256、水音は哲学者を作る
俺は何を言っているんだろう。
それは触れるべき事だったか?
別の誰かとの関係性などを問う忌むべき質問では?
「リクと入ったよー!」
冷静ぶろうとしたところで、頭の中の混乱が治まり切っていない。
自分にされたら返答につまる内容の質問とかするんじゃないよ。
これはたぶん意地悪な部分が出たのだろう。ネネが苦手だと思っているから。
それはとても醜い感情で間違いはない。
少なくとも平常心であればまずする事がないモノだ。
そして弱っているからといってしていいものではない。
だからこそ醜い、汚らしい、ゲスの感情だ。嫌いだ。
「そっか。リク君、大きくなったよね」
むだに聖人の顔をして俺は何を言っているんだろう。
いい子でいたいか。そうだな。悪い子にわざわざなりたいとは思ってもいないもんな。
自分のクズさがいい子の仮面をかゆいかゆいって言っているけどな。
自分がクズだと思っているが、実際クズか? と考えるとクズな事をしているとかはない。
だがどうしても自分をクズだと思ってしまう。どんなに正しい事をしようとクズだと思う。
クズじゃなくなる方法が分からない。そもそもクズとは何をもってクズと指すかが問題。
ネネはいい子だ。裏表なくこのままの感じで行動しているのだろう。
いや、本当にそうだろうか? 経験を積んだ上であえてそう振舞った方がいいとなってないか?
考えが巡り過ぎている。疑えば疑う程虚像と戦う事になるのに。
俺はそうする。俺ならこうするかもしれない。同じ立場なら。
結局勝手な想像に過ぎないし、俺は俺で、相手は相手でしかない。
言葉はいくらでもどんな妄想もリアルな強迫観念に出来る。
「うん! 大きい!」
あぁ、うん。白いね。心が純粋そうなオーラがすごくするね……。
とても嬉しそうな声が俺の醜い心を切りつけていくよ。
どうしようもなく自分の疑いが如何に不当で心ないモノかを突き付けていく気がする。
汚い心の大人はちょっとお湯を浴びて身を清めよう。
お湯だけど体を洗えば頭が冷えるだろう。汚濁に塗れた結果の壊れ具合かもしれない。
いや、たぶん関係なく元から腐っているんだろうけど。
そもそも何をもって俺は自分が大人だと言えるんだ。
重ねた年月で一体何を身につけた? 何も出来ない癖に年上面とはいい御身分だな。
ネネに勝るモノが何かあるだろうか? ないんじゃないか? やっぱりバカだ。
「先に体を洗うけど、ネネちょっと背中側を手伝ってくれるか? あとで洗うからさ」
どんな取引だよ。中身がおっさんの幼女? の背中とか気持ち悪いだろう。
お金をもらってもやりたくないモノじゃないか? 少なくとも嫌な人の方が多そうだ。
いや、世の中は広いし、むしろお金をもらってでもやりたい人がいるかもしれない。
とにかく泥を落とそう。湯はたっぷり使おう。水は極性が高く、物をよく分解する。
詳しく考えると面倒だけど、極性が高いとモノと反応しやすくて、モノを壊しやすい。
陰性度が一番高いのはフッ素だったっけ。フッ化水素ってガラスだろうとバラバラにするよな。
水って水酸化イオンと水素イオンに一定の比率で分離してて、その水素イオンの濃度が基本は7。
7は正確には十のマイナス7乗。1モルリットル中に0.0000001モル含まれている事を示す。
塩酸などの強酸はpH2。つまり1モルリットル中に0.01モルだいたい含まれているとなる。
なんか化学を思い出していると思考が落ち着く。
たぶん感情云々とかそういう不確定なモノよりも余程確定的で気持ち的に楽だからだろう。
あとこの辺りの計算はちゃんと出来ないと薬は作れない。
中途半端にしか勉強していないからほんと役立たずだけどな。
「いいよ~」
劣等感の根源ってここにもありそうだな。
真面目に勉強した記憶もなければ、ちゃんと出来る様になった記憶もない。
上を目指す事も、勉強も、人付き合いも、前世の自分はちゃんと出来た覚えがない。
賢しらに理屈をこねるだけこねて、結局全て手をつけずに自分のしたい様に行動した。
それで一体何が得られるというのだろう。机上の空論をいくらこねたところで実績は出来ない。
環境のせいにして何になる。他の人ならもっと上手く立ち回っていただろう。
少なくとも俺以外なら俺の体にもっといい人生を歩ませる事が出来た。
自分以外なら。この意識もダメだな。ここも直さないといけない。
これは自分だから達成できたという何かをなさないと上手く直せないのだろうか?
だとしたらまずは勉強から始めるべきか。結局、基礎が足りていないんだ。
「ありがとう」
勉強。しかし勉強か。どうやってやる?
やりたい様にやれるなら、出来るだけ根幹から覚えていきたいんだ。
幹は太ければ太い程、後につく枝を強く支えるし、太い枝をたくわえられる。
予測推測で判断していてはいつかは倒れる。
数学が数字という概念、四則演算から入った様に、より根幹から。
……いや、それが真理とかそういうモノの追求じゃないか。
とりあえず図書館にこもったりして、適当に本を漁るべきだろうか?
教育関係の指導要領とか、シラバスを見つけて、それに従い大まかな流れに沿って勉強するべきか?
歴史関係を漁り、発見された順に経緯などを見ながら、やっていく?
転生者の影響でこの世界はすごく科学史が混沌としていそうだ。
「どういたしましてー!」
ネネにもちゃんと向き合わないといけない。向き合い方が分からないけど。
人と向き合うってどうやるんだろうか? そもそも向き合うとはなんだ?
少なくとも今の俺は斜に構えているのは分かる。刀を相手に構える心持ちだろう。
それはきっと正しくない。
正しくない事だけはわかる。
刀を構えないと前を向けないのだろうか?
表面上は無防備を装って、内面は最悪の可能性ばかり見ている。
臨戦態勢が過ぎるだろう。しかしそうしないとより酷い状態に陥っていた気もする。
そもそも酷い状態とはどのような状態だろうか? 現状は酷くないとでもいうつもりだろうか?
最悪の状態に比べれば酷くないだろうが……いや、最悪の展開でもこの体だ。大した事は出来ない。
そもそも死が最悪の状態とは言えないだろう。死ぬ事への抵抗感は人よりも大分薄いのだから。
前に眠る時、あれはもう死を覚悟していたし、あれもきっと死の扱いでいいと思う。
眠った後起きれる保証もなく、夢も見ず、消えた時間だ。
どうせ終わるなら綺麗な光景や空を見たいと思ったんだっけか。
あの死んでいる時間に砕かれていたらたぶん間違いなくもう二度と目を覚ます事はなかっただろう。
魔力も切れている状態だろうから、防御も機能していないと思う。
起動に必要な魔力が切れても、状態維持に使われる魔力はあったのだろうか?
あったとしても物理的な圧力にさらされ続ければ、その魔力も切れていつかは壊れただろう。
死ぬ事に本当は抵抗がない癖に、さも死ぬのが怖いという風に装う。
死を怖がるフリをして、本当は何も欲求がない事を恐れていたのでは?
生きる理由もなく、かといって死ぬ程の理由もなく、苦しむのは嫌だから出来るだけ楽を求める。
でも本心で求めているモノがないから、軸が軸足りえずグズグズになり、逃げるばかりで苦しむ。
そもそも勇者の様に魔王を倒せみたいな使命とか運命とかあるわけがない。
人は何かしら求められる事に飢えているし、与える事にも飢えている。社会性の呪縛かな。
そして俺にはそれが上手く扱えなかった。だからこうやって狂っているんだろう。
自分の立ち位置を探して、でもその立ち位置の求めている振舞いに適合出来ずにいる。
役割を役割として認識する程に、最適解を選ぼうとする程に、動きがぎこちなくなる。
現実という舞台において、キャラになりきれない大根役者かな。
いくら自嘲しても何も変わらないというのに、その自嘲を止められないのが本当にお笑い種。
そうして自嘲するのがカッコいいとでも思っているんだろうか? 別にカッコよくないぞ。
動けない自分の愚鈍さに打ちのめされるだけなんだ。誰かに慰めてもらいたいのか? ばーか。
俺の涙は俺が拭くって古今よく言うだろう。
自分がどうにかしなければ結局は何も前に進めない。
他人に頼る社会性も大事だが、駄々っ子に差し伸べる手はない。
自立した結果、努力した結果、自分の意思で前に進んだ結果、蜘蛛の糸は降りてくる。
自分の力で出来る事をやった結果、今よりも一段高いところへ進む道が拓ける。
とりあえず基礎が疎かになっている現状をどうにかする。
たぶん一番向いているのは生物関係の道なのでは? そちらへ進むつもりで勉強しよう。
となるとネネはその道の専門家だよな。図鑑の作製に大きく関わっている事だし。
だとしたらネネに色々話を聞いた方がいいのか。図書館に行くよりも生きた知識が得られるだろうし。
「ネネ。そういえば図鑑の作製に関わっていたんだよね?」






