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あの虹の向こう側へ【改稿版】  作者: 宙埜ハルカ
第二章:失恋編
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【二】消えた虹

「美緒」

 俺は自分の声に驚いて、目が覚めた。

 夢か……。

 遠ざかる彼女の背中に呼び掛けて目が覚めた。

 どこから夢だったのか。

 その時、くしゃみが出た。

 寒いはずだ。もう春とは言え三月末の今は、ソファーでうたた寝するには肌寒い。

 目の前のテーブルにはビールの空き缶が何本か転がっている。テレビも照明も点けっぱなしだ。

 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 カーテンの隙間から見える外界は闇の中で、まだ夜中なのを知らせている。

 脳内に甦る記憶は、どこからが夢なのか。

 どちらにしても嫌な記憶だ。

 俺は飲みかけで放置された気の抜けたビールを飲み干すと、フラフラと立ち上がり寝室へ向かった。


      *****


 次に目覚めた時は、すでに日は高く昇っていた。

 二度寝した時、すんなり眠れたわけでは無かった。思い出したくもない映像が頭の中でリピートされ、俺を苦しめた。

 身体を起こし、ベッドに座ったまま頭が徐々に目覚め始めると、もう一度夢ならばと僅かな期待を込めて携帯のボタンを押す。すぐに全ては現実だと告げる機械的音声が流れた。

 何をどう理解すればいいのか分からなくて、とにかくやはり、もう一度彼女と話したいという、その思いだけが俺の頭の中を占めていた。

 二年数ヶ月をかけて彼女との間に築きあげて来た物が、たった一ヶ月で崩れ去るなんて、やはり信じられなかった。

 彼女は誠実だから、一瞬でも自分の心が揺れたのを許せないのかもしれない。

 その相手とは職場の同僚ということだから、出会って約一年だろう。出会ってからの時間の長さの問題じゃないことぐらい分かっているけれど、俺は何に負けたんだろう。

 一時の気の迷いでも彼女が自分を許せないというのなら、俺はいつまでも待つからと伝えたい。

 俺は電話がダメなら会いに行けばいいんだと、思い至った。

 今日は日曜日だから、まだ実家にいるかもしれない。

 そう思うと、居ても立ってもいられなくなり、すぐに着替えて部屋を飛び出した。

 すぐには会ってくれないかもしれない。それでも、この気持ちだけは伝えたい。

 俺はハンドルを握りながら、逸る気持ちに後押しされて、彼女の実家へと車を進めて行った。


 彼女がジュディに乗るようになってから、来ることの無かった彼女の実家は、住宅団地の中にある。同じような二階建ての家が建ち並んでいるので、迷いそうだ。目印の公園を見つけ、そこから三軒目が彼女の実家だった。

 ゆっくりと運転しながら、見慣れた門扉の前で停まろうか躊躇する。二台停められる駐車場にはジュディはいない。それどころか、一台の車も停まっていなかった。視線を家の方へ向けると、全ての窓は雨戸が閉まり、ひっそりとしている。

 留守なのか?

 美緒は、もうK市へ行ってしまったのか?

 そこまで考えて、思い出した。お姉さん家族は海外転勤することを。

 もう行ってしまったのか?

 家の前で停まりかけたけれど、ゆっくりと通り過ぎた。住宅街の中で見覚えのない車が停まっていたり、ノロノロ走っていたりしたら、不審車扱いされかねない。それに、あの様子では、もう誰もいないのだろう。

 勢い込んで来てみたけれど、当てが外れ、俺は途方に暮れた。

 やはりこれは、もう追いかけるなということなのか。

 こんな現実、納得できるものか。

 こうなったら、K市まで行こう。行けば何とかなるかもしれない。


 車で三時間は結構な距離だ。この距離を毎週彼女に走らせていたのかと、今更ながら反省する。たとえそれが彼女の望みだったとしても、もっとこちらから出かけていれば良かった。

 結局K市に着いても、彼女の職場も住まいの住所も何も知らないのだ。それは彼女が週に一度は帰って来たいと言ったから……って、もしかして、来られたくなかったからか? 俺に知られたくなかったからか?

 よそよそしい見知らぬ街は、俺を疑心暗鬼にさせた。そして、彼女が住む街なのに、とても冷たく感じてしまう。

 ここには彼女の日常があるというのに、俺は歓迎されていないのか。

 ここまでくると、被害妄想だよな。

 こんな所まで追いかけて来て、これじゃあ、ストーカーと変わらないじゃないか。

 K市のメイン通りを走らせながら、自嘲の笑みを浮かべる。

 これが女のしたたかさなのか。

 笑顔の裏で裏切りを育てているのか。

 そんな風に思っても、そんな女性が彼女と同質のものとは思えなくて、彼女だけは違うと思いたい自分自身が情けなくなる。

 どこまでおめでたいんだ。

 おまえは振られたんだよ。

 早くそれを認めろ。

 頭の中で自分を責め立てる声が響いた。


      *****


 どうやって帰って来たのか、いつ眠ったのか、記憶になかった。

 それでも月曜日の朝はやってきて、俺はノロノロと起き上った。

 まだ春休みで、アルバイトを辞めてしまった身には、時間はたっぷりとあるというのに何もする気になれない。けれど、ぼんやりしているとあの日の彼女の強張った表情が次々甦って来て、どうしようもなくなるんだ。

 このままでは自分が変になりそうで、余りにも思い出の多いこの部屋にいるのが苦しくて、とりあえず大学の図書館へでも行って勉強しようと出かけることにした。

「守谷先輩」

 春休みの閑散としたキャンパスを歩いていると、折り紙サークルの新リーダーに声をかけられた。俺は去年の大学祭が済んでから、サークルへは余り顔を出さなくなり、実質引退したようなものだった。

 誰にも会いたくなかったのにと心の中で舌打ちをする。

「ああ、山内さん、君も暇なんだな」

 春休みの大学へ来ているのは熱心な運動クラブぐらいだろう。

「先輩こそ。そうそう、先輩にお願いしたいことがあったので、いい所で会えて良かったです。今度の日曜日の入学式でのサークルの勧誘ですけど、先輩も手伝っていただけませんか?」

 大学の入学式と言えば、クラブやサークルの勧誘は熾烈を極める戦いだ。皆メンバー確保のために必死なのだった。

「君達で何とかしろよ」

「先輩が立っていてくれるだけでいいんです」

「なんだよ。また俺を餌にしようとしているだろ?」

 去年も一昨年も、サークルの勧誘に駆り出されているのだから、大概うんざりだった。

「先輩、餌の自覚あったんですね?」

 目の前の新リーダーがクスクスと笑う。俺は大げさに溜息を吐いた。

「ちなみに私も先輩の餌に釣られた口です」

 彼女が悪戯っぽく言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。このリーダーは俺なんかに釣られるタイプじゃない。

 ふと、笑えている自分が不思議だった。

「分かったよ。餌になってやるよ」

「さすが先輩。よろしくお願いします」

 嬉しそうに頭を下げると彼女は去って行った。俺は立ちつくしたまま、その後ろ姿をぼんやりと眺めていた。

 これが俺の日常で、美緒の日常はあの町にある。

 それでも今までどんなに離れていても、確かなつながりがあったんだ。

 それがたとえ携帯電話という儚い電波で支えられていたのだとしても。

 俺の心から彼女の心へと虹の橋は、確かに架かったんだ。

 でも、もう、虹は消えてしまった。

 美緒、またいつか、二人の間に虹の橋が架かる日は来るのか?

 そんなことを考えてしまう自分の情けない未練を断ち切りたくて、俺は踵を返して思い出の多い大学を後にした。


 俺はアスレチックジムもあるスイミングクラブへ来ていた。教員採用試験には水泳もあり、体力づくりも兼ねて去年から平日会員になっていた。

 とにかく頭を空っぽにして身体を動かそう。

 五十メートルプールを何往復かし、マシンで汗を流す。

 そうやって俺は日常をやり過ごした。

 それでも週末になると、堪らなくなるんだ。

 彼女のいた週末の記憶から逃れるように、俺は夜の街を彷徨うようになった。

 お酒を飲むと全てを忘れられるような気がして。



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