【一】けじめと新事実
キャンプの一週間後の週末、お盆ということもあり実家へ帰り、いつもの帰省の時のように中学校からの友人の綾瀬と飲みに行った。高校時代のクラブの仲間と集まることも多いが、今回は少し込み入った話を聞いて欲しくて、綾瀬と二人きりだ。
「そう言えば、ちょっといい感じになっている同僚の先生とはどうなったんだ?」
何気ない話の後、綾瀬の突然の問いかけに一瞬フリーズした。どう話そうかと、まだ何の準備も出来ていなかったから、俺は慌てた。
今年の入学式直前に実家へ帰った時、綾瀬と今日のように飲みに行ってそんな話をしたのだった。たしかあの時は、あいつとの再会前で、愛先生とバスケの試合を見に行った直後だった。
俺は愛先生があいつに似ていることを、綾瀬にも言えずにいた。なんとなく疾しさを感じていたのかもしれない。
「あ、ああ、そのことなんだけどな。上手く行ってないというか……。あの、元カノと再会して……」
突然話題を振られたせいか、どう説明していいかわからず、しどろもどろになってしまった。
「何だよ、元カノって。あの一方的におまえを振った元カノのことか? よりを戻すつもりなのか?」
綾瀬の声に少し怒気が混ざる。そう言えば、別れた話をした時、俺以上に綾瀬は怒っていたっけ。
「その元カノだけど、別に元カノとよりを戻すという訳じゃなくて。あいつ、結婚して相手の連れ子が一年生で、俺の担任するクラスなんだ」
「はぁ? ちょっと待て。おまえを振って、子供のいるバツイチと結婚したっていうのか? なんだよ、その元カノ」
「いや、あいつは優しいから、子供に同情したのかもしれない。すごく子供を大事にしているのが分かるんだ」
俺の言葉に綾瀬は「おまえはおめでたい奴だよ」と言ったきり黙って食べることに専念している。
綾瀬の言いたいことが分かっているんだ。でも、どうしてもあいつのことを悪く思えなくて……。
「それで? まさか、元カノと再会したから、同僚の先生と上手く行かなくなったなんて言わないよな?」
綾瀬のツッコミは、どこか的を射ていて、俺は苦笑しながら首を横に振った。
「ある意味そうかもしれないけど、根本から間違っていたんだ。同僚の先生は愛先生っていうんだけど、その愛先生が転勤して来て初めて見た時、笑った顔が元カノに似ていて、驚いたんだ」
俺は愛先生の出会いの時から順番に綾瀬に説明して行った。綾瀬は時折ツッコミを入れながらも、じっくりと聞いてくれた。
愛先生とは同じ学年の担任だったから、他の先生より話す機会が多かったこと。愛先生に対する態度が無意識に他の女性に対するものと違ったこと。そのことで俺が愛先生を好きなのだと周りが誤解したこと。俺ももう元カノを忘れた方が良いと思って、皆の思惑に流されるようにあえて否定しなかったこと。
そんな時に元カノと再会して、動揺したこと。元カノをわざと学級役員になるよう仕向けたこと。元カノが仕事で帰れない時に子供を預かったこと。
そして、結婚した元カノを忘れたくて、わざと愛先生のバスケの試合観戦の誘いに乗ったり、いつも遊ぶ同僚達の前で愛先生と仲良くしたり、キャンプの時は元カノもいたから、見せつける様に愛先生の方を見て歌ったこと。
キャンプ二日目の朝、元カノと二人の思い出の場所で偶然に出会ったこと。その時に元カノから俺が先生になった姿を見ることができて嬉しかったと言われたこと。元カノに今幸せかと聞いたら、幸せだと言われたこと。
その後で愛先生に会った時、元カノと似ていると思えなかったことに驚いたこと。そしてその時、今まで愛先生から感じなかった熱のこもった眼差しを感じ、怯んだこと。
「おまえそれ、酷過ぎるだろ」
綾瀬の忌憚のない言葉に、俺はうな垂れた。
「だよな」
綾瀬の言いたいことはわかっている。俺が自分のことしか考えていなかったのも、今では充分分かっている。
今更の言い訳だけど、愛先生は俺と同程度か、それ以下の気持ちだと思っていた。ただ、俺の方はあいつに似ているという目で見ているから、周りから見ると恋愛的な好意があると思われていることも、分かっていたんだ。
俺と愛先生は周りの思惑を困ったねと言いながら、どこか楽しんでいる気分でいたんだ。いや、少なくとも俺は。そんな中、周りに流されるフリして自分の気持ちから逃げていたんだ。その時は本気で愛先生を好きになれたら楽になれるんじゃないかって、愛先生の気持ちも考えずに思っていたりしたんだ。
それが、キャンプ二日目の朝、あいつと再会後、初めて素(担任とか保護者とかでは無く)で向き合い、俺は自分の気持ちを自覚せざるを得なかった。そして、その後に会った愛先生の気持ちに気付いてしまい、それは俺の態度のせいなのだとわかった。広瀬先生にあんなに言われていたのに、愛先生はそこまでの気持ちじゃないと思っていた俺の甘さだ。
「守谷にそんな態度を取られたら、その気にならない女なんていないだろ?」
「それは、言い過ぎだよ。でも、今回のキャンプのことは自分でもちょっとやり過ぎだと反省している」
「やっぱりおまえ、元カノのこと、まだ忘れられないのか? 向こうは結婚したんだろ? 不倫するつもりか?」
「不倫って、とんでもない! そんなこと、考えてないよ」
「だったら、その愛先生とかいう同僚と付き合えばいいんじゃないか? それが元カノを忘れる早道だと思うけどな」
「一時は俺もそう思ったよ。でも、ダメだった。結局元カノと元カノに似ている愛先生を重ねていただけなんだと思う」
俺の言葉に綾瀬が大きく溜息を吐いた。そして諦めたように首を横に振った。
「その愛先生も気の毒だと思うけど、おまえも不憫過ぎるよ。元カノも良くおまえの前に出て来られるな」
やはり綾瀬は、あいつに対して良い感情をもっていない。仕方のないことなのかもしれないけど。
「それは偶然だったからで、元カノが悪い訳じゃないよ。ただ、愛先生に対してこれからどういう態度をとればいいか分からなくて」
俺の中で一番心悩ませていることは、現在のところこのことだった。愛先生に対して急に態度を変えるのもどうかと思うし、告白された訳でもないのに自分の気持ちを言う訳にもいかない。
「まあ、そうだな。同僚だしな。できるだけ二人きりにならないよう、皆といても隣にいないようにして、少しずつ距離を取っていくしかないかな」
「でも、周りが俺と愛先生を隣同士にしようとするし、今まで皆の思惑を受け入れていたのに、急に拒絶するのも変じゃないか?」
「だから、少しずつだよ。それに気持ちの上ではっきりと同僚としての線引きをして対応していたら、向こうも感じる物があるんじゃないかな?」
綾瀬の言う通りだな。まずは自分の気持ちの中でけじめを付けて行かないといけないよな。
俺はやっと自分の気持ちを受け入れて、その上であいつに対しても愛先生に対してもけじめある態度を取って行かなければと決意できたのだった。
*****
お盆を過ぎた頃、転校生があることを告げられた。それも兄弟で俺と愛先生のクラスに転入するらしい。K市の小学校からの転校で、下の子は拓都と保育園の頃に友達だったから同じクラスにしてほしいとの要望があったらしい。保護者はK市時代のあいつの知り合いか。
そして、夏休みももうすぐ終わろうかという八月三十日の午前中、K市からの転校生の親子が手続きと挨拶のために来校した。
「四年四組の担任の大原です」
「一年三組の担任の守谷です」
俺と愛先生が呼ばれ、二学期から転入する川北兄弟とその母親に対面して挨拶をする。子供達は緊張気味だが、母親は年齢から来る貫禄か少し余裕有り気に「よろしくお願いします」とニッコリと笑った。
最初は愛先生のクラスに転入する四年生の兄川北礼を教室へ案内するため、愛先生と川北親子が連れだって職員室から出て行った。
しばらくして戻って来た川北親子を今度は俺が案内することになった。
まず昇降口へ案内し、事前に弟川北陸の名前シールの貼ってある一年三組の下駄箱の場所の説明をした。その後、教室まで案内し、机を向かい合わせて面接の場を作った。
そして一通りの説明をした後、母親はニッコリと笑って口を開いた。
「守谷先生のクラスの篠崎拓都君は、K市の保育園の時、ウチの子と仲が良かったんですよ」
「ああ、聞いています。仲が良かったから一緒のクラスにしてほしいとのことでしたので」
母親に向かって返事を返しながら、俺のクラスに転入する弟の方に視線を向けた。
「篠崎拓都さんとお友達だったそうだね。拓都さんと同じクラスになって良かったね」
話しかけると彼はまだ少し緊張しているようで、どう答えていいか分からず、母親の方を見上げた。
「陸、拓都君と同じクラスになったんだよ」
「ホント! わーい。前みたいに遊べるね」
母親の言葉に息子は本当に嬉しそうに喜んだ。子供同士はかなり仲が良かったのかな。
「ありがとうございます。拓都君のお母さんとも仲良くしていたので、いろいろな面で助かります。彼女とは、保育園の時、母子家庭の助け合いの会で知り合ったんですよ。彼女、若いのに知り合いもいないK市で拓都君を抱えてとても大変そうでした。でも、良く頑張っていると思います」
あいつとはどの程度の知り合いだろうかと考えていた俺は、突然の話に驚いた。
「母子家庭ですか? でも、この川北さんの調査票には、ご主人の名前がありますけど」
「私、再婚してこちらに引っ越して来たんですよ。篠崎さんとは陸が保育園の時に、母子家庭同士でお互い苦労したから、いろいろ助けあって来た友人なんです。また近くへ来られて良かったです」
母子家庭同士って。
手元の転校生の書類には父親の名前も記入されている。
じゃあ、あいつは今でも母子家庭なのかという問いを、俺は慌てて呑み込んだ。子供達の個人情報に必要以上に踏み込んではいけない。
でも、あいつの友人だというこの母親は、あいつから俺のことを聞いているのだろうか?
そんなこと、確かめられるはずもない。
これ以上あいつに関係する話題を続けたら、反対に墓穴を掘ってしまいそうだ。
その後、学校での日常のことや勉強のこと、一年生の行事等を説明し、九月一日の持ち物についてのプリントを渡した。そして、これで終わろうとした時に川北さんはふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば、先程説明してくださった四年生の担任の大原先生って、篠崎さんに似ていると思いませんか?」
俺はこの質問に一瞬顔が強張った。慌てて取り繕うように「そうですか? そんな風に感じたことは無いですが」と感情を押し殺して答えた。
川北さんは俺の返答に不満だったのか、子供達にも「似ていたよね」と聞いているが、子供達も首をひねっていた。
そう言えば西森さんにも言われたっけ……。俺はそんなことまで思い出して、心の中で嘆息した。
川北親子を見送った後職員室へ戻ると、愛先生が俺の方を見て小さく微笑んだ。以前の俺なら、ここで愛先生の傍まで行って、さっきの川北親子について話をしただろう。だけど今は、そんな気になれなかった。
口元だけで微笑んで返し、俺は自分の席に着いた。そして、さっき川北さんから聞いたことをもう一度ゆっくりと脳内で再生させた。
母子家庭同士って言っていたよな。それって、あいつも母子家庭で今もということか?
結婚した後、相手が亡くなったのか?
苦労していたって言っていたよな。
単身赴任じゃなかったのか?
一人で拓都を育てているのか?
あいつは幸せだと言っていたじゃないか。もしかして、今は違う誰かがいるのか?
俺の中で次々と浮かぶ疑問に、答えてくれる者は誰もいなかった。




