86、長い1日は終わる
「立てるか?」
女の子座りになっていたユエさんに裏ボスは声をかけた。
膝を屈め腰を落とし、ユエさんの瞳を真っ直ぐに見ながら、ユエさんの砂埃に汚れていた手を優しく持ち上げ支えた。
ユエさんはどこか呆然としながらその手に力を込めてすくっと立ち上がった。
まだ足がふらついているが、裏ボスの手に支えられているので、転ばずに立てるようだった。
「本作戦は目標を達成。総員、後片付けを済ませろ。本官はこれより護送を行う。特務小隊、配置につけ」
裏ボスの指揮が部屋中に届いた。年配の方の丸みのある柔らかさのこもった、はきはきした声だ。
部屋にいる軍人さん達は辺りに落ちるロープを拾い、戦闘によって出たゴミを集めていった。
俺を抱え上げる軍人さんはその流れに加わらずに、裏ボスの方へと歩み寄っていった。
「リュー君、よく護っていてくれた。ありがとう。そのままついてきてもらえないか」
「はっ!」
裏ボスは軍人さん……リューさんにひと声かけて歩み始めた。
リューさんも威勢よく声を返すと無言で裏ボスの後ろをついて歩いた。
裏ボスに手を引かれているユエさんは時折、俺をチラチラと見ていた。
「我を置いていくでないっ!」
前方のどこかから声が聞こえた。幻聴だろうか。
幻聴だな。あっという間に出オチしたかませ犬なんて知らない。
強者を装いながら一瞬で捕まってろくに戦闘もしなかった神獣(笑)さんなんて知らない。
「ニーナさんのロープを早く外してあげなさい」
裏ボスは静かに言った。軍人さんが向き直り、ニーナの方を向いたことで俺の視界にも入ってきた。
ニーナの顔をじーっと見つめてみると顔を上に向けて視線を逸らされた。
ニーナの顔を見つめる俺は真顔になっていたことだろう。
「おま」
ニーナが何かを言おうとしたのでじっと見てみるとまた顔を逸らされた。
前足で眼を隠すように掻くと気を取り直したのか、ニーナは視線をユエさんに向けた。
なんかちょっと足が震えてる。
「シスター殿はなんていう名前……でしょうか?」
ニーナをじろっと見てみたら言葉使いを変えた。
強がり、傲慢よくない。見下しかっこ悪い。
かませ犬になったからにはなおさらカッコ悪い。
「ユエと申します」
静々とユエさんは応えた。
立っているのもやっとだろうに、腰を曲げて深めにお辞儀を返していた。
そしてその体を裏ボスは軽く支えていた。
「ユエ殿。貴殿らの技は我に通じるモノであった。誇りに思え!」
偉そうだったのでじーっと見つめたら、ニーナはまた視線を天井に彷徨わせ始めた。
狼の皮を被った羊め。偉そうだけどメンタル弱者だな。
……人の事言えないか。俺は今はまだ張りぼてに近い。内実ともに強くならないと。
「ありがとうございます」
ユエさんの丁寧で綺麗な、敬意がこもった言葉だった。
容易く封じる事が出来たように見えたが、それでも見下すことはないようだ。
ユエさんは簡単に人を見る目を変えない。いい人なんだな。例え冗談でも貶したりする事がないかもしれない。貶すという事は心のどこかではそう思っているという事だから。
だが好きな時はいいところばかり見えて悪いところが見えない、嫌いな時は悪いところばかり見えていいところが見えないってなると、途端に極端で危ない人物になる。
軍に対する評価を見ているとこの気配が強そうだ。
一度嫌われるとなかなか評価をひっくり返しにくい、取り返しのつかない人物になる。要注意だ。
「ニーナさんを置いていくことはない。それにもう22時を回っている。早く帰ろうじゃないか?」
裏ボスは静かに言った。どこか温かさを感じる、安心できる声の出し方だ。
裏ボスは話し上手だな。初めて見た時の切迫感、説得方法、なだめ方といい見られる事を意識した立ち回りだ。
歳月によって磨かれた熟練の手並みとでも言うべきだろうか。すごい。
しばらくしてニーナの周囲を取り巻いていたロープは全て取り払われた。
ニーナはその体をぶるりと震わせると頭を下げて鼻を近づけてきた。
犬らしいといえば犬らしいが、今更犬っぽく振る舞われてもなと思ってしまう。
とりあえず鼻を撫でてみたらニーナは満足したようだ。
裏ボスが歩き始めるとこの大所帯は動き始めた。
休んだことで大分足取りがしっかりしてきたユエさんだが、その手はまだ裏ボスの手を掴んだままだった。握る手の力強さが目に見えるようだ。
その手は教会から出て入り口付近にあった黒塗りの車に乗っても外されることはなかった。
ちなみにニーナは車の後ろを走っているようだった。
窓の外を見ると風景が流れていく。その流れる速さは普通の車と同じくらいの速さだ。
たぶんだが時速40キロくらい出ていると思う。
それに余裕の表情でついてこられるニーナの身体能力はけっこう高いのだろう。
お昼に充電もしたからエネルギー的にも問題ないのかもしれない。
もう眠いな。頭が重い。今日はイベントがありすぎた。
明日からまた頑張ろう。明日からは何しようかな?
まずはルーチンを組み立てていこう。
環境が新しくなった以上、やらないといけないことも変えないといけない。






