第十一詩「案外スプーンは使いづらい」
――場面は人間界に戻り、秀頼は朝を迎えた。
エタに案内された小綺麗な風呂場はやはり監獄のものと思えず、食堂はどこか新しく作られた大学のものを思わせるものだった。
当然、秀頼は大学の食堂など見たことはない。ただの想像である。しかし逆に言えば、見たこともないものを想像してしまうほどそこは監獄ということを忘れてしまうほどの光景だったのだ。
秀頼でなくとも、この世界の住人であってもここがただの監獄でないことは一目瞭然だろう、と秀頼は考えた。そうでなければ、未来の治安が少々心配になる。
こんな素敵な空間に住めるのであれば、それを住人が認知しているのであれば、みな罪を犯しても仕方ない。現実の厳しい社会を生きるより、ここで穏やかに暮らしたほうが素敵かもしれないからだ。そんな秀頼の思想は、天使でなくとも、魔王である我からしても愚かしい。
人が作り上げた罪を犯した時点で、穏やかに生きていける場所など人は用意してくれないというのに。
朝食の時間。
多くの受刑者が食堂へ顔を見せる。
席は決まっているわけでもなく、誰もが自由に座っていた。
秀頼は食堂の受け取り口にいた女性から食事を受け取り、そこから最も放れた長い机の端に座っているエタを確認した。
エタの周りには、みなわざと避けるようにして座らない。
秀頼はある言葉を思い出した。
(『鬼の子』……)
それについては詳しく聞いていない。
アンリやエタの説明にも、悪魔や天使、竜や魔物の話は出たが鬼の話は出なかったのもあり、すっかり頭から抜けていた。
(まあ鬼は、魔物の部類なのかもしれないけど……)
そんなことを考えながら秀頼は自然とエタの隣に座る。
それを見ていた周りの受刑者は小さく騒ぎ始め、エタは目を丸くする。
「……お前、この状況でよく俺に近づこうと思ったな。つーか近すぎだ、離れろ」
「え、席は詰めたほうがいいだろ?」
「そういう問題じゃねぇ」
天然かよテメエは。とエタは呆れながらスプーンで米を口に入れる。
(……あ)
周りはみなスプーンやフォークを使っているが、秀頼が気になったのはそこではなくエタのスプーンの持ち方だった。
本来、スプーンというものは鉛筆を握るように親指と人差し指で持つものだ。そうでなくとも、中指が添えられるだけでそう違和感はない。
しかしエタは下から手のひらで握っていた。
小さな子どもがよくやる、手首を大きく返して食べる時の握り方だ。これでコーンなどを食べたときはよくこぼすもので、それはエタでも例外ではないらしく、口に入れるまでにぽろぽろとご飯が器の上に落ちていった。
この食堂にもエタより小さい子どもがいる。しかしその子どももエタのような握り方はしていなかった。
それで余計にその持ち方が気になってしまい、ジッ、とみていると、ごくんと飲み込んだエタが口を開く。
「何見てんだよ。くいづれぇだろ」
「あ、ごめん…………あのさ、エタ。スプーンはこうして持ったほうが食べやすいと思うぞ」
「は?」
秀頼は参考に自分の知る正しいスプーンの持ち方をエタに見せる。
それにエタは拗ねた子どものような表情をした。
「俺の持ち方が間違ってるなんて知ってんだよ、食えりゃいいだろ」
「それは……そうだけど……」
「なら文句言うんじゃねぇ」
エタはそう言って、食事を再開する。
秀頼はまだ気にしながらも食事をとっていたが、途中エタの不自然な行動が視界に入った。
エタはチラチラと秀頼の手を見たり、周りを気にしながらスプーンの持ち方を変えようとしていたのだ。
それに気づいてしまい、秀頼は少し頬が緩む。
「……親指と人差し指の間な」
小さな子どもに教えるようにいつもより優しい声でそう言うと、エタは悔しそうに怒りの表情を見せた。
「うるせぇ、わかってるっつーの。おや指ってどれだよ。おとうさん指?」
「……ふふっ、ちょ、ま、待って」
まさか、エタの口から「おとうさん指」という言葉が出てくるとは。と秀頼は思わず笑いをこぼしてしまった。しかし真面目に言っているのはエタの怒った顔といつも通りの声を聞けばすぐ理解できたもので、秀頼はすぐに口元を隠した。
「そ、そう、お父さん指と……お母さん指で挟んで、中指は……えっと」
「おにいさん指だろ」
「おお、よく知ってんな。お兄さん指らの下にして……」
(って、案外素直だな)
やはり難儀な性格をしている、と素直に従うエタを見て秀頼はつくづく思った。
14歳は十分子どもではあるが、今のエタはそれ以上に幼く見える。
(エタの両親はどんな感じだったのかな……)
ふと、そんなことが頭をよぎった。
言うまでもなく秀頼にとって両親に良いイメージはないが、それ以上にエタの家庭に不安を覚えたのだ。
年齢は曖昧、恐らく14歳。
フォークの持ち方は幼い子のようで、親指を「おとうさん指」と言う。
教養のなっていない言葉遣い。
それらは彼の家庭によるものではないのか。
彼が『鬼の子』と呼ばれている理由はわからない、本当に『鬼の子』なのかもしれない。だからこんな風に普通の14歳とは違うのかもしれない。けれど、それが本当だとしたら、彼の両親は?
――そんな分析と疑問が秀頼の頭を駆け巡る。
エタからみれば秀頼は急に固まっている。
考えていることなど察することもなくエタはいつも通りの悪い言葉を投げた。
「おいクソ猿、何ボーッとしてんだよ。食う時間なくなるぜ。ま、猿は腹減ったらバナナでも食っとけばいいんだろうけどよ」
ただ考え事をしていたことは察していたようで、それ以上構うことなくエタは不慣れな手つきで米にスプーンを突っ込む。
秀頼に教えられたとおりの持ち方で。
時計の針が9時をさした頃。
そろそろニーズが迎えに来るかもしれない、と身支度をする。
とはいっても秀頼には手持ちのものがないため、できるのは自分磨きくらいだ。
「……そろそろ着替えたいな……」
部屋の中にある縦長の鏡を見てそう呟いた。
病院から借りた服を着ているけど、ハッキリ言ってほとんど病院服だ。いい加減普通の服が着たいし、エタ達の受刑者の服のほうがまだ普通に見えるくらいだ。
そんなことを考えていると、丁度エタが部屋の扉を蹴りながら声をかけてきた。
「おいクソ猿、出てこい。黒豚、早く」
「……猿なのか豚なのかどっちかにしろよなあ」
そう返した直後、エタの様子がおかしいことに気が付いた。
昨日出会ったばかりの相手に思うのも変な話だが、声がいつもより荒立っているようだ。
「エタ?」
名前を呼びながら扉を開く。
するとエタは苦々しい表情をしたまま扉の前に立っていた。
「……なんかあったのか?」
「……ニーズさんと…………来た。早く出ろ」
エタはそう言うとすぐにその場を去ってしまった。
「エタ……」
(なんであんな不機嫌なんだ?)
エタの心境はわからない、秀頼の呼び声にも応じてはくれない。
そんな彼の様子が気になり、秀頼は駆け寄ろうとするがすぐに足を止めた。
先日のエタの言葉を思い出したのだ。
――……お前な、ここが監獄だってわかってんなら気安く名前なんて聞くんじゃねぇよ。俺だってここにぶちこまれるくらいには極悪人なんだぜ? ――この言葉を聞いた後、確かに秀頼は思ったはずだ。軽率だった。もっと考えて行動をするべきだ、と。
名前すら、知られたくはなかった14歳の少年が会話をしてから、初めて秀頼の問いを無視したのだ。
(……これ以上は、やめたほうがいいな……)
彼の触れられたくない心を避けるように、秀頼はエタの背中から目を逸らし出入口のほうへ向かった。




