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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第四章:決意編
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【六】幻の虹

 俺はいったい何を望んでいるのだろう。

『おまえはいつまでも心のど真ん中に元カノを置いているから、どんなに出会いがあっても新しい恋ができないんだよ。元カノなんか思い出の引き出しにでも放り込んでおけよ』 

 お盆に帰省した時に綾瀬に言われた言葉。

 心のど真ん中か。

 綾瀬の言葉に妙に納得し、あの時はまだあいつは結婚していると思っていたから、本当に自分の中でしっかりと決着付けなきゃなと思ったんだ。それなのに……。

 母子家庭ってなんだよ。

 拓都はあの可愛がっていた甥っ子だって?

 独身のまま甥を育てているって、本当なのか?

 俺の頭の中はそんな疑問がグルグル回るばかりで、あいつのことを過去のこととして決着を付けるなんて、どこかへ吹っ飛んでしまった。

 他人が話す噂と、あいつから提出された家庭調査票の母と長男という記載は、どういう風に受け止めればいいのか。

 入学時に戸籍抄本等の戸籍関係の書類の提出なんてないから、真実はあいつにしか分からない。学校側は保護者からの調査票の記載を信じるしかない。

 でも、長嶋先生の話を聞いて、今まで心に引っかかっていた違和感は、パズルが合うようにすっきりしたのも事実だった。

 もう俺の中では、あいつは独身のまま甥である拓都の母親として暮らしているのだと確信している。ただ、今現在あいつの傍には誰かいるのだろうかとか、俺から心変わりした男と今でも続いているのだろうかとかいう嫉妬のような感情が胸を締め付ける。

 そんな風に思いながらも、どこかそんな相手は、今は居ないんじゃないかと思ってしまう。それは、拓都の『せんせいあのね』の日記を見ているからだ。

 あいつは仕事が終われば真っ直ぐ学童へ、拓都を迎えに来ているようだし、夜ももちろん拓都と一緒だろう。それに土日も拓都がいるから、恋人と二人で会う時間はなかなか取れないんじゃないだろうか。

 拓都も一緒に会っていたとしたら、拓都の日記に何かしらそのような人物が登場しそうな気がするのだ。それとも、あいつのチェックが入って拓都が書くのを阻止しているのだろうか。

 最近の拓都の日記を読んでいると、あいつのチェックが入っているのだろうかと思う程の赤裸々ぶりで、もしかすると拓都が勝手に書いているのではと密かに疑っている。


 はぁー、俺は何を期待しているんだ。

 俺は大きく息を吐き出すと、自分自身に言い聞かす。

 あいつに恋人がいないかもって、そんなこと考えてみたって仕方ないだろ?

 俺は三年半前に振られているのに。

 バカだよ。本当にバカ。三年半前のあの日から、一歩も進めていない。

 あいつのことになると自制が効かなくなる自分が情けなくなる。

 それでも自分の中に未練を抱えているのを、許しているのも俺自身なんだ。

 そんなことより電話しなきゃと時計に視線を向けると、もう夜の九時だった。

 一人の部屋で、バラエティ番組を映し出しているテレビを見るともなしに見ながら食事をしていたが、頭の中はあいつのことばかりを繰り返している。

 あいつ、写真の件って言ったよな。

 知っているのか?

 藤川さんがあいつと俺の写真を撮って学校へ送りつけてきたこと。

 やっぱり本人に聞くしかないか。


 そろそろ拓都も寝た頃だろうかと九時十五分過ぎを指す時計の針を見ながら携帯のメモリーからあいつのナンバーを表示させた。

「守谷です。夜分すみません」

 携帯の向こうからあいつの声が聞こえた途端、心の中で妙に焦り、俺は担任モードになることで自分を落ち着かせた。

「いいえ、今日はありがとうございました」

「お疲れ様でした。いい写真は撮れましたか?」

「おかげさまで」

 あいつのどことなく警戒した様な雰囲気に本来の目的を自覚する。それを意識した途端、担任モードは吹っ飛んだ。あいつの前ではだんだんと、担任の仮面が剥がれていくような気がする。

「ところでさ、今日言っていた写真の件って、どういうことか教えてくれるかな?」

「ごめんなさい」

「何謝っているんだよ? 言えないこと?」

 説明を求めているのにただ謝るだけのあいつに、少々腹が立ったせいか、俺の言葉には怒気が混じる。

「私のせいで、先生にあらぬ疑いがかかってしまって。何か処分されたりとか無かったですか?」

 いつまでも保護者の立場を守ろうとするあいつに、苛立ちと呆れに似た気持ちが、溜息と共に零れる。俺は小さく深呼吸すると、自分の気持ちを落ち着かせて、あいつに語りかけた。

「処分はされていない。そうか、全部知っているんだ。俺が預かるって言ったんだから、気にするな。それに、写真を撮られたのも、俺の方の事情だから」 

「何も処分が無くて、良かった。それで、解決したの? やっぱり藤川さんと関係があったの?」

 あいつも安心したのか、さっきまでの保護者仕様の硬い会話が少々緩んで来た様な気がする。そんなことにどこか喜びを感じている自分に、気付かないフリをして、会話を続けた。

「何とか解決したから、もう心配しなくていいよ。やっぱりって、藤川さんのことも知っているんだ。ああ、そうか。西森さんと仲がいいもんな。いろいろ聞いている訳だ」

 西森さんは色々情報通の様だし、一緒にキャンプまで行くぐらいだから仲が良いのも想像できる。

 あいつと再会する前のことも、聞いているに違いない。

 あいつはどんな気持ちで西森さんから、俺の話を聞いているのだろう。

「西森さんからも聞かされているけど、お母さん達がどんなに守谷先生の噂をしているか、知らないの? 母親達の噂話に登場する人物の第一位だと思うよ。私も小学校へ行く度に、聞かされるもの」

 あいつはすっかり砕けた口調で話すとクスッと笑った。

 その口調と笑いが、昔のように少し年上風を吹かせて話す時のあいつと同じで、一気に時間が蘇る。

 こんな時、俺は拗ねて見せていたんだったっけ。

「なんだよ、それ。他にどんなこと聞いたんだよ?」

「フフフ、PTA会長は、大学の恩師の奥さんとか、守谷先生のファンクラブを作っているとか。それから、去年の旦那怒鳴り込み事件のせいで、今年から担任の携帯番号を教えなくなったとか」

 あいつの楽しそうな声が、胸にじわじわと広がっていく。

「あー、そんなことまで知られているのか。母親の情報網は侮れないな」

 悔しそうに言うと、あいつはさらに楽しそうな笑い声を上げた。

「そうだよ。特に西森さんなんか、守谷フリークを公言しているからか、余計に情報が集まってくる気がするの。私は彼女といつも一緒にいるから、聞こうと思わなくても聞かされてしまうのよ」

 あいつの楽し気な声が懐かしい。まるで時間が戻っていくようだ。

「守谷フリークって、なんだよ。西森さんはどちらかというと、俺をからかっている様な気がするよ。それで、いろいろ聞かされる美緒は、噂を聞いてどう思ったんだ?」

「最初は驚いたけど、やっぱりって思ったよ。大学の頃と同じで、相変わらず人気があるんだなって。でも、あの頃みたいに近づくなオーラを出せないから、余計に引きつけちゃうんじゃないの?」

 あいつは保護者の仮面をすっかり外して……というより、今のあいつはあの頃のあいつだ。俺自身も自分の立場なんて、頭の中からすっかり消えている。このまま時が止まれば……。

「余計に引きつけるって。俺はね、一生懸命、教師として頑張っているだけなのに」

 再び拗ねたように言葉を返すと、あいつはますます楽しそうな声で話し続けた。

「皆もそれは認めているよ。とてもいい先生だって言っているもの。子供たちにも人気があるしね。拓都も毎日、守谷先生がねって、あなたの話ばかりしているわよ」

 あいつの口から拓都の名前が出た途端、現在へと引き戻された。

 ああ、そうだった。

 どうして拓都は甥だと話してくれないんだ。

 そんな気持ちが一気に蘇った。 

 俺の知らない奴の子供だったら話したくないのもわかるけれど、会ったこともあるお姉さんの子供なら、話してくれてもいいのにと思う。

 それとも、本当は違うのか?

「あの、拓都は……」

「あっ、もう寝たわよ」

 あいつは俺の言葉を断つように言葉を発した。それはまるで俺が何を聞こうとしているのかわかっているかの様に。そして、それを聞かれたくないかのように。

 でも実際、自分でも何を聞こうとしていたのか分からないんだ。

 そんなことより、密かに疑っていた日記のことを、この際聞いてしまおうと、俺は誤魔化す様に言葉を続けた。

「あ、いや……おまえさ、宿題の日記、拓都が書く時、傍にいて書かせているのか?」

「えっ、あの宿題の日記って、週末に出される『せんせいあのね』の日記?」

「ああ、そう、その日記だよ。その日記の内容は、美緒も承知しているのか?」

「それが最近、一人で書いて、見せてくれなくなったの。恥ずかしいから、絶対見ちゃだめだって言うの。やっぱり何か変なこと書いているの?」

 やっぱり。思った通りだ。

 俺は心の中でニヤリと笑う。

「いや、美緒のことがよく出てくるから、分かっていて書かせているのかなって、ちょっと思ったから」

「ええっ? 私のこと? やだ、変なこと書いていなかった? もうー拓都ったら!!」

 先程まで楽し気に少し得意気に話していたあいつの焦りぶりに、今度はこちらが楽しくなった。

「そんなこと無いよ。拓都が美緒のことを大好きなのがよくわかる様な作文だよ。そうか……見てないんだ。でも、本人の気持ちを尊重して、これからも見ない様にしないとなっ。俺がこんなこと言ったのも、内緒だからな」

 形勢逆転とばかりに俺は、からかうような口調で言葉を返す。

「なによ、自分は読めると思って! どうせ、私の恥かしい話を読んで笑っているんでしょ」

 あの頃と同じように天邪鬼なあいつは、俺のからかいに少し拗ねた様な怒った様な声で言い返す。

 その反応があの頃のあいつそのままで、俺は込み上げて来た笑いを止められなかった。

「相変わらず天邪鬼な美緒で、安心したよ。美緒、ここは拓都の成長を喜ぶところだよ。拓都は、少しずつ親から離れて、自分の世界を持ち始めたんだよ。美緒の育て方がいいから、順調に成長している証拠だよ」

 俺は機嫌良く、あいつをなだめる様に言葉をかけた。またあいつのことだから天の邪鬼な反応が返ってくるだろうと予測する。しかし、あいつは息を飲んだ様に言葉を止めた。

 何の言葉も返って来ないのを不審に思いだした頃、あいつはぽつりと「ありがとう。やっぱりあなたは、先生なんだね」と言った。

 何が切っ掛けでスイッチが切り替わったのかは分からないけれど、あいつの話す雰囲気には先程までの楽し気な様子はなく、保護者モードになりつつあった。

 昔のように楽しい会話ができたと思ったけれど、それは過去の幻。保護者と教師というそれぞれの立場が今の俺達の現実なのだと、改めて自覚する。

「ああ、そうだな。小学生って成長が目覚ましいから、いつまでも幼い子供の様なつもりでいると、子供の成長に置いて行かれるぞ。親も同じように成長していかないとな」

 俺も自分を戒める様に担任モードへとスイッチを切り替える。

「ふふふ、そうだね。私はなかなか成長できないけど、拓都の成長を妨げない様に気を付けなきゃね」

 自嘲気味に言うあいつは、どこか痛々しい。

「美緒なら大丈夫さ。そうそう、二学期の学級役員会議は一回だけしか時間が取れないから、今度の会議までに、親子ふれあい学習会ですることを考えておいてほしい。西森さんにも伝えておいてくれないか?」

 もうこれ以上会話を続けても、今の自分の現実を思い知らされるだけだと言い聞かせ、俺は話題を変えた。

「わかりました。来週の会議もまたよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしくお願いします。……美緒、一人で何もかも抱え込んで無理をするなよ。困ったことがあったら、俺にできることなら、言ってくれたらいいから」

 バカだな俺。何未練たらしいこと言っているんだ。

 でも、あいつが困っていたら力になりたいと、本気で思うんだ。

「あ、ありがとう。大丈夫だよ。友達もいるし、周りに甘えることもできるようになったから」

 あいつの拒絶の言葉に少しがっかりしながらも、これがあいつらしいと思う。あいつがこんな風に強がるのは昔からのことだから。

 ただ、『周りに甘えることもできるようになった』というのはあいつのためにも良かったと思う。その周りに俺が入っていないのは悔しいけれど。

 電話を切った後、しばらくぼんやりと先程までの会話を思い出していた。

 あの頃と変わらぬ雰囲気で話せて、良かった。嬉しかった。

 まるであの絵本の魔法の虹のように、束の間あいつと繋がった幻の虹。

 もう一度と思うのは、今の俺には過ぎた願いなのだろうか。



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