70、聖歌
「彼方におわせし我らが土の神よ
力なき我らが今持つ力は
偉大なる我らが土の神から賜りしもの
信ずれば応えてくれし偉大なる土の神の力
数多の苦難を大きな力に変えて
数多の試練を乗り越える力へと
力なき我らを尊き土の神は憐み
力なき我らに偉大なる力を与え給うた
今我ら生きているのは偉大なる土の神の御恩情
哀れな我らは尊き土の神の御恩情に縋るのみ
力なき我らが返せるのは感謝の心
歌い上げよう感謝の心
我らが偉大なる土の神に
力なき我らが出来る最大の感謝を
偉大なる土の神よ! 我らが尊き土の神よ!
我ら最大の感謝を捧げん!」
カナさんは朗々と歌い上げた。
聖歌……土の神への賛美歌か。
圧倒的色彩。哀れなの部分では儚く縋るように、土の神を呼ぶ時は深く称えるように。
音色の圧力。高空へと響き渡りそうな声。澄み切った声は部屋中に広がり反響した。
歌詞に合わせて声の響かせ方を変えて同じ音量でも距離感をだし、テンポは変えないまま一音一音の伸ばし方を変えることでスピード感を切り替えた。
ただ讃えるだけではない。
ただ叫ぶんじゃない。
ただリズムに乗せているんじゃない。
感情を込めて、訴えるように、何を思っているのかを深く伝えるように。
カナさんは情感豊かに歌い上げた。
俺は土の神という存在がいる程度の認識しかしていない。
日本に首相がいる、それくらいの感覚でしか認知しようとしていない。
何を望んでいるわけでもなく、ただ恙なく生きられるのであれば特に気にしていないくらいの感覚だ。
もちろん何をしているのか、誰がしているのか、どういう人なのか程度は気にしている。
けれどそれは自己の安全管理レベルの認識だ。
信じるなどのことはまるで念頭にない。
だからだろうか?
生活を支えてくれている相手に縋り、自分たちのできることで返そうという考えは眩しい。
何ができるわけでもない、それなら私は自分の歌で感謝の気持ちを伝えよう。
歌を返したところで何になる? それで助けになるのか?
そう言われたらきっと難しいと思う。
だがそれはそれ。何もしないよりもいい。
それに何もならないわけではない。
歌を聞いた人が土の神へ感謝の気持ちを持てば何か行動を起こすかもしれない。
職人ならばより良い作品を作り上げ捧げるかもしれない。
お金持ちなら神のために何かをしようといった時に出資するかもしれない。
またそういった力がないのであれば自身を労働力として使ってもらったりするかもしれない。
何ができるかわからない、でも何か行動を起こそう。
そういった勢力が出来ていく可能性がある。
歌の力で共感を呼び起こし、行動へと繋げていく。
聞く人がいなければもちろん何にもならないだろう。
だがカナさんは世話をしてくれる人だ。
たぶん熟練の領域に入るような。
誰を世話する? 子供だ。
つまり子供という聞き手がいる環境下で歌うのだ。
まだ何も染まっていない純粋な聞き手だ。
土の神への洗脳と言っても過言ではないレベルだ……。
認識できた社会を見る限り悪い影響はないと思う。
だから治安維持の面からしてもいいのかもしれない。
だが恐いな……。
いつの間にか宗教に染め上げられた状態になっているのかもしれない。
周囲はその宗教の人しかいないなんてことがあるかもしれない。
別に人が何を信じていてもいいのだけれど、全員が全員崇めて同じ方向を向いていると考えると怖い。
一緒に行動していたら気が付けば予想もしていなかったところへと押し流されてしまいそうで。
「だ、大丈夫?」
気が付けばカナさんの顔が前にあった。
物思いに耽りすぎていたようだ。
「すごいです! カナさんは歌が上手なんですね!」
「あ、うん! 私の特技なの! これだけは同僚の誰にも負けないわ!」
カナさんは良い顔で笑っていた。
そうカナさん自身は洗脳しようなどは考えていないだろう。
悪い人じゃない。きっと。
たぶん純粋に歌や子供が好きな人だろう。
そもそも悪い人を危険人物になるかもしれない子供の世話役にはしないはずだ。
だからカナさん自身はいい人だろう。
大丈夫だ。問題ない。
「カナさん。僕も歌が上手くなりたいです!」
聖歌を覚えれば周囲の人の考え方も多少はわかりやすくなるはず。
それと異端者として弾かれるのは遠慮したい。






