第十詩「想いに気付かない」
食事を終えた秀頼は食器を机の上に置き、時間潰しに窓から外を眺めた。
監獄の前には工事現場でよく見るような看板や土が山積みになっていた。秀頼が眠っている間、ベリアルによってえぐられた地面を埋める作業が行われていたことがわかる。
白い姿をした天使、ベリアル。
彼を思い出し、身を震わせる。
秀頼にとって竜以上に人間離れした雰囲気を漂わせた男だった。最終的にアジダカによって敗北したが、白い環でレヴィの肉片を飛び散らせたあの光景が頭から離れることはない。
「……レヴィ、今頃どうしてるかな……」
そんな心配の声を、扉の外でエタが聞いていたことに秀頼が気付くことはない。
***
遡ること数時間前。
ベリアルを回収した天使達が天界へと戻ってきた。
一番最初にそれを出迎えたのはアシエルだ。
「ベリアル! 勝手な行動をしおって、そこに座れ! その首断ち斬ってくれる!」
「おいおいそんなことしたら俺が連れ戻しに行った意味がなくなっちゃうだろ」
激怒するアシエルに「まあまあ」とグザファンは抑える。
未だグザファンに掴まれていたベリアルはその手を強引に振り払い、アシエルには目もくれず俯いたまま歩いていく。
その姿はほんのりと赤い色をしていた。
「どこへ行く気だ!」
ベリアルは振り返らないまま、アシエルに舌打ちをした。
「うるさいな、どこに行こうがボクの勝手でしょ」
「その勝手がどれだけ迷惑をかけたと思っている! お前のせいでお前の存在が人間側に知られた挙句、翼を置いていく羽目になるなど……」
「そう怒らないであげてくださいな、アザゼル。おっと失礼、アシエルさん」
その声はベリアルのものでもグザファンのものでも、その手下の下級天使でもない。
天使達の会合には参加していなかった上級天使――智天使・アスモデウスだ。
女性のように長い髪、長い爪で不健康そうな肌色を目立たせる元堕天使でもある。
「貴様……二度と間違えるな」
「おやおや、一度目は許してくださるのですね」
白々しく、また軽く返すアスモデウス。
彼の登場により、ベリアルは初めて顔を上げた。
「何か問題が起きたようですが、ベリアルがいることを人間界の者にバレたからといって何になりましょう? 何か対策が立てられるとでも? こちらが襲撃されるとでもいうのですか? まさか。ベリアルに対抗できる者などバレてもバレていなくともたった一頭です。ましてこちらはベリアル以外にも強力な者がいましょうに」
「いや」
その言葉をグザファンが否定する。
「ベリアルを倒せる者は竜王くらいかもしれないが、一人奇妙な魔法使いがいた。俺も遠目だったから確信は持てないが、アイツはベリアルの攻撃を防いでいたぞ」
アスモデウスはそれを聞くとベリアルのほうへ視線を向ける。
ベリアルは沈黙を通した。
「そうですか、そのようなことが。でしたらその者の相手は私にお任せくださいな。これで解決でしょう」
「何か対策があるのか?」
「ええ、まあ」
デタラメか。アスモデウスの態度にグザファンはそれを感じ取った。
しかしアシエルはそれを全く感じることもなく舌打ちをし、アスモデウスを罵倒した。
「腰抜けに何ができる」
そう言ってはアシエルはその場を去った。
「……あのヒト、友達出来ない性格してますよね」
「誇り高き天使に友情なんて無駄だとか思ってそうだよな」
アスモデウスがグザファンの言葉にそうですねと同意する笑みを向ける一方で、ひとりの下級天使が、
「実際そうでしょう? 人間を滅ぼすのに人間のようなことをしてどうするのですか」
と発言する。これは当然のことで、他の下級天使もそれに同意するように頷いたり微笑んだりした。
そんな中で、キョトン、と人のような表情をする三つの顔に、発言した下級天使は戸惑う。
「何かおかしなことを言いました?」
「いや…………アスモデウスは天使だった時、そういう風に思ったか?」
グザファンが話を振る。
「思っていたんじゃないですかね。地に堕ちた事がない天使などそういうものですよ。まあ悪いとは言いませんが……」
「そうなのか。ルシフェルのような孤高の在り方であれば理解できるんだがな」
「アイツは口だけでぜんっぜん孤高じゃないからあ!」
兄の名にベリアルは真っ赤に反応する。
グザファンは、しまった、という顔をしてベリアルを落ち着かせようとするがその前にベリアルはずしずしとらしくない歩き方でその場を立ち去っていった。
同じ天界の中、新たに作られた王宮がある。
ベリアルは周りの目を盗み、こっそりとその王宮の中へ入っていき、最上階にある部屋の扉を少し開いた。
中にいるのは、人の王だ。
彼はベッドの上でぐったりとしていたが、ベリアルが王宮に入ってきたのを感じ取っていたのか、扉を開いた瞬間すぐに目が合った。
「どうしたんだいベリアル。誰かに怒られでもしたのかな」
赤い姿のベリアルに人の王は心配する声で言った。
人の王の声は穏やかで優しいが、体はどこにも力が入っていないようですぐにも亡くなりそうなほど弱々しい雰囲気を漂わせていた。
「パパ」
赤い姿はだんだん白い色に戻っていき、ベリアルは『パパ』のほうへ抱きつくようにベッドへ飛び込んだ。
そんなベリアルを迷惑がることなく、人の王は優しく、弱々しい手で頭を撫でた。
「んふふ」と声をもらし手に縋りつく姿はさながら子猫のようだった。
しかしあるものが視界に入ると、人の王は手を止めてしまう。
「?」
「ベリアル、翼が一枚……斬られたような傷を負っているね。どうしたのかな」
「…………どうせ知ってるくせに」
「お前の口から聞きたいんだよ。それに問いを投げなかったらお前の事を無視してるみたいじゃないか」
人の王は頭を撫でていた手をベリアルの今は無き翼へと当てる。
「可哀想に。悪竜にやられたんだね。私に力を使う余裕があれば、戻してやれるのだけれど……」
「気にしないでいいよぉ、パパは今ここにこうして存在出来ているだけで凄いんだから。神様の力なんてそうすぐ扱えるもんじゃないだろうし」
ベリアルは体の向きを変えベッドに座る。
五枚の翼が柔らかく人の王の身体に触れた。
「ベリアル、お前はどうして私を『パパ』と呼ぶんだい?」
「どうしてってそりゃ、ボクのパパは神様だからね。貴方が神様になるというなら、ボクのパパも同然でしょ?」
「……そう、じゃあベリアルは私の息子だね」
「うん!」
――――家族ごっこだ。
ベリアルはそう思ったが、未だ気が付いていない。
この王はかの王とは違う。
我が子を愛さぬ『パパ』とも違う。
誰よりも神に愛され、何よりも家族を愛する/愛してくれる、人間であることを。




