【十】思い出の場所の写メール
十月の最終日曜日は、抜けるような青空だった。見上げた空は高く、麓の緑から山頂の紅葉へとグラデーションを見せる山々。いつもの独身同僚メンバーで、県北部の虹ヶ岳へ写真撮影を目的にやって来たのは、こんな秋の日だった。
再びこの思い出深い場所を訪れることに因縁めいた物を感じてしまうのは、単なる過去への感傷か。それともあいつへの想いを再確認したからか。そんなことを考えた自分が可笑しくなり、一人こっそりと苦笑した。
「わぁ、紅葉、キレイだねぇ」
山上駅に着いたロープーウェイから降りた同僚女性達が、嬉しそうに声を上げる。
「これは良い写真が撮れそうだな」
同僚男性達もワクワクしている様な表情をしている。
おそらく俺一人、皆と違う想いに浸っているのだろう。
「守谷は県外出身なのに県内のいろいろな所のこと、詳しいよな。ここも写真撮りに来たことあるのか?」
広瀬先生の問いかけに過去の思い出から引き戻された。
「違う季節なら来たことがありますよ」
「ここなら夏山もいいだろうな。涼しそうだし」
「冬もいいですよ。雪も積もりますし、樹氷が見られるんですよ」
俺はまた脳裏にあいつと初めて来た時の雪山を思い浮かべた。
「ここ、スキー場もあるんだよね」
リフトを目にして嬉しそうにこちらを振り返った金子先生の問いかけに、脳裏の雪山が霧散した。
「小さいスキー場だけど、近いから子供連れにはいいみたいですね」
県内唯一のスキー場だけれど、リフトが二本のみという、本当に小さなスキー場だ。
「早速撮影会を始めるか?」
皆で虹ヶ岳山上自然公園の案内図の看板を見ていると、最近新しいミラーレスの一眼レフを買ったという山瀬先生が待ちきれないように声を上げた。皆もこの自然の中写真への意欲が湧いたようで、一時間後に再びここに集まろうと約束し解散した。一緒に行動していては皆同じようなアングルの写真ばかりになってしまうから、自由行動ということになった。
「あんまり遠くまで行くなよ」
「道の無い所まで入り込まないように」
「そうそう、迷子にならないでね」
「引率の先生みたいなこと言って……」
皆で言い合いながら笑って、それぞれが案内図を見て自分の目的地を決めたようだ。ゆっくりしていては一時間なんてすぐに過ぎてしまうと思ったのか、張り切っていた男性陣は「それじゃあ、また後でな」と手を上げ急ぎ足で去って行った。女性達はかしましくお喋りしながら三人で展望台の方へ行くと言う。俺は女性達とは反対方向の森へ続く遊歩道へと歩き出した。
遊歩道を歩いていくと、五年前の夏の日にあいつとここへ来た思い出が甦る。あの日から俺達の距離はぐっと近づいた。だけど今はどうなんだろう。再び手を伸ばせば届くのだろうか。
この思い出の場所にこうして今一人きりで歩いていると、そのことが何かを象徴しているようで急に不安になった。そんな自分を叱咤するように『ここの写真をあいつに写メールするんだろ』と言い聞かすと、俺はデジカメと携帯で写真を撮り始めた。
「守谷先生、良い写真が撮れましたか?」
場所を移動しながら夢中で写真を撮っていると、背後から声がかかり驚いて振り返った。
そこに立っていたのはあいつとどこか似ている笑顔の愛先生だった。一緒に行動していたはずの岡本先生と金子先生の姿が見えない。
「大原先生……あれ? 岡本先生達は?」
「みんな展望台まで登るのにバテたみたい」
愛先生はクスッと笑ってそんなことを言った。
「大原先生はバテなかったのですか?」
「高い所に来たからテンションが上がって気分がハイなので、疲れを感じないみたいです」
「高い所が好きなんですか? 気分がハイになるって、まるで麻薬みたいですね」
愛先生のとぼけた返事に思わず笑ってツッコミを入れた。
「煙と何とかは高い所へ上るというし、高い所から見下ろすのって好きなの」
そう言って彼女はフフフッと笑った。
彼女の醸し出す雰囲気が、俺の中の強張った気持ちを緩ませる。
先日広瀬先生に自分の決意を話してから、改めて愛先生に誤解される様な態度は取らないようにしようと、できれば思い込んでいる周りの人達の誤解も解けるような態度でいようと、自分に言い聞かせたばかりだ。
こんな所で二人きりで、和んだ様に笑いあっていていいのか?
誰かが見たら又誤解されるんじゃないのか?
脳裏を葛藤が過ぎる。
「わぁ、ここからの景色もいいのね」
愛先生は俺の背後に目を向けると二・三歩進み、感嘆の声を上げた。そしてすぐさま手に持っていたデジカメで写真を撮りだした。
写真を撮るのに夢中になっている愛先生の後姿を見ていると、自分の葛藤は自惚れすぎなんじゃないかと思えて来た。
そんなに意識することは無いのかもしれない。確かに周りは誤解している様なところもあるけれど、それも思い込みの激しい岡本先生が率先して言っている様な感じだ。愛先生から告白された訳でもないし、自分が同僚という一線を守っていればいいのではないか。
「守谷先生はもう写真撮らないんですか?」
ひとしきり写真を撮った後、愛先生は振り返って尋ねて来た。
「もう充分撮れたと思うし、そろそろ時間ですから」
「あ、ホント。じゃあ、戻りますか」
愛先生は携帯で時間を確認すると、ニッコリと笑った。
*****
虹ヶ岳に紅葉を見に行った日、自宅に戻るとすぐに撮って来た写真をパソコンに取り込んだ。そして文化祭展示用とあいつに送る写メールを決めるため、ゆっくりと一枚ずつ確認をしていく。写真の中の紅葉の山を見ていると、いつの間にか脳裏に雪山を浮かべていた。
『いつか二人で雪を見に行った山へ行ってきました。今は紅葉がとても綺麗でした。』
メッセージと共に紅葉の山の写真を写メールする。あいつは思い出すだろうか? あの山が二人の始まりの山だったと。
送信した後しばらく変にドキドキしながらも、文化祭用の写真を選ぶ。やはり、あいつに送った写真と同じ場所から撮った写真が、一番紅葉が綺麗に写っていたのでそれに決めた。少しトリミングし、試しにプリントして確認していると、携帯電話がメールの着信を告げた。
送信者にあいつの名前を確認すると、あまりに早い返信にまた胸が高鳴る。
『森林公園も少しずつ紅葉が始まっていました』というメッセージと共に、少し色づき始めた森林公園の写真が添付されていた。
森林公園は付き合う前に初めて二人で出かけた所だ。二人の始まりの山の写メールに対しこの写メールが返ってくるということは、少しは期待しても良いということだろうか。しばらく森林公園の写真を眺めながら、俺は期待に胸を熱くしていた。
「守谷、今日のあれは、ちょっとマズかったんじゃないか?」
俺が写真を見ながらあいつとの思い出に浸っていると、現実に戻すように広瀬先生から電話があった。
「はぁ?」
いきなりの問いかけに思わず呆ける。
「愛先生のことだよ。二人で良い雰囲気で集合場所に戻ってきただろ? あれは誤解しても仕方ない雰囲気に見えたぞ」
「良い雰囲気って……」
普通に同僚としての対応だったと思う。愛先生だって以前の様な熱は感じなかった。あのキャンプの時だって、俺の思わせぶりな態度に反応しただけだったんじゃないだろうか。
「楽しそうにお喋りしながら二人で来たからさ、元々二人は怪しいと思っている奴は、やっぱりって思ったんじゃないかな」
「あれは岡本先生が『やっぱり仲いいですね』なんて言ったからじゃないですか? 広瀬先生だって妃先生と怪しいって岡本先生に言われていたじゃないですか」
「ああ、あいつはすぐに誰かと誰かをくっ付けたがるからな」
岡本先生は噂好きだ。それも特に恋愛関係の噂が。
お互い心の中で溜息を吐いたような間が空いた。
「とにかく、できるだけ愛先生とは二人きりにならないように気をつけます」
「そうだな、オレもできるだけお前たちが二人きりになるのを邪魔してやるよ」
広瀬先生の物言いが可笑しくてクスッと笑った後、俺は「よろしくお願いします」と返した。
「守谷のためというより、愛先生のためだけどな」
「はいはい。広瀬先生は女性の味方ですからね」
「そうそう、女性にはいつも笑顔でいてほしいからな」
「なんだか俺が女性を泣かせているみたいじゃないですか」
俺が冗談めかして言うと、広瀬先生はハハハと笑い出し「モテ男は大変だ」と返ってきた。
心の中で『泣かされているのは俺の方だよ』と自嘲気味につぶやき、「広瀬先生には負けますけどね」と笑い返した。
その夜はどんなに愛先生のことで責められても、俺はどこか浮かれていた。
そしてその後、文化祭の展示用に用意した写真を持ち寄った時、俺と愛先生の写真のアングルが同じことで、再び余計な誤解を生んでしまうなどと、この時はまだ思いもしなかったのだ。




