行ったんですか? 篠崎さんも虹の写真を待ち受けにしているから、理由を聞いたら『にじのおうこく』の虹の架け橋の真似をして撮ったものだって言っていたんですよ。守谷先生も彼女から送って来た虹の写真ですか?」
あいつが虹の写真を待ち受けにしている?
それって、俺が送った写真だろうか? それとも他の誰かだろうか?
俺は喜んでいいのか、悲しんでいいのか分からず困惑するばかりで、目の前で嬉しそうに笑う西森さんを見ていると、まさかカマをかけられたのだろうかという疑問さえも浮かんだ。
「西森さん、もしかして、カマかけています?」
「はぁ?」
西森さんは再びキョトンとした表情になると、俺の質問の意味が全く分かっていないようだった。
「いや、いいです。篠崎さんも私の待ち受けが虹の写真だと知っているんですか?」
俺はすっかり教師であることを忘れ、素に戻っていたことに気付かず、西森さんに質問を繰り返していた。
「えっ? 篠崎さん? はぁ、まあ、そうですけど……。そう言えば、守谷先生と篠崎さんって、折り紙と言い、虹の写真の待ち受けと言い、結構趣味が似ていますよね? 篠崎さんと愛先生って似ていますけど、趣味も似ていますか?」
西森さんは質問を繰り返す俺とあいつとの関係を疑うこともなく、その鈍さに俺は安堵した。
「えっ? 愛先生? 彼女は別に折り紙が好きだとか、虹の写真が好きだとか聞いたこと無いけど……」
相変わらず愛先生との仲を疑っているようで、それはそれで厄介だなと心の中で嘆息しながら、答える。
「待ち受けの虹の写真は、愛先生から送られて来たんですか?」
愛先生は関係無いんだと言外に含ませながら答えたのに、鈍い西森さんは尚も愛先生との関係を突っ込んでくる。
大概にしろ! と、心の中で悪態を吐きながら、俺はスッと表情を消し、声を低めた。
「西森さん、さっきも言ったように教師にもプライバシーはあるので、興味本位にいろいろ聞かないでください。それに、愛先生とは何も関係ありませんから、彼女に迷惑をかけるような噂は流さないでくださいね」
俺が少し怒気を含んで言ったからか、西森さんはすぐに謝って来た。やれやれだ。
「私の方もきつい言い方をしてしまってすみません。でも本当に、プライバシーは勘弁してくださいね」
そう念を押すと、西森さんの個別懇談を終えた。
俺があの頃と変わらずあいつからの虹の写真を待ち受けにしていると知ったあいつは、俺の気持ちに気付いているのだろうか。
今更か。あれだけバレバレな態度を取って来たのだから。そして、その答えがあの拒絶なのか。
でも、あいつの携帯の待ち受けも虹の写真で、『にじのおうこく』を真似た物だと言っていたと……。
それって、俺とのことだと喜んでいいのだろうか。
やはり、確かなことは何も無くて、結局堂々巡りを繰り返すだけだった。




