【四】接近
「それで守谷は、もうバスケはしないのか?」
ゴールデンウィークの帰省中に高校のクラブ仲間と集まった時に、綾瀬から問いかけられた。
俺の中では大学からは新しいことをしようという思いが強かったから、バスケを続ける気持ちは無かった。
「アルバイトをしたいから」
「金持ちの守谷ならアルバイトなんかしなくていいだろ」
他の仲間が、悪気無く言う。それでも、地元だといつまでもそんなイメージが付きまとうのだと思うと、やっぱり家を出て正解だったと思った。
実際にアルバイトはしようと思っていたから、大学の掲示板でそのアルバイト募集を見つけた時、すぐに応募した。それは、小学校の学童の指導員の補助のアルバイトで、平日の夕方から夜の七時半までで、夏休みは朝からになるらしい。
時給は安かったけれど、小学校教員を目指している俺にとっては、子供たちと触れ合えるアルバイトは願ってもないものだった。
「クラブもサークルもしないのか」
「折り紙サークルに入った」
「マジかよ」
俺の返答に皆は盛大に呆れた声をあげた。
「折り紙サークルなんて、女の子多そうだもんな」
挙句の果て、こんなことを言われニヤニヤと笑われてしまう始末。
「守谷は前からモテていたけど、大学に入って益々カッコよくなったから、おまえの兄貴みたいにモテまくりだろ?」
「羨ましいねぇ。守谷がいたら合コンも高レベルの女子が集まるだろうな。そっちの大学ではどうなんだ?」
次々に問いかけてくる皆の好奇心に輝く瞳に怯みながらも、不本意なハーレム状態にうんざりしていたことなど言えるはずもなく、「別に何もないよ」と答えるのが精一杯だった。
「なんだよ。そっちの大学の女子は見る目が無いなぁ。それとも守谷レベルのイケメンがウヨウヨいて目立たないとか?」
「そんな訳ないだろ? 守谷は兄貴がモテ過ぎて大変な思いしているのを知っているし、自分も嫌な思いしたから、自分から合コンなんて行かないだろ」
こんな風に俺の気持ちをフォローしてくれるのは、やはり中学から一緒の綾瀬だけだ。でも、男子大学生の考えることなんて、こいつらと似たり寄ったりで、今の大学でも親しく話すようになった奴から合コンに参加してくれとお願いされることは多々あった。その度に断ると、「守谷は自分がモテると思って、俺らのことなんてどうでもいいんだな」と怒って行ってしまう後ろ姿を見ながら、俺はだんだんと荒んだ気持ちになっていった。
だから、一度はモテてみたいなんて言っていた水谷が、溜息を吐く俺に「あんなこと言ってくる奴のことなんて放っておけばいいよ。あいつらの方が自分のことしか考えてないんだから」とさらりと言ってくれた時、救われたような気になって嬉しかったんだ。
それなりに友達もでき、アルバイトも楽しく、サークルも充実している。出だしは最悪だったけど、やっと落ち着いた大学生活に俺は満足していた。
だから、恋愛とか運命の人とか、しばらくはいいと思ったし、現実問題女性を遠ざけているのだから、そのような状態に陥ることは無い筈だった。
*****
「おーい、もうドッチボールしないのかぁ?」
夏休みに入り、学童のアルバイトで子供達を近くの芝生公園へ連れて来ていた。遠くまで転げたボールを拾いに行っている間に、いつの間にか子供達は離れた場所で小さな子供を取り囲んでワイワイと騒いでいる。母親らしき女性も傍にいるので、ゆっくりと近づきながら子供達に声をかけた。
俺のかけた声に反応してその母親がこちらを向いて目が合った。俺は思わず足を止めた。
「篠崎さん」
その母親は、サークルで無遠慮な視線を向けてくるリーダーだった。
彼女は、子持ちなのか?
結婚しているのか?
学生結婚とか?
相手も大学生?
もしかして、できちゃった婚?
「守谷君、こんにちは」
頭の中でいろいろな疑問が交錯して唖然としている俺に、彼女はニッコリと微笑み挨拶をした。
「こ、こんにちは」
彼女のあいさつで我に返った俺は、どうにか挨拶を返したが、全くの不測の事態に理解が追いつかない。
俺のことじっと見ていたくせに、子供までいるのかよ。
何の疾しさもないような笑顔を向けてくる彼女に、なぜだかイライラした。
「あの……たっ君、私の甥なんだけど、子供たちと一緒に遊ばせていいかな?」
彼女が窺うように俺に尋ねた言葉を聞いて、俺はまた唖然とした。
甥?
ははは……そうだよな、大学生の彼女の子供の筈ないよな。
あまりに彼女が子供といる雰囲気がしっくりとしていたので、親子としか思えなかった。そんな風に思った自分が可笑しいやら、恥ずかしいやらでいたたまれない。でも、彼女にはそんなことを悟られたくなかった。
「目を離さなければ、いいですよ。でも、子供たちがどこまで相手できるか分からないけどね」
心の動揺を押し隠すように苦笑しながら答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。俺が驚いたように彼女もきっと俺が子供達とこんなところにいることに驚いたに違いない。
学童でアルバイトをしていることを話すと、彼女は俺のイメージと合わないと思ったのか不思議そうな顔をしたので、俺は正直に小学校教諭を目指していることを話した。案の定、彼女は驚きの声をあげた。
皆俺にどんなイメージを持っているか分からないけれど、教育学部にいることに驚かれ、その後決まって「女子校とかの教師を狙っているとか?」なんて言われてしまう。やはり入学当初のハーレム状態の悪影響か。
「篠崎さん、俺に似合わないと思っているでしょ?」
驚いた彼女に突っ込みを入れると、「そんなことは無い」と答えたその慌てぶりが肯定している様なものだ。
それでも彼女は落ち着くと、「確かに今までの守谷君を見ていたら、想像つかなかったけど、今日子供たちと楽しそうにしているのを見たら、案外いいかもって思ったわよ」とあの癒しの微笑みで言ってくれた。
彼女とこんな風に話をするのは初めてだった。サークルで話しかける女性と言えば、リーダーの彼女と副リーダーの本郷さんだけだったけれど、いつも話をするのは本郷さんの方で、彼女は傍でニコニコとそのやり取りを聞いたり相槌を打ったりするだけだった。
だからだろうか? とても新鮮な感じがして、いつも落ち着かなくさせる様な気がしていた彼女の微笑みも、今日は心温まる様で癒された。
その後もいろいろと話したけれど、子供達が小さな子の相手にそろそろ飽きて来たのに気付くと、彼女は甥の名を呼び「そろそろ帰ろうか」と声をかけ、俺の方を振り返り「守谷君もがんばってね」と又あの微笑みを見せてくれた。
篠崎さんって、案外話しやすいんだな。
でも、どうしてあんなに俺の方を見てくるんだろう?
もしかして、俺に気があるとか?
ははは、自惚れすぎだよな。
子供達が夏休みの間、決まった曜日にこの芝生公園で甥を連れた彼女に会うようになり、毎回少し話をするようになった。そして、その出会いを楽しみにしていた自分に気付いたのは、夏休みが終わってからだった。
*****
大学は長い夏休みが終わり、後期が始まった。秋めいた空気が漂うキャンパスに久しぶりに人が溢れ、すっかり忘れていた女子からの秋波や熱のこもった眼差しを感じ、夏休みでだらけていた気分を引き締めてくれた。
しかしサークルでのあの無遠慮な視線は、鳴りを潜めていた。サークルのリーダーである彼女は、来るべき大学祭の準備でそれどころではないようだ。
今まで彼女の視線に落ち着かない思いをしながらも、目が合うのを避けるため、彼女の方を見ないようにして来たけれど、今は俺の方が目で追ってしまう。
大学祭に向けて皆の前に立って説明する時のシャンと伸びた姿勢の良さとか、控えめそうに見えて話し合いの場での統率力とか、あらためて彼女を見ているといろいろな彼女を知ることが出来た。
夏休みの時のようにもう一度彼女と話をしたいと思って話しかけてみるのだけれど、やはり今までのように会話をするのは副リーダーの本郷さんの方で、彼女は相槌を打って微笑むだけ。
なんだよ。
親しくなれたと思ったのは俺だけだったのかよ。
もう俺に視線を向けるのにも飽きてしまったのかよ。
一方的な理不尽な苛立ちが沸き上がるのをどうにか抑えながら、俺はそっと彼女を目で追っていた。
後期が始まって一ヶ月が過ぎた頃、教育学部のキャンパスで本郷さんに声をかけられた。本郷さんも教育学部だったらしい。
意味深な笑顔を向けられながら、本郷さんと向き合うと、彼女はとんでもない爆弾を落とした。




