‘‘負’’は私が持っていく
『魔女様の孤児院』と同じ世界観です。
「ありがとう!これであの人に見てもらえるわ」
「これで娘は助かるのね……。本当に、なんとお礼を言っていいか……」
「どうか祝福を、魔女様」
負の魔女のもとを訪れた人は、彼女に"負"を吸い取られ、幸せになれる。
人々はそれを信じ、こぞってやって来た。
人よりも幸せでありたいと願うあまり、醜い感情が彼らの心を蝕む。
あの人より、あの家族より。
ここには、多くの負の感情が鬩ぎ合っている。
「……はあ」
負の魔女は、何度目かわからぬため息をついて、窓の外を眺めた。
今日は満月だ
月の光が、窓辺に飾られた月花を照らしている。
灯りなどなくとも、月の光だけで部屋はこんなに満ちたりた空間になる。
彼女はこの時間が好きだった。
負の魔女はふと、彼女の家に続く道を見た。
遠くのほうに人影のようなものが見える。
すらりとした高い背、男性のようだ。
「……またか」
負の魔女は呆れたように呟き、窓の戸を閉めた。
トントン
扉からノックの音が聞こえる。
トントン
2回、3回とその音は聞こえ、負の魔女は仕方なくといったように扉を開けた。
「アヴィーラ、こんばんは」
「……何度言ったらわかる。名前で呼ぶな」
「美しい君に対して"負"なんて言葉は使えないよ、アヴィーラ」
「……今日は何の用だ」
「君に会いに来たんだ。これ、プレゼント」
彼の手にはヨルガオの花束。
「帰れ」
扉を閉めようとしたが、相手は男性。
力では敵わない。
「そんなことを言わないでくれ。せめてこれを受け取って?」
「何を貰っても気が変わることはない。しかもいくつ持ってくるつもりだ」
「数え切れないほど君に送っているね。でもこのヨルガオ、君によく似ているんだ」
「似ている?」
「暗い夜に咲くから、闇の中の白い花が美しく際立つ。君も同じさ。君は人々から"負の魔女"と呼ばれている。実に不名誉だけれどね。でも、"負"という闇の中の君は、とても美しい。世界中の人々に嫉妬の念を抱かせてしまうほどに」
「くだらない」
負の魔女は言葉を叩きつけるように発した。
「確かにその花は美しい。美しく咲き、美しく散るのだろう。だが私は違う。私は"負"の感情から生まれた魔女だから、"負"の感情を糧に生きているから美しいんだ。お前の言う通り嫉妬という糧を得るためだ。私は醜い感情からできている。その花のように美しく無垢ではない。何を期待して来たのかは知らないが、何度来ようとお前が望むものはない、帰れ!」
負の魔女は声を荒げてそう言い放った。
「・・・・・・これ、ここに置いておくね。また来るから」
男は目を悲しげに伏せながら、その場を立ち去った。
負の魔女は大きな音を立てて扉を閉めた。
だが気になったのか、窓から家に続く道を見た。
小さくなっていく男の背を、負の魔女は見送った。
ふと窓辺に飾っていた月花に目をやった。
先ほどと同じように月の光が照らしている。
違うことは、月花の花びらが2枚落ちていたことだけだった。
翌日も、そのまた翌日も、男が負の魔女のもとを訪れることはなかった。
こんなに来ないことは今まで一度もなかった。
負の魔女は少し寂しいような感情を抱えながら過ごしていた。
ドンドン!
夜も更けた頃、いきなり扉が激しくノックされた。
その音に眠りを妨げられた負の魔女は、苛立ちを覚えながら扉を開けた。
「魔女様!どうかこの子を助けてください!」
家の前には大きな馬車。
恐らく貴族だろう。
「お医者様にも、もうできることがないと言われました・・・・・・!もう、頼れるのは魔女様しかいないのです!」
「医者がそこまでといったならそうなのだろう。私は医者ではないし、どうすることもできない」
帰れ、そう言おうとしたその時、負の魔女の目に馬車の中で横たわっているあの男の姿が見えた。
なぜ、どうして、魔女の頭の中はそれだけだった。
「お金はいくらでも払います!どうか、どうか息子を!」
意識がないのか、従者らしき男たちに抱えられても動かない。
危ないかもしれない。
「・・・・・・冷えた外では体に障るだろう、仕方がない。入れ」
負の魔女は震える声を押さえながら彼らに言った。
「っはい!ありがとうございます!先にこの子を中へ!」
「はい!」
必死に頭を下げる母親を家の中に促す。
自分より息子を先に、従者に息子を優先させた。
とりあえず、リビングにあるソファに寝かせる。
「昨日の夜、この子が森の中で倒れているのが発見されました。手には白い花を持っていたんです。全身傷だらけで、お医者様は恐らくこれを取ろうとして崖から落ちたんだろうとおっしゃっていました。なぜ、そんな花など・・・・・・」
崖から落ちた。
そう言えば、彼はいつもヨルガオを持ってきていた。
あれの栽培は難しく、一体どうしているのかと気にはなっていたが、もしかして、森で採っていたのか。
負の魔女はおもむろに寝かされている男の手を取った。
すると、男の体から負の魔女へ流れ込んでくる『痛み』。
激痛が負の魔女へと襲いかかる。
『痛み』も負だ。
ならば、私は吸収できる。
痛みに少し顔を歪めながら、魔女は男の手を握り続けた。
「本当にありがとうございました!このご恩はいつか必ず!」
母親扉の前では頭を深く下げた。
馬車に運ばれる男の表情は先程のぐったりとしたものではなく、穏やかだった。
「早く連れ帰れ。そして、このことは彼に伝えるな。今吸収したものがまた彼に入るぞ」
「は、はい!本当にありがとうございました。今日はこれで失礼します」
負の魔女は頭を下げ続ける母親を一瞥し、扉を閉めた。
扉が閉まるのと同時に、負の魔女はその場に崩れ落ちた。
「はあっ、はあっ・・・・・・」
立っていられないほどの痛みが全身に走る。
彼に伝えたら痛みが彼に戻るなど、嘘だ。
なぜだか、自分が助けたと知られたくなかった。
少し、休まなければ。
やっとの思いでソファにたどり着いた魔女は、その上で横たわった。
瞼は重くなり、意識は遠退いていった。
九日後の夜、負の魔女の家に来客があった。
あの男だった。
あれから順調に回復し、再び魔女のもとを訪れた。
勿論、魔女が治したとは知らずに。
魔女は眠りについたままだった。
負が大きすぎたのだ。
いくらノックしても出てこない魔女を不思議に思った男は扉を開けて中に入った。
廊下を進んでリビングの扉を開けると、ソファに横たわる魔女を見つけた。
「・・・・・・アヴィーラ?」
声をかけても、魔女は起きない。
「アヴィーラ」
揺すっても、肩を叩いても、魔女は深い眠りから目覚めない。
男は魔女の体が冷えきっていることに気づいた。
寝室を探しだし、毛布を持ってくる。
魔女に毛布をかけ、彼女の頭を撫でる。
「アヴィーラ、起きてよ」
男は、魔女が目覚めるまで側にいた。
申し訳ないと思いながら、キッチンにも入った。
目が覚めたとき、きっとお腹が空いているだろうから。
その二日後、魔女は目覚めた。
「アヴィーラ!」
聞きたくない声が聞こえた。
「おい、何してる。なんでここに・・・・・・」
男は魔女の手を握った。
「よかった、やっと起きた。心配したんだよ。全然起きないし、もうどうしようかと・・・・・・」
魔女は手を振り払った。
「違う!なぜここにいるのか聞いているんだ、鍵は・・・・・・」
「かかってなかったよ。駄目じゃないか、ちゃんと用心して。長く来れなくてごめんね。ちょっと忙しかったんだ」
男の言葉からあの母親は話していないのだろう。
「もう来るなといつも言っていただろう。早く帰れ」
「・・・・・・そんなに俺のこと、嫌い?」
男は悲しげに目を伏せた。
「俺、全部知ってるんだよ。アヴィーラがしてくれたこと」
「・・・・・・え?」
「四年前のあれもアヴィーラでしょ?」
―四年前―
「俺が悪いよな。俺が、ずっと家にいれば・・・・・・」
飼っていた猫を亡くした。
外出先から家に帰ると、その体はすでに冷たかった。
少し前から病気がちだった俺の猫。
誰にも看取られることなく亡くなってしまった。
せめて最後は、一緒に過ごしたかった。
涙を流しながら、冷たくなった猫を膝に乗せ、頭を撫でていた。
「その猫、死んだのか」
突然、女性の声が聞こえた。
窓の外に目を向けると、月の光に照らされた黒のフードを被った女性がいた。
視線を女性から膝の上の猫に戻し、言葉を吐き出した。
「俺が、悪いんだ。最後に一緒にいられなかった。この子、苦しかったかな・・・・・・」
「・・・・・・私は、その子と話をしたことがあるんだ。よく言っていた。僕の主人は素晴らしい人だと」
「、そんなわけっ」
外の女性を見上げた。
彼女は微笑んでいた。
「この子は幸せだった。あなたと同じ時を過ごせて楽しかった。ここに来られて良かったと、嬉しそうに話していた」
ありふれた言葉。
猫と話したなんて、そんなの嘘だ。
でも、不思議と彼女の言葉は、胸に沁み入ってきた。
猫を抱き締め、声を上げて泣いた。
気付けば女性の姿はなく、朝日が昇り始めていた。
「あれ、アヴィーラでしょ?」
気づいていたのか、覚えていたのか。
負の魔女は驚いた。
あの時の男の視線は全て猫に向けられていたと思っていたのに。
「あの言葉で、俺救われたんだよ。あの人は誰だったんだろうっていっぱい調べた。いろんな人から話を聞いて、負の魔女じゃないかって、みんな教えてくれたんだ。」
「探しだした私がこんなので、残念だったな」
「そんなこと思ってないよ。確かに、思っていたより弱冠激しいけど、素敵な女性だと思うよ」
男はまた、負の魔女の手を取った。
「この前、俺怪我したんだ。結構な重症。でも、なぜだかこんなに早く回復した。アヴィーラが助けてくれたんだよね?」
「・・・・・・私は何も知らない」
「嘘。目が覚めたときね、四年前のあの時みたいに、心が暖かかったんだ。また俺は助けられたんだって思ったよ。こんなに長く眠っていたのも俺のせいでしょ?」
「・・・・・・私は負の魔女だ。負を糧に生きているんだ。お前が気にやむことは何もない」
「また惚れ直したよ。ありがとうね」
「応えることはできない」
「俺が嫌いだから?」
「そうだ。お前みたいなのはここにいるべき人間じゃない。ここには負が多く溜まっている。気持ちが徐々にそう引かれていくんだ。醜い感情に支配される。ここにいてはいけないんだ」
だから、早く帰って。
「私はこれを吸収して生きるから自分を保っている。だが、人間は違うだろう」
「それってさ、俺のこと嫌いな理由になってないよね」
「は?」
「むしろ、なんか心配してくれてる感じ?」
「誰が心配なんか」
「俺のことなんてどうでもいいでしょ?」
「当たり前だ」
「じゃあ俺が醜い感情に支配されるとか、関係なくない?」
「・・・・・・」
「俺、これからもここにきていいかな?」
「・・・・・・好きにしろ。どうなっても知らないからな」
「うん!アヴィーラに好きになってもらえるように頑張るね!」
「ならない」
「あっ!お腹すいたよね。スープあるよ。勝手にキッチン使ってごめんね」
「・・・・・美味しいなら許す」
「お口に合うかな~?」
キッチンへと入っていく男の背を見つめる。
いつもは負に満ちて淀んでいるように感じるこの部屋の空気も、今日はなんだか軽く感じる。
どうしてなのか、今の負の魔女にはわからない。
負の魔女のもとを訪れた人は、彼女に"負"を吸い取られて幸せになれる。
最近魔女のもとを訪れた人々は、彼女の家によく男がいるのを目にしていた。
それと、いつもはないヨルガオの花が飾られた花瓶も。
初めは恋人かと慮っていたが、どうもそうではないらしい。
男からは負の魔女に対する好意が見えるのに、負の魔女はつれない態度でかわす。
だが、負の魔女はどこか幸せそうだった。
人々は頬を緩め、その姿を見ていた。
私たちに幸せをくれる魔女よ、あなたもどうか幸せに。
そう願いを込めて、人々は彼女のもとを去っていく。
密かに、男へエールを送りながら。
お読みいただきありがとうございます!
負の魔女は少なからず男に好意を持っています。でも、自分で気づけていません。
いつか恋だと気づいて動揺する魔女が見たいですね。
2018/6/10、修正済です。