第八詩「アンリという男」
重い瞼を開く。
そこには白い天井、けれど、病院とは違う天井だった。
この世界に来た時と似たときと似た現状に、つい右を向く。
――また、レヴィがいてくれてるんじゃないか。
しかし、そこには別の顔があった。
「……あ」
あの白い少年が、椅子に座り机に頭を伏して眠っていた。
その顔を見ながら自分がここにくるまでの記憶を思い出す。自分は花壇の前でいきなり気絶したのだろう。
(じゃあ、あの時、名前を呼んだのは……)
この少年だろう。
なんだか不思議な気持ちなりながら起き上がろうと力のない腕で体を支える。しかし、全く起き上がらない。
それどころか秀頼はこの世界に来て初めての感覚を得ていた。
(めちゃくちゃお腹空いた……死にそう……なんか、自分の匂いも結構キツイ気がする……)
思えば、当然だった。この体は産まれて15年間、恐らく最低限のものしか摂取していない。
この世界に生まれて何も口にしていないとあればお腹が空くのも納得がいく。むしろ今まで平気でいられたのか不思議なくらいだ。
窓からは光は差し込んでいない。視界にはいった時計を見て確認する。暗くて見辛いが、恐らく午前の3時半頃だ。
自分が気絶した時間帯がわからないが、結構の間寝ていたらしい。
そんなことを考えるも、やはりお腹が空いて集中できない。
パンやご飯を無限に食べ続けるような妄想をしながらお腹の音を部屋に響かせる。
その音に反応するように部屋の扉が開いた。
そこにいたのは袋を手にしたアンリだ。
「……ああ、おはようヒデ。起きたんだね。昨日花壇の前で倒れたんだよ、覚えてる?」
「……はひ、い・お……」
声が擦れてうまく出ない。
アンリは「そっか」と手にもっていた袋から水の入った大きなペットボトルを取り出す。
「過労で倒れたようだったよ。あ、水を持ってきてしまったけど、オレンジジュースとかのほうが良かったかな」
秀頼は首を横に振る。とりあえず、今は何でもいいから口にしたい気分だった。
「今コップにいれるね」
アンリは大きめのコップに水を半分いれ、秀頼に渡した。
秀頼はやっと手にできた水を、ごくごくと一瞬で飲み干した。
「はひぃ……」
「ごめんね、目が覚めたばかりだったのに。普通に歩いてたからまさか倒れるとは思っていなくて……ああ、水は好きなだけ飲むといい。僕は下からご飯をもってくるよ。まだ朝食の時間じゃないから夕飯の残り物になってしまうけれど、それでもいいかい?」
「は、はい、ありがとうございます……」
「ふふ、エタくんにも同じ言葉を頼むよ。君をここまで運んでくれたのは彼だからね。珍しいこともあったもんさ」
(エタくん?)
アンリはにこやかな顔をしてその場を後にする。
秀頼は未だ眠っている少年のほうを見た。
(こいつ、エタっていうのか……本人の許可なしに知っちゃったけど、まあこればっかりは仕方ないよな……)
秀頼は水をいれ、今度はゆっくりと飲んだ。
この世界にきて初めて口にしたものは、生前口にした水と多少の違和感を覚える。
「なんか……ちょっと甘い?」
確かではないがなんだかそんな気がした。
秀頼の声が耳に届いたのか、エタはゆっくりと瞼を開く。
視界に秀頼の姿がうつるとエタは飛び跳ねるように起き上がった。
「起きたのか!! てっきりもう目を覚まさねぇかと…………」
そこまで言って、しん、と静まる。
エタはハッと我に返り、耳を赤くした。
「死んどけよクソ……」
聞こえるように、されど小声でそう呟いては席に腰を下ろす。
不機嫌そうな態度を見せているが秀頼はそれに微笑み返した。
「心配してくれたんだな、意外だ」
「してねぇ。勝手に決めつけんなぶっ殺すぞ」
「でも部屋まで運んでくれたのお前なんだろ? アンリさんから聞いたよ。ありがとな」
「俺じゃねぇ」
「へ? エタってお前のことじゃないのか?」
エタは驚いた顔で秀頼を見る。それに秀頼は「あ」と声を出した。
「……アンリさんから聞いたのか?」
「ああ、うん、ごめん勝手に……」
「…………」
少し間をあけて、小さく舌打ちをする。
「アンリさんなら仕方ねぇか……」
エタのその態度に秀頼は眉を顰めた。
「あのさ、聞いてなかったんだけど……アンリさんって、何者なんだ? 受刑者ってわけじゃないんだろ?」
「はあ? そんなことも知らねぇのか、どんだけ無知なんだお前……ああ、無知じゃなきゃ俺にも話しかけてこねぇよな」
そう言ってエタは秀頼のほうへ向き、足をくむ。先程の慌てぶりはもうどこかに消えていた。
「アンリさんはここの管理者の一人だ。それと、この世界のあちこちを回ってカウンセラーとして慈善活動にも参加してる、そして何よりあの人を語るのに重要なのは……あの人は竜との戦争を終わらせた英雄ってことだ」
「竜との戦争って?」
「……俺も話に聞いただけだから詳しくはねぇが、20年前のことだ。堕天使……いや悪魔っつぅべきか。悪魔達が神へ反逆を起こしたらしい。その際、時空間・境界線が歪み崩壊した。そのせいで別の世界にいた竜達がこの世界に訪れ人間と戦争を始めたらしい。その5年後、竜の王と会話をし場を収めることに成功させたのがあのアンリさんだ」
「…………一応聞くけど、それって現実の話だよな?」
「だぜ。その証拠に天使も悪魔も、竜も魔物もこの世界に普通に現れやがる……つってもまあ、ずっと前はそんなのいなかったってほうがよくわかんねぇけど」
「え、ああ……そうか、20年前だもんな……」
エタは14歳だ。産まれた頃からあれらを見ていたのであれば確かにいない世界のほうが不思議に感じるだろう。
ベリアルや、レヴィのあの姿。そしてアジダカの戦い。秀頼からすればそんな異常の光景は、エタからすれば当たり前なのかもしれない。
「……その5年後ってことは、オレが拾われたのは丁度、その戦争が終わった後なのかな」
「拾われた?」
秀頼の言葉にエタが聞き返す。そこで部屋の扉が再び開いた。
アンリが料理を持ってきたのだ。
「遅れて悪いね。おや、おはようエタ」
「……おはようございます……」
「はい。ヒデ」
「へへ、いただきます」
渡されたお盆の上には、白いご飯、大根のはいった味噌汁や蟹クリーム入りコロッケのようなもの、他に野菜、大量のコーンがあった。
やたらコーンとコロッケが多く、野菜はよくみると苦々しいものが一切ないため、アンリが秀頼を子どもとして見ているのがよく伺える料理だった。
生前と異なる世界ではあるが、食べられる食事が出てきたことはありがたいので文句を言わず食べ始めた。
「ん、このお米おいしいですね」
「ほんと? よかった。僕らが苗えて作ったお米なんだよ」
「そうなんですか? さっきエタから聞きましたけど、アンリさんって色々やってるんですね」
「ああ、僕の話をしていたんだね」
アンリはエタのほうへ視線をやると、エタはすぐさま目を逸らした。
秀頼はそれに頭を傾げるが、それを聞く間もなくアンリは話を続けた。
「20年前の戦争のことは聞いたかい?」
「あ、はい。悪魔たちがなんとか……」
「そう、悪魔ルシファーがね。竜と僕らの戦争は終わり、悪魔達のほうも戦争は一度終わったようだ。今は昔ほど大きな動きもないし、あのベリアルが天使として再臨していたからね」
「……えっとぉ……」
正直、話についていけない。
なんとなくそういう存在がいるのだというのはわかるが、ゲームの世界の話をされているようでイマイチ理解ができなかった。
それを察したアンリは「ああ」と声を出した。
「わからないよね。あの後アジダカに聞いたけど、君は随分古い時代の人間のようだし……」
「ふ、古い? オレのほうがですか? こっちじゃなくて?」
「うん、君は……一億年は前の人間だろうって」




