【二】ファーストコンタクト
大学を縁も所縁もない他県の国立大学に決めたのは、全てをリセットして実家から離れた場所で一から人間関係を始めたかったからだ。それは、実家や兄の事を誰も知らない所へ行きたかったからだった。
俺の父親が県内ではそれなりの会社を経営していて、俺守谷慧と兄の守谷快はいわゆる社長の息子だった。それだけでも結構目立つ存在だったのに、兄のあの外見がこの近隣では知らない人はいないというぐらいの注目度だったから、必然的に俺にもその影響は及んだ。
俺は恋愛に関して奥手だったんだと思う。仲のいい友達と騒いで遊んだり、バスケしたりしているのが楽しかったから、女の子のことはイマイチ興味が向かなかった。それ以上に、俺が物心ついた頃から兄を取り囲む女の子達や、兄のことで争う女の子達を見て来たし、俺を通じて兄にアプローチしようと声をかけてくる女の子達が多くて嫌悪する気持ちの方が強かったからかもしれない。
そんな俺でも高校に慣れた一年生の二学期の頃、初めての彼女ができた。その時の俺は、美人で人気のある三年生の彼女から付き合ってほしいと言われ、皆に羨望と妬みの眼差しで見られて余計に、舞い上がっていたんだと思う。初めてのことで戸惑いも大きかったが、年上の彼女に合わせて背伸びをしながら、俺は俺なりに誠実に付き合っていたし、彼女を大切にしていたつもりだった。だから、彼女の卒業間近になって、突然別れを切り出された時は、驚くよりもショックの方が大きかった。
『慧と付き合えば、お兄さんに会えると思ったのに、全然会えなくてがっかりしたわ。紹介もしてくれないし。まあ、慧もカッコイイんだけどね、やっぱり快さんが忘れられないの。それに慧だって、いろいろ経験できて楽しめたんだから良かったでしょ。四月から快さんと同じ大学へ行くから、直接アプローチすることにするわ』
彼女は彼女の姉が兄と同じ大学の学生で、大学祭で兄に一目ぼれしたらしい。高校生ではなかなか大学生の兄に近付けないから、俺に近づいたという訳だった。やけに自宅へ来たがったり、さりげなく兄のことを聞いて来たりしたことも、彼女を信じ切っていた俺にはそんな彼女の気持ちなど気づくことも出来なかった。
初めての彼女と別れてから、モテ期がやって来たのか、何度か告白された。だけど、また兄が目的だろうかと疑う気持ちが強く、しばらくはその気になれなかった。その頃は友達と遊んでいる方が気楽だったし、クラブの方でレギュラーになったこともあってバスケに打ち込む日々だった。
二年生になって新しいクラスで良く話をして気の合う女の子から告白されたのは夏休み前だった。周りからも応援されて、いつの間にか付き合うことになっていたけれど、以前のように舞い上がることは無かった。
新しい彼女との付き合いは友達の延長のような感じで、以前のことがあったからか、どこか気持ちに線を引いた所があって、クラブや友達との付き合いの方を優先させてしまう。それが彼女の不満だということは分かっていたけれど、以前のようにのめり込むことは無く、自分の中にどこか冷静な部分を感じていた。けれど、自分では誠実に付き合っていたつもりだし、彼女のことはそれなりに好きだと思っていた。
そんな時に兄から運命の人の話を聞いたのだった。兄の幸せそうな顔を見た時、自分もそんな運命の人に出会えるのだろうかと考えた自分に驚いた。そして、その時に付き合っていた彼女を運命の人だと思えなかったことに罪悪感を覚えた。彼女ともっと真剣に向き合わなければと思っていた矢先、彼女の信じられない言葉を聞いてしまった。
『クラブが忙しいって全然デートしてくれないのは不満なんだけど、慧と歩くと皆が振り返るのがわかるの。やっぱり一緒に歩くなら、カッコイイ人が良いよね。それに知っている? 慧のお父さん、大きな会社の社長なんだって。お金持なのよ』
『守谷君ってイケメンな上にお金持なの? 出来過ぎだね』
彼女が友達と話しているのを偶然に聞いてしまい、唖然とした。
親父が社長なことと俺自身と関係あるのか?
それに金持ちって、何?
小遣いだって、高校生の平均ぐらいしかもらってないよ。
何が出来過ぎだよ。
カッコよく無かったら一緒にも歩けないのか?
次々に浮かんでくる負の感情に苛立ちながらも、この感情をどこにぶつければいいのかわからず、俺は彼女達に気付かれないようにその場を後にした。
結局俺は恋愛の本当の意味も分からず、周りへの優越感とか、異性との交際への好奇心とかの方が大きかったのかも知れない。だから、彼女達を責めることはできないだろう。彼女達が俺にどんな気持ちを持って何を求めていたのか、また自分が彼女達にどんな気持ちで何を求めていたのか、どちらもわからないままだった。
ただ思うのは、今度こそは、兄のように自分が本気で好きになれる相手で、相手も俺の家のことや兄のことに惑わされず、俺自身を見てくれるような人に出会いたいと、出来ればそれが運命の人であればいいと心底思ったのだった。
*****
俺の選んだ進学先は、海も山もある自然あふれる地方の国立大学の教育学部だった。両親は自分の将来は自分で決めたらいいと、小学校の教師になりたいという俺をすんなりと送り出してくれた。
俺の高校からこの大学へ進学したのは俺だけだったので、俺の家族のことも俺自身のことも知っている人が誰もいないという初めての環境に、これからの出会いやいろいろな人とのかかわりに期待が膨らんだ。
しかし、現実はそう甘くは無かった。
入学早々、同じ学部の女子達に囲まれた。
「ねぇ、ねぇ、守谷君って、彼女いるのぉ?」
「えっ? いないけど」
「キャー!! ほんと? 私立候補しちゃう」
「私だって」
「私も」
女の子達のパワーに圧倒されながらも、最初は初対面の彼女達に丁寧に対応していた。それが彼女達の執着ぶりを増長することになるなんて思いもしなかった。
どこに行くのも女の子達に囲まれ、男子学生達には妬みの籠った冷やかな目で見られ、新しい環境での期待は、もろく崩れ去った。
これじゃあ、兄さんと同じじゃないか。
兄はいつも余裕の微笑みでいたけれど、本当は大変だったのかもしれない。
小さい頃から母親に「女の子には優しくしなければいけない」と言われ続けて来たせいか、鬱陶しいと思いながらも、近づいてくる女の子達に冷たくできなくて、ストレスが溜まりまくった。
兄のように女の子に優しくするのを大義名分に、来るもの拒まずのまま、一人に絞らず日替わりのようにデートを繰り返すのは、本当の優しさじゃないだろと思うのだが、兄には群がる女性の全てを受け入れる懐の深さがあったのかもしれない。俺にはとても真似できない。
そんな兄が運命の人と出会って、彼女しか目に入らない程の溺愛ぶりは、これまでの兄とは百八十度違うもので、ただただ驚くばかりだ。
俺は、この不本意なハーレム状態を打破すべく、兄のように受け入れる気が無いのなら、きっぱりと拒絶する方が本当の優しさなんじゃないかと思い始めていた。
「ねぇ、守谷君はサークルかクラブに入るのぉ?」
「まだ決めてないけど」
本当は説明会に行ってみようと思っているサークルがあった。けれど、彼女達には言う気になれなかった。
「それじゃあさ、テニスサークルに入らない?」
「ダメダメ、旅行サークルはどう?」
「いや、興味ないから」
彼女達の押しにタジタジとなりながらも、どうしたら希望のサークルの説明会へ行くのに、彼女達に気付かれずに行けるかと思案する。そう、説明会は今日だった。
結局、彼女達を邪険にできないまま、お目当てのサークルの説明会が行われる教室へと向かった。団体で入って行ったせいか、教室へ入った途端、先に来ていた学生たちの視線が一斉に向けられた。
あんな兄がいるせいか、実家の商売のせいか、それとも俺の外見のせいか、人の視線には慣れていたから、気にせずに教室を見回す。地味なサークルのせいか、目が合っても恥ずかしげに俯くか、慌てて顔をそらすような大人し目の女子達ばかりだった。
「ねぇ、守谷君、何のサークルなのぉ?」
「折り紙サークル」
「えー?! 折り紙?」
「折り紙なんて、守谷君に似合わないよぉ」
「そうよ、そうよ、他へ行こうよ」
空気の読めない彼女達が騒ぎだして、悪目立ちしていることに苛立った。
「俺は興味があるからここへ来たんだ。嫌なら他へ行けばいいよ」
今までとは違う冷たい口調でハッキリと自分の気持ちを言うと、彼女達は口をつぐんで椅子に座った。
今までどこか強い態度を示すのに遠慮していたけれど、ハッキリと自分の気持ちを出していった方がいいのかもしれない。
これまでの自分の曖昧な態度を反省しながら、俺は説明会が始まるのを待っていた。その時、教室の前方の方の上級生たちのいる所から真っ直ぐな視線を感じて、顔をそちらへ向けた。
目が合ったのは、上級生らしい女子学生。新入生とは違う落ち着きがあったから、上級生のようだけれど、化粧気を感じさせないナチュラルさが年上だと思えず、それでいて落ち着いた眼差しの彼女が、目が合った途端驚いたように一瞬目を見開き、そして清々しい程綺麗に微笑んだのだ。
今まで目が合った女の子達の反応と言えば、この教室へ入って来た時の大人し目の女の子達の様な反応か、俺を取り囲む彼女達のように秋波を込め誘うような笑顔を返すかだったから、彼女のあまりに清澄な笑顔に驚くと共に、自分の中途半端な心情を見透かされたような気がして、思わず顔をそむけてしまった。
説明会が始まった。なんと、前で説明するこの折り紙サークルのリーダーだという上級生は、先程目が合った彼女だった。
俺は、説明する彼女の背の真っ直ぐに伸びた立ち姿に目を奪われながら、先程の清々しいまでの彼女の笑顔を思い返していた。
その彼女が、これからの俺の人生の重要な位置を占めるなんて、この時はまだ想像すらしていなかったけれど、これが俺と彼女のファーストコンタクトだった。




