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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第三章:再会編
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【十四】キャンプ(前編)

 個別懇談も無事に済み、子供達にとっては楽しく長い夏休みがやって来た。当たり前だけれど、学校が休みだといっても教師まで休みとなる訳では無く、事前に申し込んだ研修に行く者、溜まった事務仕事をする者等、さまざまだった。

 投書事件はその後何の進展も無いまま、時間だけが過ぎて行った。

 このまま、あいつにも俺にも何も起こらず過ぎていくことを願いながら、いつのまにか誰がどうしてという疑問も薄れつつあった。

 今はキャンプの計画で気分が高揚しているから、忘れられているのかもしれない。


 八月七日土曜日、快晴の空を見上げ、今日も暑くなりそうだと心の中で呟く。今日はいよいよキャンプの日だ。

 今回のキャンプの話が出た時、六年生達が行くキャンプ場が、毎年『七色峡キャンプ場』だということをすっかり忘れていた。その事実に気付いた途端、俺の脳裏には四年前のキャンプの思い出が走馬灯のように通り過ぎた。

 四年前の夏、大学三年の俺は社会人一年目のあいつと『七色峡キャンプ場』で二人きりのキャンプをした。

 余りに幸せすぎる思い出は、思い出すだけで胸が苦しくなる。そして、今回のキャンプに参加したいと言ったことを少し後悔した。

 それでも、新しい思い出で記憶を塗り替えればいいじゃないかと思い直し、仲間たちとのキャンプの計画へと気持ちをシフトして行った。

 六年生のキャンプの下見ということなので、予行練習のように本番に準じた計画となった。キャンプと言えばテントだと思っていたが、どうやら本番はバンガローらしく、少し残念だ。

 キャンプ一日目の昼食は、本番どおりにお弁当を女性陣が用意してくれることになった。その代わり夕食のカレーと飯盒炊爨は男性陣が受け持つ。

 そうして俺達は全ての準備を車に詰め込んで、『七色峡キャンプ場』へやって来た。四年ぶりのキャンプ場は記憶のままで、再び脳裏に甦りそうになった甘い記憶を慌ててシャットダウンする。それでも自然の中に身を置くと、色々な想いが浄化されていくようだった。

 午前中にキャンプ場へ着いた俺達は、まずキャンプ場を見て回ることにした。危険個所は無いか、計画の遂行がスムーズにできるか等、キャンプの計画に沿って点検していく。一通り見終わった後、バンガロー近くの共同の食事スペース(木造のテーブルとイスがいくつかある上に屋根だけあるスペース)でランチタイムということになった。その時、トイレへ行っていた愛先生が少し小走りで戻って来た。

「保護者の方と会ったんですよ。お友達家族同士でキャンプにみえたらしくて、テントサイトの方にいらっしゃるんですって。そうそう、守谷先生のクラスの役員さんでしたよ」

 えっ? 役員さん? って、まさか……。

「役員さんって、西森さん?」

「そうそう、あのおしゃべりなお母さん。それと、もう一人の役員さんも一緒ですって。後で挨拶に来るって言っていましたよ」

 嘘、あいつも一緒だというのか? 

「俺が来ていることも言ったんですか?」

「ええ、喜んでいましたよ。守谷先生も来ているって言ったら」

 愛先生はそう言いながら、クスクスと笑った。やっぱり守谷先生は人気がありますね、と皆も一緒に笑った。

 想定外の事態に、頭が上手く働かない。過去の記憶を塗り替えるつもりだったのに、これもまた運命の悪戯か。

 それでも今は、あいつと俺の過去を周りに知られないよう、頭の中で何度もこのキャンプ場で会う時のシミュレーションを繰り返す。本番で動揺しないよう、もう昔の俺とは違うのだと見せられるよう。

 そんなことを考えていて、ハタと思い当った。家族で来ていると言っていたこと。

 もしかして、あいつの相手を見ることになるのか。

 そのことに気付き、その現実にまた激しく動揺してしまった。

「守谷先生、どうかしたんですか? さっきから静かですけど」

 女性陣が用意してくれたお弁当を食べながら、俺はすっかり気付いた現実に気を取られていた。さっきは、愛先生がクスクス笑ってくれたお陰で何とか誤魔化せたけれど、いつもと違う俺の様子に気づかれてしまったようだ。

「いや、ちょっと考えことをしていて」

 俺は誤魔化すように笑うと、谷崎先生が持ち込んだビールを苦い思いで飲んだ。

 正直、あいつの相手は見たくない。

 頭では分かっているんだ。あいつは結婚して家庭があること。でも、まだどこか信じたくない自分がいる。拓都の存在を受け入れられているのは、拓都があいつの実の子じゃないと分かっているから。俺と付き合っていた時にはもう存在したはずの拓都を、あいつが産んでいるはずがないから。

 でも、再会してからあいつの相手の存在が希薄で、どこか意識的にその存在を無視していた気がする。それがここに来て、仲の良い家族としての存在を見せつけられたら、俺はどう感じるのだろうか?

 想像することさえ怖くて、そのこと自体がタブーなような気さえしてしまう。

 ダメだ、こんなことに囚われていたら。

 隣に座る愛先生が色々と話しかけてくるのを、おざなりに返事を返している自分に気付き叱咤する。

 あいつにはあいつの家族や生活があるように、俺には俺の仲間や生活があるのだから。こちらを優先して、大切にしていかなくては。

「自然の中で飲むビールは、格別ですねぇ」

 愛先生が周りの自然に目を向け、目を細めて感慨深げに言う。俺は相槌を打ちながら、自分の今の現実を見据えた。


「せんせー、守谷先生!」

 俺を呼ぶ子供の声がして、そちらへ目を向けると、駆け寄ってくる三人の子供達とその後ろから歩いてくる女性二人。

 ああ、やはりあいつだ。

 間違いであってくれたらと願っていたが、これは現実だった。しかし、あいつの少しこわばった表情を見て、あいつも予想外の展開に戸惑っているのだと気付き、不思議と動揺していた気持ちがすっと落ち着いた。

 そうだ、あいつだってこんな展開は望んでいないのだから、ここは大人の対応をすればいいんだ。

 そう自分に言い聞かせ、近づいてくる保護者二人を待ち受ける。

「こんにちは、さっき愛先生からキャンプに来ていらっしゃると聞いて、挨拶に来ました」

 西森さんが嬉しそうに笑って皆に挨拶をする。その横であいつも「こんにちは」と笑顔で言う。どこか無理して笑っている様な気がするのは、俺の思い込みか。

「ああ、聞いていますよ。偶然ですね。守谷先生のクラスの役員さん達だって?」

 広瀬先生が皆を代表するように言葉を返す。

「はい、そうなんですよ。今日は六年生のキャンプの下見だって聞きましたけど」

「そうです。私と谷崎先生が初めてのキャンプの引率で、雰囲気と時間配分を見るために、当日と同じスケジュールでキャンプをしてみようと話していたら、守谷先生がキャンプなら参加したいと言ってくれまして、そうしたら、いつの間にか人数が増えていたんですよ。これだと仕事というより、遊びみたいですね」

 キャンプの下見と言いながら、ビールを飲んでいることを言い訳するように、広瀬先生が自嘲気味に言う。笑って返す西森さんとあいつ。その様子をテーブルの一番奥から見ている俺の所に、子供達が寄って来た。西森さんの所の翔也と兄の智也、そしてあいつの所の拓都の三人だ。

「先生、キャンプに来たの?」

 ニコニコと翔也が話しかけてきた。

「そうだよ。翔也達もキャンプに来たんだろ?」

「うん。パパが連れて来てくれた」

 翔也の何気ない『パパ』という言葉がチクッと胸を刺す。拓都もパパが来ているのかと一瞬浮かんだ疑問は、その答えを聞きたくなくてかき消した。

「キャンプは、初めて?」

 さっきから隣で子供達とのやり取りをニコニコ見ていた愛先生が、子供達に問いかけた。

「ううん。夏休みはいつもキャンプに行くよ」

 答えたのは四年生の智也だ。

「僕は初めて」

 拓都が意気込むように答える。初めてのキャンプにワクワクしているのがその表情から分かる。

「そう、よかったねぇ」

 愛先生に優しく微笑んで声を掛けられ、拓都は恥ずかしそうにもじもじしている。

「守谷先生、向こうにアスレチックがあったよ」

「守谷先生、川の水冷たかったよ」

 翔也が遠くを指差し言うのに、負けじと拓都も言い募る。そんな二人を微笑ましく見ながら相槌を打っていると、人が近づく気配に顔を上げた。

「守谷先生、子供達がすみません」

 そう言いながら近づいて来たのは西森さんで、あいつは後ろから隠れる様に付いて来た。

「いいえ、かまいませんよ。それにしても、偶然ですね。西森さんはよくキャンプされるんですか?」

 さっき智也から聞いたことを元に社交辞令の会話を続ける。西森さんの斜め後ろで気まずそうに立つあいつに、俺は何の動揺もしていないのだと見せたい。それは俺にとって最後の矜持だ。 

「ええ、毎年夏にはキャンプに行くんですよ。それで今年は、翔也が拓都君と行きたいって言うので、篠崎さんも誘ったんですよ」

楽しそうに話す西森さんの言葉に相槌を打ちながら、和やかな会話が続いていく。あいつを意識している自分に気付きながらも、知らないフリをする。

「私はこのキャンプ場は、子供達が生まれる前に来たきりだから、十年ぐらい前かな? 篠崎さんは四年前に来たことあるそうですよ」

 途切れそうに無い西森さんの話に、あいつのことが混じる度、胸がざわめく。そして、四年前のことが出て、俺はドキリとしてしまった。まさか、俺と一緒に行ったキャンプだったとは話していないだろうが、思わずあいつのほうを見てしまった。

 一瞬絡まった視線。あいつも四年前のことが出てきて、驚いたのだろう。すぐにお互い視線を逸らすと笑顔の仮面を付ける。

 もうこんな神経をすり減らすようなこと、勘弁してほしい。

 やっと二人と子供達が金子先生の方へ去っていくと、俺は無意識にため込んでいた息を吐き出した。やはりどこか緊張していたようだ。

「西森さんって、楽しい方ですねぇ」

 愛先生が今度は金子先生と楽しそうにしゃべる西森さんを見ながら言うのを聞いて、俺は我に返った。

 先程の俺と西森さんのやり取りを隣で見ていた愛先生は、俺の動揺や緊張に気付いただろうか?

 いや、どこかいつもと違うと思っても、その理由については誰にも分からないだろう。あいつも俺も誰にも言う気は無いだろうから。

 俺は愛先生に「そうですね」と微笑んで相槌を打つと、皆に会釈して去ろうとしているあいつ達を視界の中に入れた。

「今夜、あちらの広場でキャンプファイヤーをしますので、よかったら来てください。大勢の方が楽しいですから」

 広瀬先生が、今夜のキャンプファイヤーに誘っているのを聞いて、俺は少し怒りが沸いた。それは広瀬先生に対してなのか、運命に対してなのかはわからないが、再びあいつと対峙しなければいけないことに胸が苦しくなる。今度こそあいつの相手がやってくるだろう。

 どうして俺の予測もしない所から、俺を苦しめることばかり起こるのだろう。まるで運命に試されているようで……。俺はいったい何を試されているのだろうか? 

「本当ですか? 本格的ですね。是非参加させてください」

 西森さんが嬉しそうに返事を返している。俺は途方に暮れたような心境になった。

「よかったですねぇ。キャンプファイヤーは大勢の方が楽しいですものね」

 何も知らない愛先生の言葉が、俺を追い詰めていく。

 そうか、これは運命が早く過去を吹っ切れと促すために起こってくることなのかもしれない。

 俺はぐっと手を握り締めた。いつまでも未練たらしい俺なんか、吹っ切って見せる。

 決意を新たに、去っていくあいつの後姿を睨むように見つめ続けた。





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