259、洗う
勢いで洗うと言ったが実際問題どうやって洗えばいいのだろうか?
手のひらにちょこんと乗っている。それだけで可愛い。
重さはほぼないに等しいのでは? コピー用紙を持ちあげる程の感覚もない。
体の質が違うのだろうか? いや、そもそもこの体で俺を秒で数百メートル? 持ち上げたんだぞ。
体の質が違うのは当たり前だろうが。お前の想像よりもずっと丈夫なはずだ。
そもそもゴーレムなのだ。物理無効だろう。少なくとも魔力の続く限りはそのはずだ。
矛盾の話と同じか。いや、むしろダイヤモンドの研磨にはダイヤモンドの粉を使うの方か。
同じ硬さなら削り合いが出来るというモノか。だが多分この物理無効は魔力由来だから関係ない?
手の中にある柔らかく軽い体には力をこめたら壊れてしまいそうな感覚しかない。怖い。
指の腹で撫でる様に頭を触ると気持ち良さそうに目を細めてくすぐったそうに笑った。可愛い。
こんなにも可愛くて壊れそうなモノにどうやって接すればいいのだろうか? 分からない。
お湯を手のひらに溜めてゆっくりとかけてみた。
一般的な鳥の場合、羽には雨などの水滴を弾くために脂がついている。
この脂を落とすと一気にみすぼらしいモノになってしまう。
なのでゴシゴシと洗うとかはもっての外だ。
野生のスズメなどを考えれば、水浴びや砂浴びは寄生虫や皮膚から分泌されたモノを剥がすモノ。
今回は俺の汚れがついたかもしれないから落とすのが目的。軽く撫でる程度でも大丈夫なのか?
どうなんだろうか? 分からない。それで事足りればいいのだけれど。難しい。
温かいけれどそこまででもないみたいな感じがとても不思議。
少し硬めの羽毛の下にふわふわな毛がある。もふもふ感は薄い。
でも基本的に南国の鳥がモチーフだからか、そんなに柔らかい毛は多くない。
羽の流れに合わせて指を這わせ、その抵抗がほとんど感じられない。
目を細めて少し口を開けている感じ、気持ちが良さそうに見える。可愛い。
悩ましい。というかこの水、油分をたくさん奪っていきそうだな。大丈夫か?
もし完全物理で飛んでいたら俺は飛行船にいないだろ。
あの羽の大きさで空気の薄い場所を子供1人分持ち上げるんだ。
狭い通路でほぼほぼホバリングして持ち上げていたのもヤバいヤツ。
しかしその飛行が羽の質に影響していないとは言い切れない。
この翼が本当にイミテーションであると言い切れるならゴシゴシ洗うかもしれない。
だがしかしそうだと言い切れないし、骨が折れてしまったら可哀想だ。
「ちょっと翼を広げてくれる?」
指でつまんで広げる事は怖い。
自分の体ならどうとでもなれと思うが、自分以外だとミリも傷つかないで欲しい。
なんというか我ながら極端。
自己犠牲の意思はまるでない。慈しみとかの概念でもたぶんないのがヒトデナシ。
自分の体がいくら傷ついても気にしない癖に、精神の方は傷つく事を怖がる。
ゲームのアバターがいくら傷ついても動けるけれど、シナリオで死ぬキャラに胸を痛める様なもんか。
まして今の体は傷つきもしない。なおさら自分よりも他人の方が自分の精神を傷つける。
ほんとバカみたいだ。
「うん!」
左の人差し指に足をのせて、ネネはゆっくりと羽を広げ、胸をそらした。
普通のハチドリだとたぶん筋肉的に辛い体勢だろう。恋ダンスを踊るあの鳥でもない限り大変では?
腕を横に広げ続ける事は普段やらない人の場合でも2、3分少々やってたらそこそこ辛いんだ。
そういう構造をしていない鳥ならなおさら辛い事だろう。
ハチドリの場合は伸縮を素早く行うのは得意だろう。でもこうゆっくりと羽を広げるのは苦手なはず。
こういう事が出来るのを見てもやはりゴーレムだな。ハチドリとは違うなと思う。
だがしかしそうではあっても鮮やかな体躯が開かれて、普段見えない部分を見るのはとてもいい。
胸をそらした事で逆立ち膨らむ緑色で光沢のある胸毛。
他の鳥に比べて細く、そして自由度の高い関節が作り出す不思議な半円は趣深い。
相変わらずどこから出ているのか分からない声だが、はにかむ子供の可愛さは異常。
シャワーの水の勢いを手で弱め、ゆるくかけてみる。水の温度はそこまで高くない。
たしか猫や犬もそうだけど、お湯に長く浸かると体の温度調節機構が壊れてしまうらしい。
人間は衣服を使用するから調節能力が低くても問題ないから浸かれるんだろうか?
小鳥や猫や犬の類は小さいその身一つで冬も夏も越さないといけないから、熱いお風呂とか外からの干渉に弱いんだろうな。
体温調整が上手く出来なくなったお年寄りとかまだ上手くない小さい子はトイレの便座とかで低温火傷を起こすらしいという話も聞く。
事例を考えると行動した時のイレギュラーが多いし、出来るだけの自然の姿がいいのだろう。
ゴーレムだからたぶん大丈夫。そんなこうだろうという決めつけは危険。
だろう運転はダメ。かもしれない運転をしよう。そう運転免許を取る際に言われるだろう。
同じ事。気楽にした事がきっかけで、後に遺る傷病を引き起こす可能性を想定しなければ。
「熱くない?」
左の親指の腹で羽を少し下から触れると血の脈打つ様な感覚がした。
ゴーレムに血が通っていると思うと不思議な気分になる。この感覚は幻覚だろうか?
可能性がないとは言えないのが何とも言えない。ないと言い切りたいけど難しい。
人はそう思いたければそう考えてしまうところがあるからね。
樹皮の模様を人の顔だと誤認したり、暗闇で白いビニール袋が風に飛ばされたら猫だと思う。
見えていない部分を想像で補い、それを認識させない意識させない、全く面倒な性質。
痛みとかはないだろうか? むだにゴーレムという事を信頼しているけれど、絶対の保証はない。
そもそも本当に絶対に破損しないとかあり得るのだろうか?
魔力による防御かなとは思うが、だとしたら人間も相応の防御力がある事だろう。
高い魔力があれば傷もつかない可能性があるのだろうか?
リク君の体の時血を流した覚えは特にないし何も言えないな。
魔力切れもしくはより強い攻撃的な魔力がなければ殺傷できないのだろうか? 分からない。
「気持ちいいよ!」
ゴーレムの利点は魔力を吸収する能力と魔力の器としての体なのではないだろうか?
大きな器を作れれば後でいくらでも補充できる以上、作成者を超える魔力量を保持できる。
ある一定のレベルを超えれば魔力の質を自分のモノへ強制的に変化させられるとかもあるのでは?
タマゴの時火の魔力を突っ込んだら穴から火を噴いた。
でもこの身体は属性も分からない魔物の魔力を奪ったがそういう不具合は一切なく行動できている。
そういう性質はたぶんあると推測できる。条件は自意識があるかどうかだろうか?
ネネはどうだろう? この小さい体だ。魔力量の最大値は俺を大きく下回るのではないだろうか?
だとしたら魔力の優劣で起きると思われる防御力の差異で、俺はネネを殺しうる能力があるのでは?
その優劣で起きる防御力の差異が、普段のそれに影響する場合、意図せず傷つける可能性もあるのか?
やっぱり過信で下手な行動を取った場合、思わぬケガをさせる危険があるだろう。
分からない事をするな。それが相手を傷つけてしまう未来が予想できるならなおさら。
別に俺はネネを殺したいわけじゃない。こんな可愛い子を傷つけるなどもっての外だ。
「そっか。よかった」
俺は指の腹で翼を流れに沿って撫でると柔らかく微笑んでみせた。
自分の黒い思考を見せない様に。






