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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第四章:決意編
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【十四】大学祭(前編)

 綾瀬の説明で納得したつもりだったけれど、やはりあの拒絶は過去の痛みを思い出させる程のショックがあった。

 なぁ、どうしてあの時、誕生日おめでとうの写メールなんかくれたんだ?

 夜一人になると、心の中のあいつに向かって、そんな問いかけをしてしまう。

 分かっているんだ。俺が言ったおめでとうのお返しだと。言われっぱなしでは落ち着かなかったのだろうと。

 それでも、期待せずには居られなかった。少しはあいつも……と。

 俺は大きく息を吐き出すと、ネガティブ思考になっている自分を諌める。悪いことを考えれば、悪い方へ傾く。そんな気がするから、悪い想像はしない。

 そうして俺は、どうしてここまであいつを想い続けているのだろうかと、この三年半ずっと心の底にあった今更ながらの疑問に思いを巡らせる。『運命の人』なんて言葉は、とうに色あせてしまったことに気付かないフリをして。


          *****


 大学祭当日、伊藤先輩と電話で決めた約束の時間にはまだずいぶん早いが、暇を持て余して早めに大学祭へ出かけることにした。展示や模擬店を巡っていれば時間も潰れるだろう。

 お天気に恵まれた大学祭は、在学生のみならず近隣の住民や卒業生等であふれ返っていた。特に模擬店の並ぶ一角は賑わい良く、俺も皆の流れに乗ってそれぞれの模擬店を見ながら歩いていた。

 ふと視線の先に見覚えのある髪型、横顔が目に留まった。

 まさか、幻か?

 俺は足を止め、もう一度目を凝らしてその横顔を見る。その人は模擬店に並べられた雑貨を真剣な表情で見ていたと思ったら、ふっと笑った。やはりあいつだ。

 あいつも卒業生だから、ここに来ていてもおかしくない。それなのにそんなこと、考えもしなかった。

 誰と来ているんだ? 拓都は?

 さっきから見ていても知り合いらしい人が周りにいる様子がない。

 拓都を置いて一人で来るはずないよな。人違いか?

 いや、あの笑った横顔は、間違いなくあいつだ。

 そう思った時、あいつがこちらを振り向いた。俺と目が合い、その表情が驚きへと変わっていく。俺は無意識にあいつの傍へと歩み寄っていた。

「一人?」

 挨拶することも忘れ、一番の疑問をぶつける。けれどあいつは、驚きの表情のまま立ちすくんでいた。そして、唖然として固まったあいつが、人の流れの邪魔になっていることに気付き「美緒」と呼びかけた。

「ここだと邪魔だから、あっちへ行こう」

 あいつはまだぼんやりとしていたので、俺はあいつの腕を掴むと人の流れから外れた場所まで移動した。移動中やっと現状を理解したのかあいつは慌て、俺が腕から手を離すと今更ながら「あっ、こんにちは」などと挨拶した。そのボケぶりに俺は思わず笑ってしまった。あいつのこんなボケた所が俺の緊張を緩め、気持ちを昔へと戻したのかも知れない。

「美緒は一人で来たの? 拓都は?」

「あっ、拓都は西森さんのところで、私は美鈴と来たんだけど、美鈴が教授に挨拶に行ったから、しばらく別行動ってことで……」

 あいつはまだまだ混乱していたんだと思う。俺の問いかけに焦って上手く答えられない。あいつのそんな姿に苦笑しながら俺は「落ち着けよ、美緒」と声を掛けた。

 あいつは俯いて気持ちを落ち着かせたのか、すぐに顔を上げると「あの、守谷先生は、誰かと来ているんじゃないんですか?」といつもの保護者の顔で問いかけて来た。

 俺はそんな風に切り替えられるあいつにムッとし、憮然として答えた。

「俺も一人だよ。それに、今はプライベートだし、ここでは教師や保護者っていうのは無しにしよう。先生なんて、呼ばなくていいよ」

 そうだよ。ここは俺達が出会った場所だから、今だけは教師と保護者という関係は忘れたいんだ。

 俺が少し怒ったように言いきると、あいつは又驚いた顔をした。

「でも、こうして話しているのを誰かに見られたら。拓都を預かってもらった時みたいに勘違いされないかな」

 不安気に言うあいつの心の中は、俺に会ってしまったことを悔やんでいるのか。あの時みたいに俺を拒絶したいのか。

 また悪い方へ向かう思考を何とかストップし、「別に関係ないよ。元々以前から知り合いな訳だし」と強気で押し切った。

 あいつがどんな反応を返すのか不安な気持ちも過ぎったが、ダメ元だと思った。


「わかった」

 あいつから思いがけない了解の返事が返り、俺は驚きと嬉しさを悟られないようポーカーフェイスを装う。

「俺、伊藤先輩と待ち合わせしているんだよ」

「伊藤君? 懐かしいなぁ」

 伊藤先輩の話題を出すと、途端にあいつの表情があの頃に戻った。すかさず俺は誘いかける。

「美緒も一緒に来る? 伊藤先輩も喜ぶと思うし」

「えっ? いいの?」

 嬉しそうな返事にこちらもテンションが上がる。

「伊藤先輩、卒業してから初めて来るんだよ。なんでもゼミの教授が何とかっていう賞を貰ったらしくて、明日記念講演があるらしいんだ。それで、今晩俺のところへ泊るんだよ」

「そうなんだ。伊藤君って、今どうしてるの?」

「伊藤先輩は地元へ帰って就職したよ。機械の設計をしているらしい」

「そっか、伊藤君らしい所へ就職したんだね。それで、どこで待ち合わせしているの?」

「折り紙サークルの展示会場。でも、まだ約束の時間までもう少しあるから……」

 こんな会話ができるなんて、嬉しさとドキドキが胸の中に広がり、あいつは以前のように笑い、俺もさっきまでの不安と緊張が解けていく。

 今だけでもいい。せめて母校に居る間だけでも、現実を忘れ、あの頃のように過ごしたい。

 なぁ、美緒は今、どんな気持ちでこんな会話をしているんだ?

 俺の中には浮かれる自分と、あいつの反応を冷静に見つめる自分がいた。

「美緒は何か予定あるの?」

「拓都と西森さんにお土産でも買おうと思って」

 丁度いい。一緒に模擬店を見て回って、時間になれば待ち合わせの場所へ一緒に行けばいいから。

 俺はそう決めてしまうと、「そう、じゃあ、行こうか」とあいつを促した。けれどあいつは、一緒に行動すると思っていなかったのか、「えっ?」と驚いた。

「お土産買いに行くんだろ?」

「そうだけど、一緒に行ってくれるの?」

「後で伊藤先輩に会いに行くんだろ? それなら今別行動しなくても、一緒にいて時間になったら、会いに行けばいいだろ?」

 あいつの絆され易さや、強く出られると断れない優しさにつけ込むようにたたみ掛ける。

 我ながらズルイなと思いながらも、このチャンスを逃すなと自分を煽る。

「そ、そうだね」

 あいつはまだどこか動揺を隠せないまま、それでも俺の提案を受け入れてくれた。

 俺達はこの出会いの場所で、あの頃にタイムスリップしているんじゃないかと思える程、自然に連れ立って歩いていた。そして俺はいつの間にか、この不思議な現実への戸惑いを捨て、ドップリと堪能しようと決めていた。

 あいつはどうだろう?

 どんな気持ちで俺と一緒に行動しているのか?

 いやいや、今はそんなこと考えなくてもいい。あいつが一緒にいてくれるだけでいいと自分に言い聞かせた。

 最初は戸惑い気味のあいつも、拓都や西森さんへのお土産を探して模擬店のテントを覗きながら歩くうち、徐々に素が出て来たように思う。

 俺の方も、あいつが興味深げに美味しそうなお菓子を見つめるのを「お土産? それとも美緒が食べたいの?」とからかい、模擬店の大学生たちの前で恋人同士のように振舞う。

 そんな俺をあいつは戸惑いの目で見ながらも、病院の時のように拒絶しない。そのことに気を良くした俺は、人波によろけたあいつを咄嗟に支え、「美緒はボーっとしていて危ないから」とあいつの手を握った。

 俺は素知らぬふりして手を繋ぎ続けながら、内心苦笑する。俺達が付き合っていた頃でさえ、大学の構内で手をつなぐことなどなかったのに。

 こうしてあいつが手を繋ぐことを許しているということは、やはり今現在付き合っている奴はいないのだろうか。しかし、病院での拒絶を思うと俺を受け入れてくれるというのとも違うのだろう。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、楽しそうにお土産を選んでいるあいつの横顔を見つめていた。


 魔法のようなこの奇跡のひと時も、過ぎ去るのは早く、あいつがお土産を買い終わると、約束の時間まで残り少なくなっていた。

「そろそろ時間だから、行こうか?」

 残念な気持ちをやり過ごして、笑顔を向ける。

 あいつも残念に思っていてくれるだろうか。

 未練のように 繫いだ手を離せずにいる俺と、何故だか振りほどこうとしないあいつ。こんなに近くにいるのに、あいつの心は遥か遠く見えない。

 後ろ髪を引かれるような思いで約束の場所へ向かっていると、ポケットに入れた携帯電話からメールの着信音が聞こえた。仕方なく繋いだ手を離し、メールを確認する。メールの送り主は伊藤先輩だった。

「伊藤先輩、渋滞だったから遅れているんだって。待ち合わせの時間を三十分ずらしてほしいらしい。美緒の方の時間は大丈夫?」

「丁度そのぐらいの時間に連絡を入れ合うことになっているから、連絡を入れれば大丈夫だよ」

 あいつの返事を聞いて、二人のこの時間の猶予を与えられたことに頬が緩みそうになった。

 あいつはまだ二人の時間を続ける気があるようだ。

「だったら、ちょっと休憩がてらに、何か飲もうか?」

 込み上げる嬉しさを誤魔化すように次の提案をする。そして自然な仕草であいつの手をもう一度握った。やはりあいつは抵抗すること無く、ふんわりと握り返してくれた。

 俺の中で期待値がじわじわと上がり始める。

 けれどもう、病院の時の様な失敗はしない。感情に流されて無謀な行動はしない。

 近くにあった自動販売機で飲み物を買う。あいつに何が良いかを聞かず、あいつが好きだったココアを買ってみた。あの頃も良くあいつの好きなココアを買っていたっけ。嬉しそうに「ありがとう」と言うあいつの笑顔を見ていると、本当に過去に戻ったような気がする。

 なぁ、美緒。今目の前に居る美緒は、付き合っていた頃の美緒なのか? それとも俺を振った美緒なのか?

 頭の片隅でそんなことを考えながらテニスコートの傍のベンチに座ると、俺は会話が途切れないようにいろいろな話題を出した。

「あの誕生日の写メールのケーキの写真。自分の誕生日のケーキにローソクを挿している途中で写真撮っただろ?」

「あ、わかっちゃった?」

「バレバレだよ。前日が美緒の誕生日だったしな。でも、美緒の写真はセンスあるよ」

「そうかな? 最近、写真なんて、拓都の写真ぐらいしか撮らないから」

 会話を続けながら、拓都の名前に改めてドキリとした。さっきまで過去の恋人同士のようだったのに、拓都の名は現実へと引き戻すキーワードだ。

 あいつはどうして拓都に関する真実を話してくれないのだろう。

 この疑問が真実を知ってからずっと頭にこびりついている。

「また、何でもいいから、写真送って? 美緒の写真は楽しみなんだ」

「うーん。そんなに写真、撮ることないし……」

「撮れた時でいいから。俺も送っていいかな?」

 せめて写メールだけでも繋がっていたい。そんな思いのまま言い募ると、あいつは困ったように視線を彷徨わせた。

「俺が送ると、迷惑?」

 しつこくし過ぎただろうか?

「とんでもない! ただ、担任と保護者だから」

 またお決まりの言い訳。それは、断り文句なの? それとも俺を心配して?

「メールぐらい、関係ないよ」

 俺はムッとして言い捨てた後で後悔した。こんなことで腹を立てていたら、前に進めない。

 心の中で深呼吸すると、俺は話題を変えた。

「美緒、髪の毛伸びたね。最初見た時、ショートヘアーは見たことなかったから、驚いたよ」

 再会の時、初めて見たあいつのショートヘアーは衝撃だった。髪型を変えただけで、もう過去のあいつじゃないんだと思わされた。

「切ろうと思っていたんだけど、なかなか行く暇が無くて……」

 あいつは髪に手をやりながら、戸惑い気に言う。

「美緒はショートも似合うけど、長い髪の方がいいと思うな」

 恋人でもないのに勝手な希望を言う俺の言葉に、あいつは「そうかな?」と俯いた。

「あ、あの、虹の……」

 俯いていたあいつが突然顔を上げて、何かを言いかけたが、よく聞き取れず「えっ?」と問い返すと、また視線をそらした。

「あの……にじのおうこくの本、朝の会の時、読んだんですってね?」

 あいつが聞いて来たのは、『にじのおうこく』の本のこと。数日前から朝の会で少しずつ子供達に読み聞かせている。この本は俺たちにとって思い出深い本だ。

「ああ、そう言えば、拓都もあの本が好きだって言っていたな」

「そうなのよ。読んでもらったって、嬉しそうに報告してくれたよ。そう言えば、お義姉さんはお元気?」

 あいつには以前、実家へ連れて行って義姉を紹介したことがあった。それ以前に、あいつのお気に入りの『にじのおうこく』の絵本の作者が、俺の義姉だと教えた時の驚きと興奮は凄かった。

「もう二人の子持ちで、元気に子育てしているよ」

「わぁ、あの二人の子供だったら、メチャクチャ可愛いだろうね。男の子? 女の子?」

「上が女で、下が男。そりゃ身内だし、メチャクチャ可愛いよ。美緒だって、お姉さんの子供は可愛いだろ?」

 タイミング良く甥姪の話が出たので、素知らぬふりしてあいつのお姉さんの子供(すなわち拓都のことだ)の話を振ってみた。あいつが本当のことを話してくれることにかすかな願いを掛けて、あいつを見つめる。

「そうだね。身内だと余計に可愛いよね」

 あいつの返事に何故だか笑いが込み上げた。

 恋人でもないのに、何を期待しているんだか。

 振った相手に弱みを見せたくないのか? 学校側の俺に真実を誤魔化していることを知られたくないのか? それとも……。

 再びネガティブ思考になる自分を心の中で叱咤し、俺は「そろそろ行こうか」と立ち上がった。

 自分が落胆していることに気づき、あいつに悟られたくなくて、あいつを待たずに歩きだす。

 我ながら狭量だと自分を責めてみたりするが、胸の中のモヤモヤした霧は晴れてくれず、再び手を繋ぐことさえすっかり頭の中から消えていた。




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