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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:失恋編
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【十】感化される想い(その四)

 あの忘年会から、妃先生の雰囲気がまた変わってしまった。それはきっと他の人達には分からない程度のことだったかもしれない。

 彼女はどうするつもりなのだろうか?

 もう諦めてしまうのだろうか?

 忘年会の時、酔ってしまった同僚を送っていく木下さん達が乗ったタクシーを見送りながら、妃先生は何を考えていたのか。その後彼女は「木下君は相変わらず優しいね」と苦笑していたけれど。

 一時は諦めようと自分から遠くへ離れた彼女だったけれど、今度は彼の方が遠くへ行ってしまう。

 なんとなく、彼女はこのまま諦めてしまうんじゃないか、という予感がしてならない。

 それは、あの時酔って送ってもらったライバルの積極性に気後れしている様な気がしたから。

 俺も人のことなのに、こんなに気になっている自分が可笑しくなる。

 まるで、妃先生の恋が上手くいけば、自分の恋も上手く行くんじゃないかって、願掛けしている様に。


 あの忘年会の翌週から個別懇談が始まり、いよいよ二学期も終わりに近づいてきた。そしてクリスマスまで後約一週間。

 広瀬先生も俺と同じようなことを感じていたのか、その週の金曜日の仕事の後、俺達三人は示し合わせて、学校から少し離れた和食のお店へとそれぞれの車で集まった。

 このお店は襖で仕切られた個室があるので、大事な話をするには都合が良かった。

 同じ学校の同僚たちに妃先生と食事に行くなどと知られると、妙に噂されたり、妬まれたりするから、俺達はメールで連絡を取りながら別行動で集まったのだった。

 妃先生は何処に居ても注目されてしまうので、極力異性との接触は避けているようだから、俺もあまり普段は必要以上に話しかけない。広瀬先生は、高校の先輩後輩なので、それほど意識していないらしいけれど、岡本先生のように変に誤解している人もいるから、妃先生はどこに居ても気が抜けないようだった。

「広瀬先生も守谷先生も、いろいろ気を遣ってくださって、ありがとうございます。私が自分の気持ちなんか話してしまったせいで、お二人には心配ばかりかけてしまって、本当にすみませんでした。もう、大丈夫ですから。もう、すっぱりと諦める決心がつきました。今まで応援してくださって、ありがとうございました」

 一通り食べ終えると、妃先生は正座し直し、広瀬先生と俺に向かって頭を下げた。そして、この一週間予感していた通りの結末を告げる彼女に、俺は心の中で嘆息した。

「妃、諦めるって、どうして? もしかして、忘年会に来ていた木下の同僚の女の子のせい?」

「いえ、そういう訳じゃ。ただ、やっぱり無理だなって思ったんです。彼は遠くへ行ってしまうし、同僚の女性ともいい感じだったし。彼が幸せならそれでいいことですから」

「妃先生、本当にいいんですか? 今まで遠く離れても、どんなに会わずに居ても、忘れることができなかったのでしょう?」

 自己完結してしまっている妃先生が歯がゆくて、俺は言い募った。

「あ、あの、諦めるといっても、想いを伝えることを諦めるんであって、この気持ちを消してしまうことは出来ないと思います」

 妃先生の返答に、広瀬先生は大げさに溜息を吐いた。

「なぁ、それなら、告ってもいいんじゃないか? ダメだったとしてもアイツは遠くへ行ってしまうんだし。案外うまくいくかもしれないだろ? ここまで来て諦めたら、一生後悔するんじゃないか?」

 広瀬先生の問いかけに妃先生は考え込むように俯いた。やがて顔を上げると、どこか吹っ切れたような表情をしていた。

「私、広瀬先生のお陰で、木下君とまた話ができるようになって本当に嬉しかったんです。趣味友達と言えるぐらいに仲良くなれたこの関係を壊したくないんですよ。告白してしまったら、この関係さえも壊れてしまうと思うから。今のままなら、彼が遠くへ行っても、彼女が出来たとしても、メールのやり取りぐらいは出来ると思うので」

 何かで繋がっていたいという妃先生の気持ちはせつな過ぎて、これ以上何も言えなかった。それでも、という思いは心の中で燻る。

 広瀬先生も同じ様に思ったのか、反論せずにまた溜息を吐いている。

「そっか、妃がそう決めたのなら、俺達は何も言えないけど。あの同僚の女の子とより、妃と木下の方がいい雰囲気だったと思うぞ」

「そんなこと……無いですよ。私達は共通の趣味があったから、意気投合できただけで」

「それだけじゃない雰囲気があったと思いますよ」

 俺も広瀬先生と同じように、二人の雰囲気はとても良いと思っていた。ただ、木下さんは自覚無かっただろうけれど。

「木下君とは趣味友達というこの距離が良いんだと思うんです。なんだか、私のことばかりで申し訳ないというか、恥かしいです。お二人はどうなんですか? 広瀬先生も守谷先生もモテそうですけど、彼女とかいらっしゃるんですか?」

 妃先生は、一応自分のことは踏ん切りをつけたからだろうか、俺達の方へ話を振ってきた。彼女からそんな話を振られたことが無かったので、一瞬戸惑ってしまった。

「今はフリーだよ。今まで梶川達と毎週バレーボールをしているのが楽しかったから、別に彼女とか欲しいと思わなかったけど、これからは寂しくなるから、考えてみようかな」

 広瀬先生がシレっとそんなことを言うのを聞いた妃先生は、眉間に皺を寄せた。

「なんですか、それ。寂しさ紛らわすために彼女が欲しいなんて、女性を馬鹿にしています」

「いやいや、馬鹿にしているつもりはないし、女性を敬愛していますよ。ただね、妃みたいに誰か一人をずっと思い続けるっていうのがわからないんだ。そこまで想える相手に出会えていないだけなのか、俺自身が精神的に淡白なのか、わからないけど。そんなに長く想い続けられる妃が羨ましいよ」

 広瀬先生の言葉を聞いて、妃先生は目を見開いた。そして何も反論できないまま、俯いてしまった。


 俺は二人の会話を聞きながら、傍に置かれていた急須に手を伸ばすと、皆の少なくなった湯飲みへ足し入れた。そして、両手で湯飲みを持つと少し冷めかけたほうじ茶を、考え事をしながらゆっくりと飲む。

 長く想い続けられる相手に出会えたことが幸せなのか。それとも、その想う相手に同じように想われないと幸せだと言えないのか。

「守谷、おまえ、人事のように見ているけど、おまえはどうなんだよ?」 

 ぼんやりと考え込んでいた俺を広瀬先生は強引に現実に呼び戻した。

「あー、俺も今はフリーですよ」

「そんなことは前に聞いたから知っているよ。それより、おまえも妃みたいにずっと誰かを想い続けることができるのか?」

「そんなこと、自分でコントロールできることじゃないでしょう? 好きになろうと思って好きになる訳じゃないし、忘れようと思っても忘れられるものでもないんですから」

 別にはぐらかすつもりはなかったけれど、広瀬先生はムッとして「なんだよ、それ」と言った。

「もしかして、守谷先生は忘れられない人がいるの?」

 妃先生に直球で尋ねられとても驚いたが、散々彼女の恋に口出しした手前、俺は観念したように頷いた。

「なんだよ、守谷。おまえまで妃みたいにずっと片思いしていたなんていうんじゃないだろうな」

 広瀬先生は拗ねたように言いながらも、どこか面白がっている雰囲気がミエミエだ。

 どう話せばいいか思案しながらも、広瀬先生の言った『片想い』という言葉が引っかかった。

 もしかしたら結局俺は、ずっと片思いをしているのかもしれない。

 美緒が俺のことを想っていてくれたかなんて、今となってはあまりにも不確かで、いつの間にか消えてしまう虹の様なものだったのかもしれないとさえ思う。

「いや、一応元カノだけど。もしかすると片想いだったのかな」

「なんだよ、また訳のわからないことを言って。元カノで片想いって、守谷の方が振られたのか?」

「広瀬先生、そんな言い方」

 広瀬先生の余りに露骨なツッコミに、妃先生が慌てて咎めた。

「妃先生、いいんですよ。その通りなんですから。俺って諦めが悪いんですよ」

 そう言いながら自嘲気味に笑うと、妃先生は少し顔を歪めて「そんな……」と言った。

「おまえ達は、不器用なのか、一途なのか分からないな」

 広瀬先生は呆れたように笑った。

 確かに不器用なんだろうけれど、一途というのとはちょっと違うような気がした。

 俺はまだ彼女の別れ話を納得していないのだと思う。もう一年半以上経ったというのに、今頃何を言っているんだって話だが。


 人生においていくつもの大事なターニングポイントがある。

 ある時はそれと分かっていて、じっくりとその選択に向き合い、決断を下すこともあるだろう。

 けれど、大半は過ぎ去ってから、あの時にもっとよく考えていればと、過ぎ去った後で何か重大な事が起こって初めて過去を振り返り、あの時がターニングポイントだったのだと自覚するのだ。

 彼女から別れ話をされたあの時は、冷静に考えれば、とても分かりやすいターニングポイントだったと思う。けれど、余りに突然過ぎる話にただ驚き、茫然としている間に彼女は去って行った。

 まさかその時を最後に彼女と全く連絡を取ることが出来なくなるなんて、誰が想像できただろう。

 あの時の俺にはこれが人生における重大なターニングポイントだなんて、気付くことすらできなかったのだから。

 あの時、これが最後の逢瀬となり、以後連絡さえできなくなると分かっていたら、俺はもっと違う対応ができたんじゃないかと思う。

 縋り付くまでしなくとも、自分の気持ちは伝えられたんじゃないだろうか。

 もしかすると、あの時何も言えなかったことで、彼女にその程度の気持ちだと思われたんじゃないだろうか。

 せめて、もっと話し合えれば、今の全く連絡方法の無い状態にはならなかったかもしれない。

 そして、この街のどこかで彼女とすれ違うことを期待しているような今の情けない自分を、持て余すこともなかったかもしれない。


 食事を終え解散した後、帰宅途中の車の中で、俺はつらつらとそんなことを考えていた。今まであまり深く考えないようにして来たけれど、あの二人に話したことで、改めて自分の恋愛に向き合ってみた。しかし、現状を打開する様な名案が浮かぶ訳でもなく、ただ自嘲気味に、笑いの様な溜息を吐いただけだった。

 そして、妃先生のことに思いを馳せた時、俺はふと思い至った。

 彼女にとって今こそがターニングポイントじゃないか、と。

 今日彼女は自分の気持ちを伝えないことを選択した。けれど、本当にそれでいいのか?

 俺のように、自分の気持ちを伝えないまま二度と会えなくなって、それから後悔しても遅いのだから。



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