運動城
驚くべき光景が夜月の目の前に現れた。
「ハッピー・ハロウィ~~ン!!」
「……」
「やあ、元気かい?」
「……」
ハイテンションで夜月の前に現れたのは、なんと妖精だった! しかし夜月は無反応のまま進もうとした。妖精は夜月の周りを飛び回って進行の邪魔をする。その上突然お腹を抱えて笑い出した。
「アハハハハハ……」
無視して夜月が階段を上り始めると、妖精は夜月の顔を覗き込んで、彼の名前を尋ねた。
「……」
夜月はうつむいたまま答えない。妖精は空中で地団駄踏んで叫んだ
「優しく訊いてるうちにさっさと答えろボケッ! カスッ!」
「……」
妖精の暴言をも耳に入れないで、夜月は階段を上り続けた。さすがの妖精も夜月を心配し始め、再び顔を覗き込むと、今度は優しく
「本当に大丈夫?」
と訊いた。夜月は小さくうなずいた。もう四階まで来ていた。
「これからどこに行くの?」
妖精は、大体の見当はついていたが、恐る恐る訊いてみた。
「屋上」
最上階にある扉に手をかけた時、夜月がようやく妖精に話しかけた。
「妖精っていいな」
「なんで?」
妖精は首をかしげた。夜月が妖精に視線をやる。
「悩みとかなさそうで、明るくて」
その扉を開くと、冷たい夜風が校舎に流れ込む。風の音の中に、妖精の声が聞こえた。
「悩みなら、あるよ」
夜月は振り向いて、立ち止まった。
風の音が響き渡る中、尋箭と敵軍は睨み合っていた。彼を囲んでいた数十人の兵士が足元に倒れている。尋箭は一呼吸おいて、兵士にめがけて飛びかかった。疲労した兵士たちは呆気無く吹っ飛んでいった。
こうしてグラウンドの兵士はいなくなった。健太はと言うと、見事な剣のおかげで、傷一つなく勝利していた。もうじき明ける朝の空。群青の校舎が彼らを見下ろしていた。
「終わったようだな」
ため息をついて、健太が尋箭の元にやって来る。
「いや、またそのうち来るぞ」
モップを担ぎながら尋箭は兵団の作戦会議の内容を伝えた。二人は兵士の一人を見て頭を抱え、思考を巡らす。そのうちに尋箭がぽつりと零した。
「こいつら、本当に敵なのか?」
「何言ってるんだよ? 攻撃してきたんだから、敵に決まってるだろ」
健太は呆れたように言い返す
「見たこともない装備、意味の分からない言葉、ゲームで言ったら未知なる帝国からの攻撃、みたいな感じかな?」
「まあ、考えてても仕方ねぇか」
尋箭は振り返って、体育館に向け歩き出そうとして立ち止まった。彼は健太が学校に来たわけを訊いた。健太は剣のことを話し、夜月のことも話した。
夜月のことと言うのは、三年前の事件のことである。
小学四年生だった。
夜月と健太は同じクラスで、その時は音楽の授業を受けていた。
夜月がリコーダーで演奏する順番になると、クラス中から笑い声が聞こえてくる。
夜月は当時いじめられていた。
理由は特にあるわけではないが、無口で無愛想だから標的になった。
夜月は学校でのことを両親に話したことが無い。
時同じくして両親は不仲であった。
夜月はどっちつかずの感情の中、呆然と毎日を過ごした。
その結果、ついに気が狂って、窓から飛び出そうとした。急に泣き叫んで、椅子を蹴っ飛ばして、窓を飛び越えようとした。
しかし、その夜月の手を、健太が引っ張り、命を失わずに済んだ。
それから健太は夜月の事情を知って、仲良くするようになったのだが、今でも他人には心を開かない。
そもそもが気分屋で、感情に流されやすいところがある夜月は、もしかしたら、何かきっかけが起これば、また……
と健太は話した。
そこで二人は、夜月を捜すことにした。
その彼が、今すでに屋上にいる。彼の眼下には灰色のコンクリートの道が見える。茶色いグラウンドに、南側には荒野が映る。彼の隣には、いつもと違って妖精がいる。夜月は柵に寄りかかった。太陽はまだ昇ってはいなかったが、雲は黒くきらびやかに美しくなってきていた。
そんな空を見つめながら、夜月は妖精に質問した。
「妖精の悩みって何?」
妖精は柵の上に座った。
「君は寂しいって思ったことある?」
朝の穏やかな風が吹く。通り過ぎるのを待って、夜月がうなずいた。
「ある」
「えーっと、その……」
「?」
妖精の態度に、夜月は首をかしげる。
「どうしたの?」と夜月が訊くと
「一人称なに使えばいい?」と妖精に訊かれ
「ウチ」と夜月が答えた。
「ウチか……。関西弁やんな? いけるかな……?」
不安げな妖精に夜月は「たぶん大丈夫」とうなずいた。妖精は相槌を打ち、話し始めた。
「ウチも、寂しい。なかま居らんねんもん」
「どうして?」
また風が吹く、通るのを待って、話は続く。
「ウチはもともと『フェアリーフロンディア』ってとこに住んでてん。平和で、友達いっぱい居って、みんなで遊んで、まあ勉強せえへんくて怒られたけど、それ以外は楽しかってんで。せやけど……」
冷たい風が吹いた。止むのを待って話が続く、
しかし止まなかったのだろう。
妖精は小さな声で繰り返した
「せやけど……」
次に夜月が振り向くと、彼女は泣いていた。
静かに風にあおられて、涙の流れた筋が頬に鈍く輝く。
寒気のする風、夜月も鳥肌が立った。
彼女は身動ぎ一つせず、開けた目から涙を零し続けた。
小さな体に、羽が生えている、見たこともない奇怪な生物。
ただし、彼女の髪は一方になびく。
それは夜月と変わらない世界に居るという証拠だった。
夜月は妖精の頭に手をかざし、優しくその上に乗せて、誰かがするように、その小さな頭を撫でた。
頭を撫でられて、
初対面なのにこんな話をして、
秋の朝の身震いするような寒風に吹き付けられて、
自分とは違って物静かな少年に頭を撫でられて、
ゆっくり時が流れ、
しばらくすると、妖精は嗚咽を吐いて泣き崩れた。
「泣いたって何も変わらない」
いつか誰かに言われた。その言葉を夜月は口ずさんだ。
妖精は泣きながら涙を拭いて、立ち上がった。
「あほ……そんなん言わんといてや……ウチ一人やってんで? ずっとずっと、あいつらに捕まる前から。一人で、ずっと……」
泣いたって何も変わらない
妖精の潤んだ声を遮り、夜月の声は響いた。
少しでも変えたいと思うなら、助けを求めろよ
夜月の声に、妖精は口を開けたまま黙った。
「……」
妖精はうつむいて、小刻みに震えだした。夜月はいつものように黙り込んだ。その視線はいつものように漠然としたものではなくなっていた、妖精をじっと見つめる。
やがてグラウンドの果てから光があふれてくる。見事に朱く染まったその太陽が絵画のように昇りはじめると、朝の息吹が彼らのもとへ贈られた。
また風が吹く。今度こそ止む。
妖精は涙を拭って上り始めた太陽に叫んだ。
「何処のどなたかは存じませんが、私に力を貸してください! バカでアホな妖精を、救って下さい!!」
「喜んで」
夜月がそう言うと、妖精は彼の方へ振り向いて笑いかけた。笑っていてもまだ、涙を流した跡はきれいに拭き取れてはいなかった。
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「……んで、結局何事もなかったわけだ」
健太はほっと胸を撫で下ろしたが、尋箭は彼の頭をぶん殴った。
「いたっ! 何で殴るんだよ!」
「安心したからだよ!」と反論する割には笑顔であった。
「まあまあ」
妖精はそこに油を注ぐ
「三人揃ったんや、冒険に行こか!」
「何でそうなるんだよ」
健太がため息をつくと、妖精は魔法で健太を吹き飛ばした。
健太が一番星になる。
妖精は遥か空を見通して言う
「ああなりたくなかったら行くでー」
そして、先頭に立って、屋上から下に降りる。
脅さなくたって尋箭は冒険について行く、というより、彼の場合は脅しても無駄である。夜月は力を貸すと約束した。だから逃げ出したりはしない。健太は逃げ出そうにもすでに死にかけである。よってここに三人の勇者が誕生した。
世界を救うべく、三人の勇者
具体的に何を救うのか、まだ未定である。階段を下りながら会議を開く。
「やっぱり世界救わな、貧困で苦しむところとか」「却下」「じゃあどこにするんだ?」「妖精の故郷」「あかん、また泣く」「泣くな」「あ!」
とここで尋箭がひらめく
「そういや、もうじきここに敵が来るぞ」
妖精が急に明るくなる
「ほな、そいつら倒そ、それでええやろ」「誰?」「この学校を襲ってきた奴ら。変な装備してたし、どこから湧いてくるんだか」
尋箭の言葉に妖精は凍りついた。
「どうしたの?」
夜月が声をかけると、妖精は首を振って我を取り戻し、二人に打ち明けた。
「それはたぶん、『ジェドージァプト』の軍勢や……」
「『ジェドージァプト』って何だ?」
尋箭はのんきに欠伸する。対照的に、妖精はどこか恐怖しているように見える。夜月は二人の間を、先頭を切って歩く。体育館に向かう彼らの前に、突如、五式神らしき敵が出てきた!
「我の名は……」
と、自己紹介する間もなく妖精と夜月と尋箭にボカボカと叩かれ、倒された。夜月たちは何事もなかったかのように進む。
「それで『ジェドージァプト』って何だ? 何でここに攻めてくるんだ?」
尋箭はモップを担ぎなおして、振り向きざまに妖精に問いかけた。妖精は先程とは違って、確かに震えていたけど、まっすぐな声でこう言う
「あいつらは『フェアリーフロンディア』を滅ぼした奴らや」
「へー」
尋箭は頭を掻きながら眠たそうに
「さっきの妖精の強さがあったら、あんな奴らに負けるとは思えねぇけど」
と言った。
「雑魚はどんなに強い軍隊でも所詮雑魚や。けど、居んねん」
妖精は言葉を詰まらせ、窓の外を見る。外は酷く砂埃が舞い、黄土色の霧が視界を掻き消していた。
!!!
体育館から悲鳴がした。尋箭は真っ先に走り出した。
「待ってや!」
その後を夜月と妖精が追った。
体育館に着くと、そこには誰一人もいなかった。夜月たちが内部を少し調べると、舞台上に一台のテレビが砂嵐になっている。人気のない静かな体育館に響くその音がどれだけ不気味か、彼らはそれを肌で感じていた。
「おいッ!」
「なんや!?」
突然、妖精の動きが封じられた。夜月と尋箭は動こうとしない。
「た、助けてや!」
妖精が二人に助けを求める。しかし、夜月は動かない。尋箭に至っては欠伸をして
「馬鹿馬鹿しい」と言って体育館から出て行った。
「ひ、ひどい……」
妖精は涙ぐみ、しゅんとなって羽をうなだれた。彼女の中には絶望しかない。
「はなしてあげて」
夜月はぽつりと言った。妖精の体が自由になる。
「やった! なんや、夜月にビビって放したでコイツ。ははは……」
「はははじゃねえよ!!」
妖精を掴んでいたのは健太だった。健太は怒っている。
時間がもったいないので夜月と妖精は健太の主張を聞き流してグラウンドに出て行った。
グラウンド、すなわち運動場。外に出ると、尋箭が佇んでいた。後ろから声をかけると尋箭は
「今何時だ?」
と訊いてきた。健太がゲーム機で確認すると、時刻は7時59分だった。尋箭は笑みを零した。
「来るぞ。敵の本隊が……!」
砂埃が風に乗って視界を遮っていた。それが一気に晴れ渡る。
青い空がのぞくと、白い雲。
彼らの眼前には、巨大な兵器城が存在していた。
健太が驚愕し、尋箭が楽しそうに笑う。妖精は夜月の影に隠れ、夜月は城を凝視する。
透き通ったコバルトブルーに黒銀の機械銃が映える。大地に根を張った超大木のようにそびえて、彼らを見下ろす。機械仕掛けの城は、運動場に降り立つと、静かに座り黙り込んだ。
「な、な、なんだあれ!?」
健太は焦って妖精に訊く。妖精は物音がしないことを確認して、ひょっこり出てきた。
「あれは……」
目を疑うような大きさ。なぜ運動場に入れたのか不思議なくらいに大きいその城の名は
「『運搬用機動兵器城』……略して
・・・運動城・・・
季節に合わない北風が吹く。




