375、もふりました
上から降ってきたぬいぐるみ野郎を無視し、ニーナの傍へ足を進ませた。
「の、のぅ? ……優しく頼む……」
何かを覚悟した顔でニーナが宣う。
何、ただもふもふに埋もれるだけの話でしかない。
何も減らない。充足する。される。
「と・ま・れぇ!!!」
毛の1本1本が俺の体以上の長さがある。
表面の固い毛の下のふわふわの毛に触りたい。
鼻を突っ込めば獣臭さに悶えさせられる事だろう。
「……臭いがない……やはりゴーレムは悪い文明……」
生態活動してないから汗や脂などが存在しないのだろうか?
若干の埃っぽさがツラい。心做しか石鹸の匂いがする。
身体を洗っているのか、そんなに埃が溜まっているわけではないが。
「へんたいっ!」
あぁ、でももふもふな事には変わらないみたいだ。
柔らかいし暖かい。懐かしい気分になる。
実家のわんこが恋しい。寄り添ってくれるのはあの子くらいだったし。
「……この感覚は……母性……?」
なんかしんみりする。
泣きたくなる様な感覚。
気がついたら涙がこぼれそうな。
「ごめんね、落ち着いた」
けっこう限界が近かったのだろう。
あの後そこでしばらくそこでうずくまってしまった。
思考の空白が出来て気楽になったのかもしれない。
「う、うむ。また何時でもやるがよい」
なんかニーナが変な雰囲気を出している。
いったいどうしたというのだろう?
まぁ、たぶんきっと何もないだろう。
「ありがと」
人間よりも犬と長く過ごしてきた気がする。
自分の事を犬と思っているのかもしれない。
人型よりも余っ程心が許せる形状なのだろう。
「私の事を見てぇぇぇぇ」
毛皮には球ゴはいなかった。いたらダニっぽく見えて嫌だっただろうな。
もしかしたらいるかもしれないけど、触った部分から退避させた可能性があるか。
体のお掃除要員として普段から体中を這わせていたらどうしよう? 怖いな。ダニっぽくて。
「そういえばシロ殿は何かしたい事でもあるかの?」
自由になりたい。自分で自分の面倒をみて何でも出来る様になりたい。
そして……何がしたいんだろうか? ただ気楽に生きられる様になれればとしか思っていない気がする。
その先の目標が足りない。求めていないのだろうか? 求めようにも状況が整わないと思っていないだろうか?
「とりあえず自由が知りたいかも。それから考えるって感じかな?」
こう考えてみると意志薄弱もいいところ。
もっとやりたいことを考えてみろよ、バカ。
でも出来る事がそんなにないんだよな。
「自由のぅ……自由とは何かの?」
そもそも俺自身が何を望んでいるかも理解していない。
戦争モノで「夢はパン屋でさ……」みたいに言うおじさんとかいるけど、あれは憧憬があるのだろう。
自分の中の平和の象徴がそうだったという感じで。でもその類の憧憬が俺にはない気がする。
「普通の大人みたいな? 自分で住むところを選び、仕事を選び、そんな生活しているのがいいよね。まぁ、環境である程度選べるところは定まってくるだろうけれど、選ぶ余地があるだけマシじゃない?」
叶えるのは難しい夢。それはけっこうたくさんあるだろう。
そもそもまともな人付き合いをしている自分を想像できない。
パン屋とか難しいだろう。仕入れからして頓挫しそう。
「普通の大人であるか。それが普通の大人と言えるかは置いておくとして、我等で叶えるには難しい願いであるな」
そこらに埋没できる様な大人というのは案外難しいモノである。
埋没していると思うと這い上がりたいとか感じるが、その土俵にすら上がれぬ俺には眩しいモノだ。
埋没できるくらいに同類が近くにたくさんいるのだ。羨ましい。
「僕の欲しいモノはお金じゃ手に入らないもの。だから自分の自由が欲しいのさ。何でもできる様な自由が」
人間性がよろしくない事は理解している。
まっすぐ前を見られる様な性格ではない。
ひねた思考を繰り返し、自分なんてと思い続ける。
その癖状況さえ整えば何でもできるとか思うくらいに鼻が高い。
「それで自由が欲しいと思うのであるか」
責任があるから行使できる自由が大きくなる。
子犬の特権、子供の特権、誰かが責任を被ってくれるから生まれる自由。
それは正直望んでいない。管理者の顔色を窺わなければならない自由は好きじゃない。
俺は顔色を窺うのが苦手なのだ。萎縮してしまう。何が許される範囲かを試せない。
「自分で責任がもてる範囲の自由っていいよね」
自分で責任をもてる内容は周囲の人との関係で決まる。
関係者の信用が成長するほどに行動できる範囲が広がっていくのだ。
クレカの上限とかと同じかな。使ってもちゃんと返しているのであれば使用上限が上がっていく。
小市民な懐感覚だと勝手に上げるな、使いすぎたら怖いんだと思うけど。
「ふむ……」
人の世界の自由は誰かの権利とのせめぎ合いである。
自分が好き勝手に行動した結果、誰かの迷惑になるのはよろしくない。
まぁ、それも程度の話ではある。その程度を定められているのは法律である。
「いくら自分がそれをしたくても、誰かの迷惑になる様な行動をするつもりはないよ」
自分が遵法精神あふれるモノだという主張は今後のための布石。
監督責任という名の檻を外すためには必要な媚売りである。
またその檻が気に入らないという宣告でもあるが。
「私を空気にするなぁぁあ!」
我田引水。水利権。この辺りが明確か。日本は水が豊富な土地だ。
だけれどダムや溜池などがなければ安定して水を得られなかった。
必要な量の水がなければ田んぼの実りを期待できない。
限りある資源を自分だけで独占しようとする行為こそ、我田引水である。
「そろそろこの子をかまってあげてはどうだろうか?」
……なんかぐすぐすとぬいぐるみ野郎が泣いているフリをしている。
でも正直あまり仲良くはなりたくない。こいつの行動にはたぶん裏がある。
こいつは要警戒対象であり、敵の可能性が高いのだ。いつまた体を乗っ取ろうと画策するか知れたものではない。
「私は悪い子じゃないよ!」
いや、状況次第だが悪い子だろう。裏切る時は真っ先に裏切るタイプ。
いい子に見せる演技が上手い、信用をしてはいけないタイプ。
重要な情報を渡してはいけないコウモリ野郎だと思う。
「……少しだけならかまってあげるよ」
絶対に信用はできない。しない。でも使い様はあるか。
コウモリ野郎は偽の情報をつかませて相手を混乱させるという役割がある。
こいつからの情報は信じるに値しないが、可能性の提示程度には使えるかもしれない。
「少しじゃなくてもっとかまってよ!」
近寄らせ過ぎると重要な情報を感づかせてしまうかもしれない。
今の俺に隠すほどの情報はない。だが今後は分からない。
そう考えると必要以上に近寄らせるのはリスクでしかない。
「やだ。ニーナに免じて少しだけ関わるだけだから」
積極的に敵対ではないけど、やはり寄生生物は生理的に近寄らせたくない。
寄生生物自体は生態が面白いから見ていて楽しいが、こいつはいただけない。
面白い生態している様にも思えないし、俺に対して実害を加えていた過去がある。
「うむむ……シロ殿」
困った顔をニーナがしているけれど、ここは譲れないポイントである。
いつ何時裏切られるか知れたモノではない。
まぁ、それはニーナ含めてそうなのだけれど。でもニーナはもふもふなので。
「それ以上は許せなくなる」
そもそも俺には信頼できるモノがなにもない。
俺自身もそれ以外も何も信頼していいものがない。
全ていつか手元からなくなると思って、でもそれを早めない様に、立ち回る程度が望ましいか。
いつ砕けるかわからない波打ち際の砂の城かな。






