プロローグ・人
20**年の日本に生きる青年、名を天草秀頼。
赤茶色の髪が特徴的な、180cm近くはある高身長の18歳だ。
彼は親への不信感と自立したさで中学を卒業したときに一人暮らしを始めた。
アルバイトを掛け持ちし、友人のおじさんが管理人をしている安いアパートに住ませてもらっている。日々仕事ばかりで大変だが、不便もないのでそれほど困ってはいなかった。
18歳にもなるとやれることも増え、趣味にお金を使う余裕もできてきていた。――その間、親とは一切連絡をとっていない。
秀頼には6つ離れた姉がいる。姉とは特にこれといって仲は悪くないのでそれなりに関わっているし、保証人になってもらうだとか、それなりに頼っていた。
そんな姉から、今日こんなメッセージが送られてきた。
『子どもができました~! 来週の日曜日にお祝いパーティーするんだけど、ヒデもくること! バイトは休め! 大好きなお姉ちゃんのお祝いだぞ~!』
「うわ……」
ついに作りやがった、と思いはしたが声にはしなかった。言葉にしてしまうとなんだかお腹の中の赤ん坊に申し訳ない気がしたからだ。姉が妊娠したのは構わない。バイトを断ってお祝いパーティーに参加することもよかった。しかし秀頼には他に気がかりなことがある。それは、両親が来るか来ないかだ。
――娘の妊娠祝いだ。両親は、絶対に来る。そう確信した秀頼は毛布の中で大きくため息をついた。
秀頼は両親にだけは何が何でも会いたくなかった。声すら聞きたくない。あっちの状況がどうなっているのかすらどうでもよかった。秀頼の内側にある不信と怒りが、親との血が繋がりを否定する。
「…………嫌だな……」
秀頼の家庭は裕福ではなく、どちらかといえば貧乏寄りだった。だから売れるものは売っていたし、秀頼が生まれる頃からは余計なものは買ってもらえなかった。親からは良い仕事についてお金を稼ぎ、稼いだものは家にいれてほしい、将来自分たちの介護をしてほしい、自分たちを幸せにしてほしいという気持ちを幼少期から押し付けられていた。
姉は別だ。姉は一番最初の子だから、目一杯めでられたし、多少無理な買い物もしてもらっていた。姉は特別カンも良く、顔も整っていたので、両親は姉にメロメロだった。――まあそれも、昔の話だが。
姉の反抗期がきたとき、両親はそれを受け入れなかった。勉強をサボっただけで躾と称して暴力を振るい、多少ピアスをしただけでしつこく怒鳴りつけ、恋人の顔が良くないだけで強制的に別れさせた。その上、頭の悪い人とのお付き合いは教育によくないと、中学に入る頃から作る友人は決められていた。
当然、それは秀頼にも向けられた。ただ秀頼は姉と違い、目一杯めでられたこともなくお菓子やサッカーボールすら買ってもらえないような子どもだったので、幼稚園児にして既に両親への不信感が強かった。
仮に秀頼が一人っ子で、生まれながらこうならここまで憎悪は抱かなかったかもしれない。そういう家庭なのだと受け入れられたのかもしれない。親だから、従うのは当然だと思えたのかもしれない。
しかしそれは単なる虐待された子どもの心境に過ぎないと秀頼は気付いていた。姉が本当の意味で愛されていた時を見ていたから、自由に好きな友達と楽しそうに遊んでいる姿を見ていたから、秀頼は両親を傲慢だと、最低な人間だと見限るようになった。
人によっては、たったそれだけのことでと思うかもしれない。けれど秀頼にはそんな両親が何より嫌で、そこでの生活はとてつもなく辛いものだった。遠くでどんなに不幸な人の話聞いてもなんの慰めにもならない。秀頼の小さな世界では、秀頼が一番辛くて可哀想なのだ。
(姉ちゃんには悪いけど、日曜日はバイトいこ……)
そういえば旦那さんに会ったことないな、なんてことを思いつつ秀頼はスマホを充電器に差し込み、枕の横に置いては布団から腰をあげる。
ワンルームの狭い部屋。布団から2歩進めばベランダの扉があり、そこから大して珍しくもない家の背を見つめる。
――自分は本当に、自立できたのかな――
ほんのりとした不安が血管を通り脈を打つ。ちょっとした孤独の時間を、秀頼は噛み締めた。
日曜日が訪れる。
あれからというもの、姉がしつこい。親は来るがそれでも顔を出せ、逃げるな、なんて言葉ばかり送ってくる始末で秀頼にはいい迷惑だった。
秀頼にとっては逃げられるならば逃げられるところまで逃げたいのが本音だ。得にもならないのにわざわざ己を苦しめるものに立ち向かえるほど現実を見れてはいなかった。
なるべくスマホの画面を見つめないように秀頼はその日のアルバイトをこなす。なんてことない、普段と変わらない日常だ。もし断っていなければ夕方には姉に出会っていただろう、なんてことを考えながら夕日が沈んでいくのを見つめる。
21時頃、アルバイトが終わる。今から家で食事をとったら夜中に別のアルバイトが待っている。自分でも少し働きすぎかなと思うところがないわけではないが、秀頼はアルバイトの時間が好きだったから特に辛いこともない。
大抵の人間が『働かず、けれど幸せでいたい』と思う世の中でこういった人間は珍しいかもしれない。けれど秀頼は、単に仕事内容が好きなわけではなかった。お金になるから、それはあるだろう。しかし一番の理由は別にある。忙しさというのは過去の記憶に浸る暇を作らせないからだ。
アルバイトのない日、仕事をしていない時間、ゆったりと時を過ごしているとどうしても思考が過去ばかり追ってしまう。他に何か趣味でもあればそんなこともなくなるのかもしれないが、好きな時間など与えられなかった秀頼には趣味になるほどの物事は無く、趣味という概念もいまいちよく理解できていなかった。
後ろから自転車が通っていく。秀頼はハッと我に返り歩を進めた。
仕事先から徒歩15分歩くと駅がある。そこから電車一本で地元に着くのだから、気楽なものだった。
駅へ向かう途中、一枚の葉が秀頼の目前を通る。見上げると桜が散った緑の木々が生い茂っていた。
(もう春が終わろうとしてるんだな)
――そういえば、桜の木すらまともに見てなかった。もう4月の終わりが近づいていることも、すっかり頭から抜けていた。こんな状態で、よく仕事なんてできたものだ。
日付も、桜も、気にする余裕もなく日々を送る青年。きっと遠い誰かが判断したんだろう。そんな人間に、刺激を与えてあげようとした。それがすっかり残酷な結末を迎えてしまうとは。
ブレーキ音すら、聞こえなかった。ただよくある車の音が、運悪く歩道ブロックに捕まらずそのまま秀頼の背に突っ込んできた。後ろを振り返る余裕どころか予想も予感もない、秀頼の身体は車の下敷きになってしまう。
人間には刺激が強すぎたようで、秀頼はボロボロになった体を残して眠りにつく――――。
これでプロローグは終了です!!
次回から本編が始まります~!